第三十二話














「あ、骸おかえり〜。」


ひょこりとリビングから顔を出す綱吉くん。

………何故ここに?


「………ただいま。早いですね、綱吉くん」

「嫌みかよ。」

「あら、骸くんも遅かったわねぇ。夕飯まだでしょう?今温め直すから。」

「…………」


頭の中も外も疑問符だらけだ。

靴を脱いでリビングを覗くと正に食事の真っ最中といったところだ。

…………さっきのは雲雀のデマか?

訳が分からないまま洗面台に向かい手を洗う。


「む〜く〜ろっ。」

「!」


顔を上げると鏡に写る綱吉くん。

……気配を、感じなかった。

どこか上機嫌な彼はにこにこと笑っている。


「……なんですか?」

「雲雀さんと獄寺くんに会わなかった?」

「いいえ。」


水道のレバーを引き水を出す。

ポンプの石鹸を手に出し擦り付ける。


「本当に?」


すぐ脇でした声にそちらを向くとすぐ近くに彼の顔があった。

大きな瞳はいつも通りの瑪瑙の色だ。


「はい。ああ、でも雲雀なら昼に来てましたけど。奈々さんから聞いてませんか?」

「ううん。そっか。」


手をすすぎタオルで水気を取る。

動作をじっと見られているのを感じながら気付かないフリを通す。

リビングへ続く僅かな廊下がこれほど遠く感じられた事はない。


「ツナ兄、どこ行ってたの!もうランボがハンバーグ食べちゃうよ!」

「ごめんごめん。フゥ太死守してくれたのかぁ。ありがと。」


リビングに入った途端、わけの分からない緊張感は霧散した。

綱吉くんの視線は僕から反れて子供たちの方へ向けられる。

どこか安堵しながら席に着く。

相変わらず賑やか過ぎる食卓……

順応している自分に驚くばかりだ。



* * * *


「………?」


だらしなく横になっていた待合室の長椅子から体を起こす。

今読んでいたのは適当に開いた『櫻鬼』の章だ。

短編集なので順序は関係ない。興味の湧いた所から読んでいこうとしてたところだ。

散々読んだが『櫻鬼』の復習を兼ねてこれを選んだんだが……


目次まで戻り、章の冒頭を開く。

少し読み進めてみてそれは確信に変わる。


「……違う。あの『櫻鬼』じゃねぇ……!」


少し近代風に、小説調にアレンジされてるが途中から違う話になっている。

ありがちと言ってはなんだがよく見る悲恋といった感じだ。

男との別れ、待ち続ける佐保。

ここまでは一緒だがその先は全く違う。

男は裏切るのではなく遊学先で病死し、鬼と化したのは佐保ではなくその男になっている。

鬼となっても愛した人間を守り続ける……普段なら馬鹿馬鹿しい恋物語と一蹴するところだが……


「……………」


――意味があるのかもしれない。

俺は眼鏡を鞄から取り上出すと、一番始めの頁を開いた。


* * * *


「…………」


廊下を歩きながらタオルで髪の水気を拭き取る。

その後ろをぺたぺたとついてくる綱吉くん。

マークが外れたと思ったのは気のせいだったのか……

流石に入浴中は追ってきませんでしたがとにかく家中をついてくる。

刷り込みされたカルガモの子のようだ。

そちらに視線を向ければほんわりと笑う。


「今日の君は変ですね。神社で会ってからずっと。」

「そう?どうかな。」

「………とても変ですよ。存在も気配も。」


先日対峙したときは傀儡のようだった。

瞳はどこかぼんやりとし、言動も幼く思考力が低下していたように思う。

だが今目の前にいる彼には明確な意志を感じられる。

――『意志』は感じる。

だが希薄な気配、この圧されるような存在感……

戦闘時とも違う、この感じは一体……


「骸は凄いね。」


ぽん、と手を打ち合わせて擽ったそうに笑う綱吉くん。

奈々さんに似た笑顔なのに、彼女が呼ぶ穏やかさは無い。

変わって訪れるのはぞわりと背筋をなぞる理由のない焦燥感。


「そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。もう依り代は必要ないから。」

「……必要ない、とは?」

「骸も比売神様も自由になる、いい方法見つけたんだ。内緒だけど。」


人差し指を唇の前に立て、悪戯に成功した子どものような顔。

……教えてくれる気はないようですねぇ。

僕の予想ではこの子の体にでも憑いていると睨んでいたのですが、違和感はあれど綱吉君以外の気配はない。


「教えてくれないんですか?意地悪ですね。」

「ふふ〜!」

「では子犬のように僕の後をちょこまかとついてくるのは何故ですか?」

「見張ってるんだよ。」


首を傾げ、猫のように目を細めて笑う。

可愛いらしい仕草だが、声がワントーン低くなった。

氷で背筋を撫でられてもこんなに鳥肌はたたないだろう。


「困りましたねぇ……監視されるのは慣れてますがこんな堂々と宣言されるとは。
なにかしなくてはいけない気がしてきますね。」

「いいよ〜、しても。」


……ヤケに気のない返事ですね。「見張る」とか言った直後に。

ふありと欠伸をしながら綱吉君は目を擦る。


「なんか眠いな〜……」

「……………」


この会話の流れで眠気が来るのか。

緊迫した内容になってくるんじゃないかと思った矢先に。

この緊張感のなさ、まさしく彼本人のなせる技……

ぺたぺたと足音をさせて、綱吉君は呆れる僕の脇を通り過ぎる


「!」


と、思ったら腕を捕まれずるずると階段まで引っ張られていく。

…………なぜ!?


「綱吉君、綱吉君。僕まだ髪乾かしてないんですが。どこに?」

「眠いから寝る。」

「そうですか、おやすみなさい。腕離してください。」

「やだ。」


有無を言わさずぐいぐいと引っ張っていく。

振り払えないことはないが、真意が掴めない今どう出るべきなのか……

そう悩んでいる間に引っ張られるがままに階段を上がり、綱吉君の部屋の前に到達する。

まったく、悪霊が出て行ったと思ったら今度はこの子。

この一族には本当に振り回されっぱなしだ………


* * * *


「……っつ……!!」


飛び起きた反動が脇腹に来た。腹筋を使えば直に痛みが襲う。

とん、と胸を押されるがままにベッドに逆戻りだ。


「無茶はダメですよ、でぃーのさん。」


のっしりと怪我人の上に乗っておいてお前な……足ぷらぷらさせながらいう台詞じゃねぇぞ。

だが胸の上に腕を組んで頭を乗せられては動くことなど出来ない。

……これで刀で襲いかかられたら俺、一溜まりもねぇな。

けれどツナは傷に触らないように俺の上に寝転がったままにこにこしているだけでその素振りも見せない。


「ツナ、どうしたんだ?今は夕飯の時間じゃ」

「お見舞いに来ました!」


お前がかい。

そう言いたかったがなんだかすんげえ嬉しそうに笑ってる顔を見たらどうでもよくなった。

俺も大概ツナには甘いよな……

ぽわぽわした毛を撫でれば気持ち良さげに目を細めて、ゴロゴロ喉を鳴らしそうだ。


「でぃーのさん。約束してください。
でぃーのさんはここから動かないでください。
そうしたらもう手出しさせないから。」

「……その前に教えてくれ。」

「なんですか?」

「なんで、こんなことしたんだ?」


す、とツナの表情が抜け落ちた。

けれどすぐにくすくすと笑いながらぽてりと頭を俺の胸に擦り付ける。


「それって俺の理由ですか?それとも比売神様?」

「2つ理由があんのか。」

「そですよ。でぃーのさんは人気者だもん。」


ヒメガミサマ……例の悪霊のことか……?

視界の端に揺らめくものを感じてそちらを見ると、ツナが握りしめた刀から赤い靄のようなものが立ち上っている。

……そういや前に神さまが金髪を恨んでるとかなんとか言ってたじいさんがいたな。


「比売神様は、でぃーのさんに恨みがあるんじゃないんですよ。
でも駄目なんです。キラキラしてるの見ると目の前が真っ赤になっちゃって。」

「なんでそうなっちまったんだ?」


裏切ったからだ。


声が二重に響く。

片方はツナの、もう片方は……以前、ツナの姿で襲いかかってきた声。
す、とツナが体を起こす。

声の重さとは裏腹に表情は笑ったまま。

だが片方の目が赤っぽい紫……いや、薄いピンクに黒を混ぜた変な色に変わっている。


知っていたのに、期限を。私達の期限をあの男には教えたのに。

「……期限?」

一年。いや、半年。……せめて夢でいてくれれば……


抑えきれない程の怒りと恨みが声には籠もっているのに、やはりツナの表情は変わらない。

……ツナの口だけを借りて話しているのか。


憎い。その髪が。目が。あれを思い出させるお前が。

「……とんだとばっちりじゃねぇ?それ。」

「本当にそうですか?」


急に、声がツナに戻った。

けど言われた意味を掴みかねてツナを見上げる。

目が合うと、ツナは小首を傾げて微笑んだ。


「……どういう意味だ?ツナ。」

「すぐ、分かります。きっと。」













続く…





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