第一話





切り立った崖に磁場を狂わせる森。死の砂漠に毒の海。

一歩外に出れば待つのは死か発狂。天然の要塞に四方を護られた奇跡の国。

窓から外を見下ろせば恐ろしさなど微塵も感じさせぬ美しい白の街並みが広がっている。


「ここにいたのか、クロウ。」

「……」


随分と馴染んでしまった偽名に苦笑しながら相手に向き直る。

この国の軍部に潜り込んでから二年。思った以上に時間がかかってしまった。

当初は数ヶ月で事を終わらせるつもりだったのだが…この目の前の人物のおかげですっかり手間取ってしまった。


「何か用かい?ジョット。約束なんてしてなかったと思うけど。」

「ご挨拶だな。祝ってやろうと探していたのに。」

「特進なんて珍しくもなんともない。」


つっけんどんに答えてやればそれもそうかと笑う。

この男は正直苦手だ。

のほほんとした顔をしているが油断ならない眼光をしている。

何人もの部下がこの男に正体を見破られ帰ってこなかった。

僕自身、なんど冷や汗をかかされたか…

だがそれももう終わる。完全とはいかないが収穫はあった。

あとは……

目の前にいる薄い金髪の男を見やる。


「そんなことで僕を探してたの?君も暇だね。」

「まあ、それは建て前でな。紹介したい奴がいてな。」

「そ。」


気のない返事で目に被さる髪を払う。

偽名の鳥と同じ黒。染め粉の影響で髪の痛みが激しい。

ふと、視線を下げるとジョットの背の後ろにいる小さな人物と目があった。

それはびくりと肩を震わせると慌てて男の背に隠れた。


………………なんだ?


「こら、綱吉。失礼だろう、ちゃんと挨拶しなさい。いい年して恥ずかしいぞ。」

「……………っ!」

「駄々っ子め…」


声は怒っているが口元が綻んでいる。全く持って説得力がない。

ツナヨシと呼ばれた少年は首に包帯を巻いていて、言葉が話せないのかジョットの背に貼り付いてぶんぶんと頭を振っている。


「すまない、人見知りが激しくてな。」

「ツナヨシ?」

「ああ。俺の義弟だ。感が鋭く俺も何度か命を救われた。人を見る力も優れている。その才能を見込んで父が養子に迎えたのだ。
今は十分な教育を受けていないがなあに、将来有望株間違いなし。」

「…そう。」


とてもそうは見えないけど。

今もツナヨシはジョットの背に貼り付いてビクビクしている。

みれば、「あれ」と大して年も違わなそうだ。

しかし随分と情けない…同じ男なのだろうか? 人見知りと言っても限度が…


「!」


値踏みするように少年を見ていると、視線が合った。

さぞや怯えた目をしているだろうと思った目は、予想に反してしっかりとした光を宿していた。

ジョットは背後の少年の頭部を撫でながら言葉を続ける。


「訳あって今すぐとはいかないのだがそのうちに幹部候補生として迎えるつもりでいる。
その時はお前につけさせる気でいるから宜しく頼む。」

「…分かったよ。」


揺らぎながらも反らされない目。

少年の目の奥になにか、確信めいた光が灯っている。

………ふうん?


「…ジョット。もしかして、彼は声が出せないのかい?」

「ああ。これか…これは俺を庇って毒を受けてしまってな。だが、医者の見立てでは完治するそうだ。」

「そう。…良かったね、ツナヨシ。大事にならなくて。」


万人受けする笑みでそう言えば、少年は僅かに眉を寄せて後ずさった。

やはり。

彼は分かっているようだ。



―――潮時だ。

今夜全てを終わらせるとしよう。



* * * *


――俺はまだ仕事があるから中を見学してくるといい。


そう言って義兄さま達はどこかへ行ってしまった。

折角の義兄さまの気遣いだけど、俺は人にじろじろ見られるのがイヤで早々に軍本部の寄宿舎の屋根によじ登った。

包帯をほどく。触れれば元通りの皮膚の感触。

これなら…

喉に手を当てて口を開く。


「っぅ………ぁっ……!」


…ダメだ。まだ出ないや…

咄嗟に煽った毒。喉を焼き声を奪われても義兄さまや当主さまをお助け出来たことは後悔してない。

でもその行為が今裏目に出るなんて…

大きく息を吐き出して赤い空を見上げる。


昼間会った漆黒の人。『鴉』と呼ばれる義兄、ジョットのパートナー。

クロウという人の話はよく義兄さまから聞いていた。だから会うのを楽しみにしてた。

でも……

ぶるりと肩が震える。寒さのせいじゃない。あの人の瞳を思い出したら…

ひどく、違和感のある人だった。そこにいるのに、『違う』感じ。声も、姿も、全部が違う。

そして、とても怖かった。全部偽物なのに、目だけギョロギョロ生きてるみたいで…

それに、あの人の体からは毒杯と同じ匂いがした。


あの人は、危険。

そう伝えたいけど今の俺は声が出ない。

文字も知らないから筆談も出来ない。

いや、もし伝えられたとしてポッと出の俺と国に信頼された地位の人物、どちらをみんなが信じるか、問うまでもない。


「………………」


…悲しくなってきた…

ぱたりと屋根の上でうつぶせになる。

それでも、義兄さまなら…信じてくれるかな?

声が治ったら、一番始めに話してみようかな。

誰も見てないのをいいことにゴロゴロと転がりながらそんな事を考える。

だんだん暗くなってきた視界に体を起こせば太陽が海に沈んでいくところだった。


…ヤバ。かなり時間が経ってる…


慌てて起きあがると俺は義兄を探すべく屋根を降りた。

執務室にいるって言ってたよな…急ごう。

迷子だって騒がれると困るもん…

さっき教えて貰った部屋。その扉を押し開く。

そっと中を覗けば…いた。

義兄さまは机に上半身を預けて眠っていた。

…隣に仮眠ベッドあるのに。

お屋敷でもだけど、この人はどこでも寝れるタイプらしくていっつも変なとこで力尽きている。

仕方ないなぁ…

起こそうと机を回り込む。肩に手をかけたところでふと、顔をあげる。

…なんか、甘い匂いがする…花とかお菓子とか、そういう匂いじゃなくて、なんか…
匂いの元を探して部屋を見回す。


「!」


俺が入ってきた扉。その脇にある大きな姿見。壁にはまっている筈の鏡が揺れてる…?

近くに寄って見る。……これ、もしかして扉……?

試しに鏡を押してみる。すると、くるりと鏡が横に回転した。裏側もまったく同じ造りの鏡だ。

鏡を逆に回転させて途中で止めるとその奥に細い通路が見えた。暗くて奥はよくみえない。

……国の機密、国宝、王族の逃走通路。いつかお前にも教えようと言われていた隠し部屋の一つに違いない。

甘い匂い、これだけ音をさせているのに起きない義兄、開きっ放しの隠し扉…

もしや、当主さまの言っていた諜報員の仕業…?


「………」


俺が入ってきた時、まだこの鏡は揺れてた…扉を使用してから時間がそれほど経っていない証拠だ。

それに、義兄を眠らせたと思われる薬の甘い匂いも消えてない。

多分、この通路の奥に、まだ……

ごくりと知らず唾液を飲み込む。体が震えた。

誰か、呼んでくる?でもどうやって伝えればいい?

ここに閉じ込める…いや違う道があったら逃げられてしまう。

下手に気付かれたら情報を持って国からも逃げられるかもしれない。

そうしたら…


――無茶なことは二度としないと誓っておくれ――


耳の奥で、当主さまの言葉が蘇る。

毒を飲んで何日も苦しんで…目が覚めた時に言われた言葉。

義兄さまにも頬を叩かれて泣きながら抱きしめられた。


「……」


誓いは破りたくない。でも、諜報員を逃せば…

この国は小さいけれど資源が豊かで大国にぐるりと囲まれているから異国に常に狙われている。

お互いの国を攻めるのにはこの国を取り込むのが一番だからだ。

それに何千年も難攻不落の天然の要塞も他国は欲している。

四方を自然に守られているからこの国は「国」として機能しているといってもいい。

だから他国の諜報員はこの国へ攻め入る経路を探す。

その経路が他国に知れてしまえば…


「っ…!」


暗くなり始めた部屋を見渡して、燭台を掴む。

それに火を灯し、通路の前に立つ。

――捕まえようっていうんじゃない。そう、正体だけでも分かれば…

無茶はしない。危ないって思ったらちゃんと逃げる。

そう自分に言い聞かせる。体が震えるのを顔を叩いて引き締める。


――よし!


心の中で気合いを入れて、俺は暗い通路に足を踏み入れた…――









続く…





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