第一話






はあっ…はあっ…はあっ…


廊下をひた走る。早くしないと…あれが…!!

明かりの無い夜の校舎は怖くて仕方ないけれど、そんなこと構ってられない。

ああ、ひとりになるんじゃなかった!!


カツ…カツ…


「!!」


硬い靴音。上履きならこんな音しない!!

俺は止まりかける足を叱咤してまた走り始める。

いつもは大切に持っている御守り袋も見つからない。

あれがないと俺…!!

いつも纏わりついてくるうっとおしい小さな黒い影たちも「あれ」の恐怖に姿を消している。

御守りの紐が切れている事にも気付かないなんて…!!


「あ!」


トイレの前を通り過ぎようとしてその場に転ぶ。

ヒヤリとした感触。


「…っ!!」


足首に巻きつく…白い手。

それはトイレの一番奥の個室から伸びている。

人間では有り得ない。


「ひっ…!うあああ!!」


無茶苦茶に捕まれていない足で不気味な手を蹴りつけて逃げ出す。

もう心臓はバクバクだ。怖いなんてもんじゃない!!

早く校舎から出たいのにここは俺の知る昼間の学校とはすっかり様変わりしていてどこまで行っても同じ景色が続いている。

窓の外は普通の並盛の風景なのに。

窓から出ようにもガラス戸は開かず割ることも不可能だ。

時折、同じ階に有る訳のない特別教室が現れたりするので今自分が何階にいるのかもわからない。

理科室が見えてきた。俺は構わず走り抜ける。

ちらりと室内に炎が見えた。それも人型の。

――駄目だ少しでも注意を向ければ追いかけてくる。

俺が教室の前を通過したあとでバン、と強い音がした。


うああ…ああぅ、ああああ…



『理科室には夜な夜な生徒のイタズラでアルコールランプの中身をすり替えられたことに気付かず火だるまになって死んだ教師の霊が現れる。』


…………

絶対振り向かない!!

すんごい呻き声してるけど俺にはなんも聞こえません!!

なんか追ってきてる気がするけど気のせいだ〜っ!!!!


がはっ…あああ…あついぃ…まてえぇ…


そのまま走ったけどなかなか火だるま先生はしつこくて諦めてくれない。


『そういう時は階を変えれば大体追ってこなくなるよ。』


前に聞いた話を思い出す。

本当かどうか分かんないけど…!!

俺は思い切って何処に繋がってるのか皆目見当のつかない階段を目指した。

転がる勢いで階段を駆け下りる。


「はっ…はっ…」


追って、来ない。

よし!!と俺は小さくガッツポーズを決める。次からはこの手を使おう!

廊下と同じで延々と続く階段を降りる。校舎は4階なのに何、この階数!!

俺は後何時間逃げ続ければいいわけ?「あれ」が諦めるまで?

無理だ。

百年経っても解放される気がしない。

幾度か折り返した所でギクリとする。

踊場に「贈」の文字のついた大きな鏡。

普段の俺なら決して近づかない、恐怖の根源がそこにあった。

段に下ろしかけていた足を戻し上に戻ろうと後ろを振り返る。


「!!」


ない。

階段がとかじゃない、黒い闇がぽっかりと穴を開けて待ちかまえている。


――――戻れない。進むしかない。


そろそろと階段を降りる。

少しでも何か動いたらすぐに反応できるように慎重に。

鏡は沈黙している。

なるべく鏡から遠ざかるようにしながら踊場を通過する。

鏡はただ青ざめた俺を写し出している。


――――何も、起こらない。


早く行こう、俺が急いで次の階段に向かったその時。




カツ…カツ…




また、足音。階段の…下…?

窓から漏れる月明かりが唯一の明かり。

その中に黒い制服の足が見えた。室内なのに黒い革靴を履いている。

そして白いYシャツの腕、べっとりと黒いものがこびりついた鎖鎌。

肩からかかる黒い制服――学ラン―― に狂気を含んだ凍てつく美貌。


「…やあ。」

「雲雀、恭弥…」


ぞわりと総毛立つのが分かる。逃げ道は、無い。

カツンと音を立てて一歩一歩階段をあがってくる。

俺は背後に鏡があるのも忘れて彼の人が進むのに合わせて後ろに下がる。

やがて背中が冷え切ったそれに触れる。

黒の狂気は目の前だ。

鎌が振り上げられた。ニィと彼の口が笑う。


「怖がらなくていい。直ぐに終わる…」


もう駄目だ!!

俺は覚悟して目を閉じた。









その時。


背後の鏡から生えてきた腕が体を捕らえた。

そのまま背後に引っ張られる。


ザバァ!!


続いて水から引き上げられるような感触。


「生きてる?」

「な、なんとか…」


上を見上げるとさっきまで鎌を手に不吉な笑いを浮かべていたのと同じ顔。

違うのは着ている服。

見慣れた幼なじみの姿にホロリと涙が零れた。


「雲雀さん、遅いです〜…」

「鏡に引き込まれてるなんて思わなかったんだよ。」


ブレザー姿の雲雀さんは億劫そうに言うと前を睨み据えた。

あるのは大きな鏡。

しかし、そこには写る筈の俺たちの姿はなく学ランを纏う恨めしそうな顔の『雲雀恭弥』がいる。


『あとちょっとだったのに…』

「僕のオモチャに手を出さないでくれる?これで遊んでいいのは僕だけだ。」

『ふん。今はね。それは僕が食らうんだ。それまで預けておいてるだけさ。』


二人の雲雀恭弥が一枚の鏡を挟んで対峙する。

一人は愉しくてしょうがないという顔で。

一人は苛立ちを隠さない冷徹な顔で。


「『お前には渡さない。』」








続く…