第三十三話














ぺちぺちと額を叩かれ目を開く。

逆様の綱吉くんの顔が目の前にあった。

そしてその背景に広がる夜空と月明かりに透ける花霞。


「骸起きた?」

「……こんなこと前にありましたねぇ。」


あの時は立場が逆でしたけど。

体を起こして周りを見渡す。

やはり佐保神社だ。

だが街灯はない。狛犬も新しい。ということは夢の中か。


「お前ってこんな時も動じないんだね。」

「何回も体験してますから。君がいるのは初めてですね。」


服の背と腰の土埃を払い、立ち上がる。

夢だから実際は付いていないだろうが気分的に。

綱吉くんはちょっと驚いたように目をまん丸にしてすぐ、面白そうな顔をする。


「なんだ、もう来たことあったんだ。」

「数回ですけど。」


パジャマ姿の彼が寝入ったままの格好なのに対して僕は普段の制服姿をしている。

僕もパジャマだった筈ですが……そう言えば眠って記憶に来たのは初めてだ。


「今回は君の招待ですか?」

「ちょっと違う。けどそう。」

「?」


ちょっと違う?どういう意味だ?

首を捻る僕を余所に綱吉くんは僕の腕を掴みぐいぐいと引っ張る。

またですか……


「骸こっち。」

「今度はなんですか……」

「『翁』の正体を見せてあげる。」

「……オキナ?」


オキナ…………翁か。

馴染みの無い言葉だが……最近聞いたような気がする。

ただそれがなんだったかが思い出せない。


「ほら、あそこ。」

「?」


綱吉くんが指差す先には何もない。

ただ一際大きな桜の木が……


「!」


顔の前を赤い蝶が数匹、ひらひらと舞い飛ぶ。

余りの近さに追い払おうと手を振り上げる。

そして己の腕が視界を遮り通り過ぎた次の瞬間、辺りの景色が変わる。

桜の木々は目の前の一本を残して全て消えている。代わりに低い石垣が敷地を覆う。

そして綱吉くんが指差す先には二人の人間がいつの間にか立っていた。

顔は見えないが着物姿の男女だ。佐保と雲雀に似たあの男ではない。

女は長い黒髪だったし、男は薄い茶色の髪をしている。



………茶髪?



「つなよ」

「見て。あそこ。」


綱吉くんが見上げる先に視線を向ける。

木の上に立つ、男女より古い時代の着物――恐らく平安、狩衣と言われるものだろうか――を着た人物。

顔を能で使う翁面で隠し、耳の上に黄色の花を挿し、肩口まで伸びた髪は真っ白。

だが雰囲気からは若そうにも見える。

『翁』……あれのこと、か?


「そう。あれが『翁』。」

「あれ、なんて言っていいんですか?神様なんでしょう?」


綱吉くんは今度こそ驚いた顔で僕を見る。

まさか知ってるとは思わなかったのでしょう。

しかし自分のぼんやり加減には舌打ちしたくなる。

これはつい先刻、奈々さんから聞いた話の光景だ。何故すぐに気付かなかったのか。


「母さんから聞いた?」

「はい。」

「そっか。ならいいや。もう帰ろうか。」

「は?」


うんと頷きくるりと踵を返す綱吉くんの肩を慌てて掴む。

待て待て。勝手に納得して終わらないでくださいて。

けれど綱吉くんはその肩に置いた手を逆に掴んでぐいぐいと引っ張っていく。


「ちょ、綱吉くん!?」

「もうあんま長居するとバレちゃうから急いで!」

「バレ…?いや、綱吉くん!?まだ聞きたいことがあるんですけど!」

「後でね。明日の夜。」

「は?明日?」



* * * *


咲麗語り


あるところにそれは見事な景色の山があった。

神宿りの木に守られるように神社があり、そこに山の神がいると言われていた。

だがそこに参拝する者は誰もいない。

なぜならば「山には恐ろしい鬼が住んでいる」と言われていたからだった。

今まで幾人もの退治人がやってきたが鬼の力は強く、誰も敵わない。

とうとう大人数の討伐隊で山狩りするしかないという話になった。

しかし男達が手に手に武器を持ち、山に入ろうとすると神宿りの木より一人の娘が出でる。

娘は手に菜種の花を持ち、普通の娘とは異なる雰囲気を放つ。

「自身は山の神の御遣いである」と娘はいい、「鬼を鎮めてみせよう」と言う。

討伐隊が娘を連れ社に差し掛かると鬼が現れた。

鬼と男たちが切りかからんとしたその時、娘が進み出て鬼に菜種を差し向ける。

すると鬼の姿は消え去り、美しい姫が姿を現した。

鬼は悪意により姿を変えられた山神の姫だったのだ。

姫は娘に感謝の意に「その血が生きる限りこの地を守ること」を約束し、父神の元へと帰っていったのだった。



* * * *


「……おいおいおい……」


これでもかというくらいに本に顔を近付ける。

最後の約束んとこ、これ佐保が櫻居の初代に言ったヤツだろ。

てことは姫は間違い無く佐保。娘は櫻居の初代。

そして菜種……菜種ってあれだ。黄色い小さな花をつける、油の原料にもなる植物。

さっき思い出した。そして思い出した原因。

あの『夢』だ。

この話はあの二つ目の『夢』にそっくりなんだ。


「……どーなってんだよ、おい。」


髪をかきむしり本を閉じる。

本当にどうなってんだ?あの夢も訳が分からなかった。

だがそれ以上にこの本の存在が分からねえ。

じいさんも言ってたが今は少ない情報しか残って無かったはず……なぜこんな話を書くことが出来たんだ?

眼鏡を外して目頭を揉みほぐす。


「ったく。不思議体験は大歓迎だけどよ……」


今は本の内容だ。

鞄から適当に取り出したノートを広げる。

時計を見れば丁度12時を指している。

……まあ2時間寝られればいいだろう。

眼鏡をもう一度かけ直すと、現状の情報をまとめるべく鉛筆を走らせ始めた。


* * * *



「なんで『佐保』なの?」

「……はい?」


振り返れば間近にある顔。

あんまり近いので仰け反るように一歩引く。

この人は突然なにを言い出したんだろう……

さっきまで桜をぼーっと見ていたこの若様は最近来るようになった人だ。

花見なら関係ないと気にしてなかったのだけれど気付くとこうやってちょっかいをかけてくる。

今も顎に手をあて「ううむ」と唸りながら私を見ている。


「君。『佐保』って感じじゃない。」

「それは、勝手に人が呼んでいるだけで…」

「なんか違う。もっと……なんかぽわーとしてこじんまりしててふわーって。」

「……とりあえず桜が似合わないってことが言いたいのだけはわかりました。」


独自の言語を使われてもさっぱりだ……

でも別にいいか。大体佐保は、私の名前じゃないし。勝手に村の連中が呼んでいるだけだ。

そう言えば若様は険しい顔して「気に入らないな」と呟いた。


「……何がですか?」

「その面白みの無い名前。そんな渾名じゃなくて君の名前教えな。」

「……名前……」


ちょっと面食らってしまった。

名前なんて聞かれたの初めてだ。

あんまり真剣な顔をしているから、小さな声でずっと呼ばれていなかった名前を口にする。


「え?」

「―――です。」

「聞こえない。」

「だから!―――です!」

「…………」


なんで黙るんだ……

そう思っていると「ぷっ!」と吹き出す若様。


「……変ですか。」

「い、いや……ごめん、雰囲気合ってるけどそのまんまだとは思わなかった……!
君の名前付けた人とは気が合いそうだ……!」


……分かってはいたけど人に笑われるとちょっと腹立たしい。

若様と気が合う父様、恨みます……

ちょっと熱くなった頬を隠すように俯かせる。


「?」


なんだか後ろでごそごそやってるな、と思っていると上からぱらぱらと黄色い花が降ってくる。

顔を上げると満足げに笑う若様。


「うん、やっぱり君には桜よりこっちだね。」







* * * *


「おわ!?」

「!」


頭のすぐ下でした叫び声に目を開く。

寝覚めのあまり良くない視界になんだか真っ赤になってる綱吉くんが写る。


「なっ、え?え!?む、むく、骸!?」

「……なんですか。」


何故かわたわたしてる綱吉くん。

はっきりしない彼を余所に枕元の時計を見れば6時……そろそろ起きますか。

体を起こすとびくりとする綱吉くん。

……なんなんだ、さっきから。

欠伸を噛み殺して部屋を見渡す。そして、気付いた。


「………君、昨日のこと覚えてます?」

「き、昨日?昨日何かあったっけ?」

「では誰と帰ってきました?」

「え?そりゃ、獄寺くんとだろ。」


なにを言ってるんだと言わんばかりの顔だ。

……やっぱりか。

昨夜と纏う雰囲気が違う。いや、いつも通りに戻った、という方が正しいのか。

部屋にあった冷たい硬質な空気も消え失せている。

「明日の夜」というのはこのことか……


「ちょ、ちょっと骸さん?ところでなんでお前ここで寝てたの?ねえ。」

「……………」


なんか今度は顔が青くなってきた綱吉くん。真剣な顔で僕を窺っている。

以前の牽制が効いてるのか、これは。

………………ちょっとからかってやりますか。


「それも忘れてしまったんですか?昨夜の君は僕を自室に連れ込んで……」

「連れ込んで!?」

「…………」

「…………」

「………僕の口からは言えません。」

「何があった!!!!!!!!言え!あ、やっぱいい!!聞きたくない!」


………どっちだ。









続く…





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