10.不本意なチェシャ猫





「……やっと撒いたか……」


「恩人」は、ぜえはぁと荒い息を吐きながらそうひとりごちた。

彼は俺を抱えたまま屋敷の四階レベルの窓から飛び降りるわ、
森の木の上をひょいひょい飛び回るわ、
パンパン撃ち込まれる銃を避けるわとずっと動きっぱなしだった。

俺はというと邪魔にならないようにするのと舌を噛まないようにするのに必死でじっと大人しくしてるしか無かった。

だから多分、まだ彼は「俺」に気付いてないんだと思う。


「………………」


ひょこ、ひょこ、と猫の耳が彼の頭上で動く。周囲を探っているのだろうか。

やがて「安全」と判断したのか木の枝から飛び降りると、ようやく俺は地面に降ろしてもらうことができた。


「さー、説明してもらおうか、クロー」

「あ、あのさ。」

「!」


ぴん、と彼の耳が立った。近くで見てたから瞳孔が一気に縦に細くなるのも分かった。

……うわ、ホントに猫だ。警戒してるし。

「恩人」、いや「恩猫」は一歩引いて俺の顔を見ている。


「や。クロームじゃなくてごめん。」

「…………………………………っ」


引っかかれても困るので俺も一歩引いて片手を上げてみる。いつものように。

すると、彼の瞳孔がぎゅん、と丸く膨らんだ。



次の瞬間、がしりと肩を掴まれた。




「じゅ、じゅじゅじゅじゅじゅ、10代目!?本当に10代目……いや、10代目!!は!10代目、何故ここに何故あんなとこに何故そんなことに!?」

「……落ち着いて。落ち着こう、獄寺くん。」


がくんがくんと前後に揺さぶられながら「やっぱりこうなったか〜」と思う。

俺は抱えられた時にコロンで獄寺くんに気付いてたけど、彼はディーノさんの陰にいた俺を見ていない。

そのあとは煙幕の中だったし。

いつ言おうかと思ってたんだけどタイミング逃しちゃったんだよね〜……ザンザスやら屋敷の人たちまで出てきて銃撃始まっちゃったし。

…………って気持ち悪くなってきた……ガクガク揺さぶられ過ぎて。


「獄寺くん、獄寺くん。そろそろ俺酔いそうなんだけど。」

「はっ!す、すみません!!」


ぱ、と手を離されて頭を下げられる。

軽い目眩と吐き気に口を抑えてしゃがみ込みながら苦笑が出る。

あ〜……獄寺くんだね〜……さっきまでちょっと別人かとも思ってたんだけどやっぱ間違いないや。

目の前でわたわたしてる「恩猫」を見上げる。

ザンザスのうさぎ耳には驚いた。

けど彼の場合はオプションより服装のが凄いと思う。

……ショッキングピンクな猫耳と尻尾だけでもなかなか衝撃的だけど。

一言で言うなら「パンク」な感じだ。

黒い袖の無い上衣は丈が短すぎて胸しか覆ってない。対になるハーフパンツは腰履きだからウエストまわりが際どいとこまで露出してる。

首やら腕やらには金色の鎖がジャラジャラとぶら下がり、耳と同色のド派手な身の丈以上はある大きなファーを体に巻き付けている。

どこのビジュアル系バンドの人かと思えてしまう。


「獄寺くん。」

「はい!」

「なんか、凄い格好だね。」

「!!」


びこん!と耳と尻尾が動いた。そしてひくり、とひきつる顔。

……あれ?言っちゃまずかったかな?

そう思っていると、獄寺くんが明後日の方向に目を泳がせながら、ファーで赤い頬と腹周りをさりげなく隠す。


「あの、ですね……これはその、気付いたらなっていたというか。俺の趣味という訳ではなく……」

「ああ、うん。それは分かってる。」


いつも不良っぽい格好だけどなんていうかもっと品があるというかなんというか……

似合ってるけど、やっぱ獄寺くんの趣味では無い。

取り敢えず、ピンクは無いってことだけは確かだし。


「見苦しい格好を晒して申し訳ないッス。」


へこ、と下がる耳。………触りたい。

獄寺くんは見苦しいっていうけどその格好、着こなしてるし似合ってると思うんだけど。

センスと顔がいい男ってつくづくいいよなと思う。


「似合ってるよ、それ。」

「はあ。あんまり嬉しくないんですが…………10代目もよくお似合いで。」

「俺の趣味じゃな」

「分かってます、分かってます。」


嬉しく無いのは俺も同じだ。

言い募ろうとした口にぽふ、と尻尾が当たる。


「これはクロームの仕業です。あいつがアリスだとばかり思ってたんですが……」

「みんなそう言うんだよね〜。」


やっぱり期待するよねそりゃ。

クロームは「ふりひら嫌だ」で俺に押し付けたけど可愛い格好は可愛い子がしてこそだ。

俺なんて……誰も喜ばな


「いことも無いか……」

「?」


ぴらりとつまみ上げたスカート。さっき起こった身の危険を思い出す。

ザンザスといい、ディーノさんといい、なんか大分変だった。

この服、なんか変な効力があるんじゃないだろうな……

まじまじと青いワンピースを見詰めながら唸っていると、目の前に差し出される手。


「………」

「10代目?」


手から腕を伝って上げた目線の先にはぱちくりと目を瞬く獄寺くん。

……窺ってみてもディーノさんのような割増な気障さは無さそうだ。

しかしこの女の子にするような動作はなんなんだ。

普段から獄寺くんは過剰に過保護というか構いたがりというかアレだけどこんなことはして来ない筈。

疑うように睨んで見ても「どうかしましたか」と言いたげにきょとんとした目を向けられ、ぴこぴこと耳が動くだけだ。


「………」


俺は黙って差し出された手を掴んで立ち上がった。


「ったくこんな夢に引きずり混んでこんなコスプレさせておいて、あいつ自身は何やってんスかね。
声だけは偶に聞こえるんですが……」

「クロームなら夢の……って声?」

「はい。エコーがかかってて掠れ掠れなんですが。頭の中に響くんですよ。
さっきも『帽子屋』と『危ない』、『助けて』って単語だけ聞き取れて……だからクロームに何かあったのかと。
……実際はもっとどえらいことになってた訳ですが。」


パタパタと俺の体を確かめてから、安心したように笑う獄寺くん。

どえらいって……女の子の方がなにかあったら大事だと思うんだけど。

…………でも確かにさっきは助かった。本当に。

あのまま誰も来なかったらどうなってたんだか……俺の頭じゃ想像もつかない。つけたくない。

クロームも「なるべく危なくないように」してくれているようだ。

って言っても巻き込まないでいてくれたら一番いいんだけどね……


「獄寺くん、さっきはホントありがとう。」

「いえ!そんな大したことは……」

「あるの!ザンザスにも散々な目に合わされたけどディーノさんまでおかしくなって……ホントにどうしようかと。」

「ちょ、ちょっと待ってください、10代目。」

「なに?」


両の二の腕を捕まれてずい、と近付いてきた顔に思わず仰け反る。

瞳が猫科の眼になってるのもあってなんか迫力が……てか近い、近い……
ちょっと離れて欲しいんだけど。


「ザンザスに、何をされたんスか。」

「……………………………………」

「10代目。」

「……………………………………」

「10、代、目?」


区切るように呼ばれてなんかこう、圧力を感じるけど俺は明後日の方向を見て黙秘を貫く。

所詮、これは夢だ。悪夢もただの夢。覚めれば終わるものだ。起きれば関係ない。

ここで起きたことも全部消えるわけだ。

なのにその消える事項をわざわざ口にして再認識するのも嫌だし、第三者に知られるのも嫌だ。

そしてなにより獄寺くんに話すなんざ以ての外!!


「10代目!一体……」

「だ〜!!!!しつこい!!!!」

「あでっ!!」


がん、と迫っていた獄寺くんの額に頭突きを食らわせる。

いくら恩猫でもそれ以上は許さない。

俺も痛いけど、あっちはもっと大ダメージを受けている。


「っ〜…!!!!じゅ、10代目何を……」

「君に話したら一時の夢で終わる悪夢を現実までズルズル引きずることになるから絶対ヤダ。」

「そ、そんなこと!」

「あるだろ!!」


間髪入れずに叫べばぐ、と押し黙る猫。自覚はあるようだ。

「10代目のファーストキスの責任取りやがれぇぇ!!」なんてダイナマイト両手に暴れられた日には俺は屋上から飛ぶしかない。


「……分かりました……聞きません。」

「うん、そうして。」


しおしおと耳も尻尾もへたっている獄寺くん。

獄寺くんだけど猫なんだよなぁ……流石になんか可哀想に思えてきた。

そろりと頭の上のピンクの毛並みを撫でようと手を伸ばす。


「!」


ビコン、と伏せていた耳が立ち上がった。

顔を上げた獄寺くんが今さっき来た方角を睨む。


「ちっ……もう追いついて来たか……」

「え!?」


ひくひくと動く猫の耳。

俺には何も見えないし聞こえない。けれど獄寺くんには全て分かっているようだ。

まさか追っ手?つかまだ諦めてないの!?


「撒いたんじゃ……!?」

「ここも跳ね馬の領地なんで、どこにいるのかが分かるのかも知れないんス。」

「そんな無茶苦茶な!」

「無茶が通るから悪夢なんです……仕方ねぇ、一旦あいつの領土まで引くか……失礼します。」

「え……わわっ!?」


背中に回された腕で上半身を抱え、膝裏を掬われる。

体が浮いたと思うと、次の瞬間には音もなく木に飛び上がっていた。

獄寺くんは両手に俺を抱えたままひょいひょいと木から木へと飛び移っていく。

猫というかもう忍者のようだ……








続く…





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