第二十一話





「……う……っ……」


ごつごつした地面。

長いこと籠もっていた熱気と匂い。

湿った、纏わりつくような空気。

人の声にも聞こえる風の音が通り過ぎる。

だるさと共に全ての感覚が帰ってくる。


「……………」


現世に、戻ってきたのか。

重い瞼を持ち上げる。

けれど辺りは真っ暗で、何も見えない。

……さっきまで、ぼんやり明かるかったのに……

うつぶせていた体を起こして、手探りで岩肌伝いに立ち上がる。

本当の真っ暗闇で足元どころか自分の手先も見えない。

そういえば、明かりもだけど寒気も穢れの異臭もしていないのはなんでだろう。

障気が無いことは確かだ。

『恭弥』が……「本体」が居なくなったから、かな?


「……どっちだっけ……?」


立ったはいいものの、どちらに向かえばいいのかが分からない。

入ってきた方向もこれじゃあ













「にゃああん」









「!」


この甘えたような鳴き声……

声のした方を見る。

けどやっぱり真っ暗で何も見えない。


「………キョウ?」

「な〜お」


壁伝いに鳴き声のする方向へと進む。

数歩歩くとたしたしと小さな足音。


「にゃああ〜」


また立ち止まって鳴く声。

……そっちに「来い」って言ってるのかな?

呼ばれた方向へそろそろと慎重に進んでいく。

キョウは進んでは鳴き、進んでは鳴きを繰り返している。

スタスタ行ければ大したことない距離なんだろうけど……

暗いし凸凹してるしちょっと足滑るしでゆっくりとしか進めない。


「な〜」

「分かってるよ、ちょっと待てって……」


溝に足を取られながらキョウがいる方向へ踏み出す。




早く、早く行かないと……――。




* * * *




―――ちょっと、まずいかも。



「……っはぁっ……はっ……」


息が上がる。

もう誤魔化す気も起こらないから肩で息をする。

相変わらずあっちは涼しい顔のままだ。

力が互角でも痛覚も疲労も感じない鬼と生身の人間では時間が経つほどに差が開いていく。

『恭弥』はニィと笑って空を見上げる。


「見てみなよ。君のせいで月があんなとこまで行っちゃったじゃないか。
もっと早く終わらせるつもりだったのに。」

「……しぶとさは折り紙付きだよ。自分で証明してるじゃないか。」

「ああ……確かに。」


トンファーを自身の首筋にあてて、くすくす笑う鬼。

左肩がズクリと痛む。

視線を向けると血が滲んでるのが見えた。

……本当にまずいな……


体に戻った時に、左肩の傷には気付いてた。

あちらで付いた傷を、あいつが応急処置していたのを思い出す。

そんな大した傷じゃないと思ってたんだけど。

時間が経つほどに流れる血と痛みが増していく。

痛みも疲れも感じないあいつと僕では長期戦になればなるほど不利になる……


「困ったね……」


息は、落ち着いてきた。まだいける。

トンファーを振るい一呼吸。


僕が不利なのは紛れもない事実。

けれど『恭弥』の本体は目の前にある。

この状況は望んだ形とは大分違うものの、おおよその狙い通りになった。

本体が潰れれば『恭弥』は終わる。

一族と彼が対峙してきた時の中で、おそらく今が一番の好機。


枯れた地を蹴り、『恭弥』の頭目掛けてトンファーを振りかぶる。

当然翳したトンファーに阻まれた。

けれど、がきりと得物同士がぶつかり合う瞬間に鉤のギミックで相手の武器を捕らえ、絡めとる。


「っ!」


がら空きになった胴体に渾身の蹴りを叩き込む。

『人間』としての中身が入っていない体は簡単に吹き飛び、木に激突した。

普通の人間ならダメージを受けるところだけど、彼にそれは当てはまらない。

案の定、人では有り得ない速度で肉迫してきた『恭弥』をかわす。


「ぐっ…!」


横腹に走る痛み。

かわしたと思ったんだけどな……

痛みを無視して、攻撃の気配にトンファーを振り上げ防御する。


「!」


『恭弥』の手にトンファーは無かった。

当たり前か。さっき僕が放り捨てたからね。

その武器の代わりにあるのは鋭く伸びた黒い爪だった。

さっき掠ったのはあれか。………刺さったら痛そうだ。


「凄い爪だね。……うちの生徒なら校則違反だよ。」

「僕もあんまり好きじゃないんだけどね。衛生的じゃないし。」

「……ちょっと。そんなので攻撃して来ないでよ。病気になったらどうしてくれるの、さ!」


打ち下ろした攻撃は避けられた。

ちらりと見た得物に走る、四本線。

……どんだけ鋭いの、あの爪。トンファーがちょっと削れてる。

『恭弥』は一度下がると身を沈め、猫のような態勢で襲い来る。

得物でそれを流し、背を蹴り大木の枝に飛び上がる。


「っ、はっ……」


段々動きが獣じみて来た。余裕が無いというのは真実らしい。

………まあ、それは僕もなんだけど。

強くなる鉄の匂いと、濡れたシャツの左肩。

腕を伝うのは……見なくても分かる。


「……っ。」


服の上から傷口を抑える。

貧血で倒れるとか、洒落にもならないよね。

綱吉に、格好がつかないじゃないか。


「!」


視界が陰る。

瞬時にトンファーを回転させて短い柄を鎌のように突き上げる。

相手の顎を狙った一撃は、空中で身をよじってかわされた。

『恭弥』が繰り出す爪の一撃をすれすれで避ける。

僕の首の代わりに後ろの枝が折れて地に落ちた。


「………切れ味抜群だね。」

「でしょう。今なら苦しまずに逝けると思うよ?」

「いやだ。」

「……言うと思った。」


なら、聞かないでよね。


* * * *


「あ……」


うっすらと見える光。

入り組んだ洞窟の先から入る僅かな明かり。

もしかして、出口?


「にゃあん」

「あ、キョウ!」


たた、と光に向かって走り出す小さな足音。

またか。

でもここまで来ればもう自力で出られる。

まだ足元がよく見えないから壁から手を離さずに慎重に足を進める。


「にゃああん」

「……?」


出口に近付けば月明かりであたりがよく見えるようになる。

けれどまだ、俺を誘導するようなキョウの声は聞こえてる。



聞こえて、いるのに。



「………キョウ?」

「にゃあ〜」


甘えるような鳴き声。

『なあに?』ときっといつものように首を傾げて鳴いてるに違いない。

けれどどこにもそのヒマラヤンの姿が無い。すぐ側で声がしているのに。

不思議で仕方ないんだけど、キョウはトコトコと歩いていく。

音で気配で鳴き声でそれが分かる。

俺はただただその姿だけがない猫の後ろをついて行く。











そして、キョウの案内は洞窟を抜けたところで唐突に終わった。

……終わったというか、完全に気配が消えてしまったのだ。


「……………」


一回だけ、洞窟を振り返る。

多分そこにキョウが佇んでいるような気がして。


でも、やっぱり俺には何も見えなかった。


前を向いて、風に流れてくる僅かな障気を追って歩き出す。

キョウのことはあと。今は、『恭弥』だ。


「……ここ……」


洞窟の外。

広い、足場の悪い荒れ果てた地を見回す。

さっき鏡で見たとこ……だよね?

『恭弥』の村があったところに違いない。

なんて変わりようだろう……

未だに地から噴き出す黒い気に、あの人の恨みの深さを感じる。


「…………あれ………?」


風と葉擦れ以外に、何か打ちつけるような……打ち合うような音が聞こえる。

森の、方……だよね……

木片や地面の割れ目を飛び越えて、音のする方へ駆け出す。

伸び放題の草木をガサガサと掻き分けて、森の奥に入っていく。

音はどんどん移動していくからなかなか追いつかない。


「?」


カキン、と高い音がしたあとに打ち合う音が唐突に止んでしまう。

けど、もうすぐそこだったはず……

邪魔な藪を踏み越えて生い茂る葉を押しやる。


「………!?」






























開けた視界に見えたのは、月に照らされた白い背中。

そして、その中心にある、黒い4つの点。

それが何かを認識する前に、白い背中が倒れ込んでくる。

咄嗟に受け止めたけど、支えきれなくて一緒に倒れ込む。


「……ひば、り……さん……?」


ぐったりとした体を見下ろす。

閉じられた瞼。月明かりでも分かる青い顔。

白いシャツについた四つの点がじわじわと広がっていく。

抱き止めた手にまで広がるもの。




























…………なに、これ………



























「綱…吉……」


月に照らされた、手に付いた赤い色。

その向こうで、黒い影が身じろぐ。

影の青い腕に滴るのは同じ赤。





















赤い色が、止まらない。




















「なに……これ……」

















続く…





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