第三十四話 「ひっどい顔ですね。」 「うるせぇ……」 早朝のファーストフード店内。 ぐったりとテーブルに突っ伏していると上から楽しげな声が降ってきた。 起きあがるのも億劫で顔の向きを変えて目線だけ上げると異様に上機嫌な骸がニヤニヤと笑っていた。 あ〜……意味もなく殴りてぇ。 「……今なにか物騒なこと考えませんでしたか?」 「平穏になる方法なら考えてたな。」 「そうですか?」 重い頭を起こし、眠気覚ましに買ったコーヒーを啜る。 うっかり情報整理に夢中になりすぎたせいで今日も寝不足だ…… 「君、結局あのまま病院に?」 「いや……一度帰った。10代目が来るかもと思ってたんだが朝になっちまったし。」 骸が反対の席に座ったのを見て鞄からノートと本を取り出す。 骸は真っ先にノートに手を伸ばしパラパラと捲り始める。 「まあ余計な心配だったみてぇだ。考える時間出来たから無駄でもなかったしな。」 「でしょうね……昨日は僕に張り付いてましたから、ずっと。」 「……は?」 「彼曰わく『見張ってる』そうで。」 ……なんだそりゃ。 10代目がこいつを見張る?逆じゃなくてか?なんの必要があるんだ……? 「風呂とトイレ以外はずっとついてくるもので」 「ん?じゃなんで今お前……まさか10代目に何かしたんじゃねぇだろうな!?」 「いいえ。逆に追い出されました。今の彼は日中モードですから。」 「??は?」 日中モード??追い出された?? ……なんのこっちゃ。 俺が眉間に皺を寄せているのを見て、骸は昨夜10代目宅で起こったことを簡単に話す。 そして今朝になると全て忘れているどころか、記憶が日常のものに替わっていたことも。 昼と夜で10代目は切り替わるのではないかと奴は言う。 「自分でベッドに連れ込んでおいて翌朝には忘れているんですから……とんだ小悪魔ですよ。」 「………………その小悪魔話は全部終わったらじっくりと落とし前をつけるとして佐保が乗り移ってるとかじゃねぇのか?」 「いいえ。綱吉くんでしたね。佐保は彼の近くにいる気配はするのですが姿を見ません。」 骸は紅茶を時たま口にしながら目線はノートに向けたままだ。 よく読みながら話できるなこいつ…… 「君意外に文字が綺麗なんですねぇ。」 「……おい。」 「分かってますよ。ちゃんと読んでます。 ……これ、君も夢を見たってことでしょうか。」 「ああ。昨日な。」 目線が他人のもの――恐らくは佐保――だったことと、見たのが子供の死後と櫻居の初代が現れたシーンだったことを話す。 「違いますね。パターンが。」 「パターン?」 「僕は時系列はバラバラですが佐保が死んだ後の記憶は見たことがありません。 そしてあくまでその場にいるだけで佐保自身の目線になったことはない。」 「……へぇ?」 「ん…この……櫻鬼の別バージョンとは?」 相変わらずノートに目線を落としたままの骸。 手の甲で本を叩いて見せると顔を上げ片眉だけ跳ね上げる。 「これに書いてあった。 こっちだと地主の息子は遊学先で病死、鬼になっているのも佐保ではなく男の方だ。 後半はまだ意味が分からねえがお前の見た野郎が裏切ったやつと別人って説がこれなら通る。」 「ふむ……子どもの父親という仮説はまだ仮説の域を出ませんが。」 「まあな。けどほぼ間違いない気がすんだ。」 夢で俺は『佐保』だった。その時に感情を共有した。 怒りに満ちる前の嘆きに混じっていた、悔いるような謝罪を俺は感じた。 あれはあの子どもじゃない、別の誰かに対しての謝罪の念だった。 すぐに怒りに染まってしまったがあれは間違いないと思う。 「………獄寺。」 「なんだよ。」 「君、奈々さんの御伽噺を聞きましたか?櫻居は桜の神の子孫と云われている……」 当然聞いた。今こいつが読んでたノートにも書いた。 それを当に今お前見てたろうが。 「それがどうしたんだよ。」 「また仮説なんですが。」 「構うか。いいから言えよ。」 「……昨日綱吉くんが佐保の事を『比売神様』と呼んでいたんです。」 「ヒメガミサマ?」 首を捻りしかめ面をしていると骸がノートの端に「比売神」と書いた。 この字ならば見たことがある。 神社に祀ってる神の名前の下によく付いているヤツだ。 そう言えば骸も頷く。 「そうです。確かに佐保姫は神社に祀られている。 しかし神社名以外に佐保の名はどこにも無く公式の記録もない。 まあそれに関しては有力者の体裁云々でしょうから深くは突っ込みません。 僕らはずっとそれを怨霊信仰によるものと思ってきました。」 「………ああ。」 「けれど、君のノートの『咲麗語り』にこうあるじゃないですか。 『鬼は悪意により姿を変えられた山神の姫だった』と。 『父神』という言葉も出てくる。 奈々さんの話でも双子が神からの授かりものだったとあります。」 ……奴が何を言おうとしているのかが薄々分かってきた。 骸は仮説と言ったが、奴の口調は確信に満ちている。 そしてそれは俺の中にあった幾つかの疑問を氷解させた。 「神社に祀られている神と関係の深い女神……主に妻や娘を指して比売神、だったか。」 「ええ。佐保は祀られたのは死後ですが、元々神の眷族だったのではないでしょうか。 双子が殺せなかったのは事実神懸かりな力があったからではないかと思うんです。 片方は追放され片方は神社に軟禁された理由は……」 「予言だ。巫女だか占い師だかの。」 『あの家の娘は将来、この家に仇成す者になる。』 権力者のお抱え巫女がそう予言した。 あん時は佐保がその予言を受けたんだと思ってたが、双子ならば両方当てはまる。 そして双子の片割れだけを引き離し閉じ込めた理由。 佐保はおそらく、予言阻止の為の人質だった。 「……ここまではほぼ確定と言っていい。僕の仮説はここからです。かなり予測含みますが。」 「ここまで来たら全部聞くわ。言ってみろよ。」 「櫻居とは双子の片割れの子孫なのではないかと。」 いきなり核心かい。 ……まあそれは俺も思ったが。 俺は佐保の姿を見ていない。だから分からなかったが…… 夢で見た人物はどことなく10代目のお母様に似ていたように思う。 そして佐保の子。死に顔だったが10代目によく似ていた。 佐保と櫻居が赤の他人同士ではないことは予測できた。 「……仮説ってほどの仮説でもない気がするが。」 「では何故君は双子のうち佐保の方が神社に預けられたのだと思いますか?」 「は?それは……どっちでも良かった」 訳がない。 …………………そういやそうだ。それは考えて無かった。 骸は自身の目を指して問う。 「エグい話になりますが……もしもです。 もしも君が両目を失い、僕の目を移植するしかないとしたら君はどちらの眼球を望みますか?」 「……ホントにエグいな。どっちも御免だが究極の選択で言うなら左………」 骸の目が細く、笑みの形に歪む。 そうか。そういうことか……! 「得体の知れないこの右目と通常の左。引き取るならば無害そうな方を選ぶのは当然。」 「神懸かった力を扱えたのは、もう一人。佐保は力が無いから人質にされたってことか……!」 「彼らは見誤った。神の子は一人だけと。そして蔑ろにした代償を食らった。 橋姫伝説を知っていますか? 懸命に自身を鬼に変えてくれと頼む女を哀れんで神がその方法を教えたという。」 人の思惑に踊らされた人生。閉じられた世界。 最愛の宝さえも失った女が恨みに狂うのも無理はない。 こんな結末を見せられた山神が怒らないわけがない。 佐保はそうして鬼になった。 山神の怒りを纏う鬼神。ただの怨霊どころじゃねぇ。 「そして、もうひとつ。 櫻居の人間がこの地にいる限り祟らないという言葉と櫻居になにかがあると桜が狂い咲く現象。 僕は鎮めた筈の御霊がほいほい出てくる訳がないと思うのです。 それに何故そんな約束をする必要があるのか。」 「……言われてみれば……確かに変な話だな。」 「正確には「鎮めた」のではなく「抑えた」のではないかと思うのです。 櫻居は意識するのではなくその血筋が封じになる。 だから揺らぐと封じが緩み力が漏れる。桜が狂い咲く。」 骸が窓の外を見やる。 つられてそちらを見れば風に舞う薄紅の花びら。 「……つまりお前は。」 「今の事態は綱吉くんが引き起こしたと見て間違いないと思ってます。 彼の願いが分からない限り昏睡状態から誰も醒めない。桜の檻も解けない。 獄寺、今の彼はボンゴレ10代目ではない。 鬼にも神子にもなりえる櫻居の末裔だと覚えておくといい。」 続く… |