第二話





コツ…コッ…


「………」


靴の音が意外に響く。裏に打ち付けられてる金具のせいだ。

これじゃ気付かれる…

不気味に濡れた通路に少し躊躇ったけど靴と靴下を脱いだ。

床に足を下ろす。素足に伝わる苔の感触。

…ちょっとぬるっとする。やっぱ気持ち悪い。

でもこれで足音は気にしなくてすむ。小走りで先を急ぐ。

暗い通路にひたひたと自分の足音だけが聞こえる。


「!」


角を曲がろうとして、その先がほんのりと明るくなっていることに気付いた。

慌てて身を潜めて警戒しながらそろりと向こうを覗く。


「……………」


壁の窪みに小さな燭台がある。それに灯された不安定な火がどっしりとした青銅色の扉を照らしている。

…諜報員はあの中にいるのだろうか?

人がいないことを確かめて、扉に走り寄る。

重そうな扉はしっかりと閉まっている。中に入ろうと押してみるがビクともしない。

見たところ、取っ手もないし…ほんとにこの中にいるのかな?どこか別のところに…


「!」


燭台を床に近づける。

……やっぱり。石の床に、靴の形でこびりつく茶色のぬめり。

この隠し通路は水場の近くに作られているのか、あちこちから水が漏れ出していた。

そしてそこには茶色のぬめる藻か苔みたいなものが生えている。

俺は裸足だったからその気味の悪い植物と塗れてる床を避けてきた。

でも先を行った人物は靴のままだからそんなこと構わずに歩いてきたに違いない。だから足跡が残っている。

燭台で辺りの床を照らす。

扉に向かう足形はある。その前をうろついた跡も。でも扉から離れた跡は無い。

扉の付近も調べると、扉に半分隠された足跡があった。

――中に入ったんだ。

侵入者はこの扉の向こうにいる。多分、今も…


「…………」


燭台を床に置き、つるりと扉を撫でる。

困ったな…いるのは分かったけどどうやってこれ開けるんだろ??

指をかけられるようなところもないし…横にスライド、するわけないよなぁ。

ぺしぺしと叩いてみたところで動くわけもない。

意気込んで来たのはいいけど…どーしよ…

ぺったりと両手を扉につけて肩を落とす。


ブオォ…ォン…


「!」


なんだ?この音……扉からしてる?

顔をあげると丁度、俺が両手を突いてるあたり、扉と扉の境が丸く、青白い光を放っている。

目を凝らすと…なんだか紋章みたい…


「っ!」


見たことあるぞ、これ!

俺は服の襟から銀色の鎖を引っ張り出した。先端に通してあるのは一つの指輪。

御守りだからといつも持ち歩くように言われている物だ。

やっぱり、指輪のヘッドも扉と同じ紋章。

…もしかして、これが…?

恐る恐る指輪を扉に押し付ける。カチリという作動音の後、キリキリと歯車か回る微かな気配。

カチャンと何かが外れ、重そうな扉がゆっくりと開いていく。


「……………」


…すげ〜…どんなからくりなんだろ。

なんて感心してる場合じゃないな…逃げられる前に、見つけないと。


* * * *


細い鎖を手繰り、懐中時計を引き出す。

…薬が切れるまで、まだ時間はある。だが急がなくては。

あの男も常に命を狙われる上位の人間だ、薬に対してはそれなりに耐性があるかもしれない。

ずらりと並んだ書棚の間を駆け抜ける。大人しくこんなところに置いてあるとは到底思えない。

近隣諸国まで聞こえる高級将校クラスの対策法、閉じられた国でのみ伝わる技術、天然の要塞の内側に張られた結界の要と罠の位置。

二年で得た情報はどれも祖国にとって有益なものばかりだ。

しかし私が、いや我が国が求めるのはこの国の「門」の在処。

商人や旅人が出入りする入り口は四方に存在している。

だがどれも狭く小さく、とてもでないが武装した軍隊が通れるものではない。攻め入った所で口を塞がれて終わってしまう。

だがこの国の軍隊は有事には何処からともなく現れ、撤退時には霧のように掻き消える。

隠された「門」があるに違いないと、我々は確信している。

だがどんなに待ち伏せようとそれがどこにあるのかは分からず終いなのだ。

内側からならば分かるかとも思ったが、瞬きの間に移動してしまうので見ることも叶わない。

恐らく、物理的なものではなく転移の術を応用したものなのだろうが…なにか鍵のようなものが存在し、それがなくては扱えないのかもしれない。


書棚の通路を抜けると、ドーム型の部屋に出た。

噴水が部屋の中心にあり、白い石像が周囲を囲んでいる。

噴水の水を吹き上げる柱の前に聖母象が祈る姿で座り、鈴蘭と笛を持った天使の像が二人、その脇に立ってる。

――何かがある。そう私の感が囁いている。

噴水に足を踏み入れる。膝の上まである水を蹴るようにしながら三体の像に歩み寄る。、そしてある違和感に気づいた。

聖母の両脇の天使は百合と笛を持つ。それらに「祝福」の意味があるからだ。

だがこの天使は鈴蘭を持っている。

同じユリ科の花だが…まさか間違うわけはない。


「……」


花を捧げ持つ方の天使像に近づく。

…この国の人間は花や像に隠れたメッセージを含ませるのを好む。

からくりの仕掛けもあちらこちらにある。


「……鈴蘭、ね……」


天使の石像に手をかけ力を入れる。


ゴリ…


動くか…やはり、な。

鈴蘭は愛らしい花だがその身は猛毒を持つため百合とは真逆の意味がある。

その花を聖母に向けるなどあってはならない構図だ。

花を持つ天使の像をぐるりと回転させる。


ガコン!!!!


「!」


足元から響く何かの稼働する音。噴水の水が止まった。

私が石像の台座から飛び降りると同時に噴水の中心部がせり上がっていく。

溜まっていた水が全て中心部に流れ込む。

水が引き露出した床面にはびっしりと読めぬ文字が刻まれていた。


「神官文字か…」


床石の凹凸を指でなぞる。

神官文字は古代の文字で現在では情報が失われているため読める者がいない。

何か有益な事柄が書かれているのだろうが…これは役に立たないな…

立ち上がり、石像のあった方向を振り返る。

今はせり上がった中心部が柱のようにドームの天井まで聳えていた。

その柱の表面にも神官文字と絵が刻まれている。

…これだけか?遺跡としては価値があるだろうがたったそれだけの為にこんな大掛かりな仕掛けを作るだろうか。

まだなにかがあるはずだ。柱の周りをゆっくりと歩く。


「?」


絵を一つ一つ確かめていると指が熱くなる。

ジョットから奪った紋章入りの指輪。それが熱を帯びているのだ。

指輪を引き抜き掌に乗せる。すると紋章の刻印が輝きだした。顔をあげれば柱の表面にも…


ギギィ…


「!」


後方でした音。先程通り抜けてきた書庫の扉の音だ。

あの男、もう…!?

一瞬身構えるが耳に届く足音の軽さはかの人物ではなかった。これは子供の…?

警戒を解き、ドームから続く別部屋の――書庫とは別の部屋だ――扉に走り寄る。

その部屋に身を滑り込ませ扉をそっと閉める。

鍵穴から覗けば足音の人物が丁度ドームへと走り込んできたところだった。









続く…





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