第十九話 「ぐ…」 僕としたことが…不覚ですね… 腹部に刻まれた刀傷。 深くはないが一族屈指の巫女の呪詛…逃げ出すのがやっとだった。 しかし…これくらいなら問題ない。 目を閉じ傷の無い腹部の幻影を被せる。脳裏にそれを焼き付け目を開ける。 「………」 傷は消えた。 違和感が残るが少しの間は動けるだろう。 身を潜めていた大木の枝を蹴り隣の枝に移動する。 一族所有の敷地内は全て把握しているが…10年は経っている。 流石に全てそのままとはいくまい。 「良くない…予感がしますね…」 あの女…綱吉くんに危害を加えることはないと果たして言い切れるだろうか。 呪縛は緩めた。動けるようにはなっているはず… ぞわりと悪寒が走る。 早く綱吉くんを連れてここを離れましょう。ここは嫌な気配しかしない。 「………………」 葉の陰から屋敷を見やる。 憑依は出来ないものの命に槍で傷は負わせられた。居場所くらいなら分かる。 問題は彼の居場所…多分移動させられている筈。 さて、どうやって探しましょうか… 何かが動いた気配に木の下を覗く。木々の中を走っていく少女たち。巫女見習いだ。 皆一様にある方向に向かっている。 「あそこは…」 10年前には無かった塔。今までそこにあることに気付かなかった…きっと厳重に術がかけられているのだろう。 塔の入り口には猟銃を持った男数名と各々武器を持った少女たち。 …あの銃、麻酔銃のようですね…まるで生け捕りにしなくてはならない獲物を待っているようだ。 「…実際にそうなのでしょうけど。」 あの厳重さ。如何にも大事なものがありますと言わんばかりだ。命の気配もあそこからしている。 綱吉くんがいるか…そうでなくともあの女にとって弱みになるものがあるか、だろう。 「まずはあそこからいきますか」 槍を顕現させゆっくりと立ち上がる。 麻酔銃?僕はそんなお薬では眠れませんよ。 「これくらいは…やっていただかないとね…」 瞳に浮かぶ紋を六から一に変える。 さあ、鴉の復讐の始まりです。 姫神様はどう対抗されるのでしょう? * * * * ――動けない。 指も足も何一つ動かすことができない。 命さんに首を締められて意識を無くす寸前に何か飲まされたのは覚えてる。多分それのせいだと思う。 俺は大きな椅子に座らされたまま、もうどのくらい時間が経ったのか。体の感覚も無いからなんかおかしな感じ… キィ… 扉が開く。 入って来たのは命さんだった。 「つな。綱吉。」 両腕を差し伸ばして、命さんは俺の名を繰り返す。 触れられる寸前に身を引こうとしたけれど、やっぱり体は無反応だった。 「命さん」と呼ぼうとしたけど声も出ない。 どうなってるんだ…?俺の体に何したんだよ…! 命さんは俺の頭に頬を強く押し当てて髪を撫で始める。 「っ…ぅ…」 「無理は禁物ですよ。本当に声が出なくなってしまいます。」 「命様、お急ぎください。」 「分かっています。」 命さんの他に若い女の人が二人、部屋に入ってきた。 彼女たちは黒い修道女のような服を着て手に鴉の入った鳥籠と盥のようなものをそれぞれ持っている。 鴉は籠の中できょとんとした目をしてじっとしている。 …なんだ? ぼうっとした頭でそれを見ていると、命さんに人形のように抱えあげられる。 「さあ、姫はお部屋を変えましょうね。では、お前たち。任せましたよ。」 「「はっ。」」 何をする気だろう? 部屋をでる前に鴉と目があったような気がした。 廊下にでた後も、俺は命さんに後ろ向きに抱えられているから室内の様子がよく見えた。 女性達が盥と鳥籠をテーブルに置いて、一人が鴉を籠から出す。 もう一人は盥の中から短剣を取り出して… 「!」 「見てはいけません。汚れます。」 視界を白い手に覆われる。 それでも耳には鈍い刃物の音と鳥の哀れな鳴き声が聞こえてしまう。 「…っぁ…」 カタカタと体が震える。 鼻をつく血の匂い。 まさか、殺したの…? 「ごめんなさい、姫には刺激が強かったようですね。」 「…で……」 「はい?」 「…んで、こんなこと…っ」 絞り出すようにしてやっと声を発す。 でもまだ体は全然動かないから命さんの顔を見ることもできない。 「結界…のようなものです。ここも嗅ぎつけられたようですから丁度いい。 さっさと捕らえて心臓を捧げてもらいましょう。」 「けっか、い?」 「そうです。鴉の血で四方に穢れを作り、骸が中に入ったところで陣を完成させる。 そうすればもうあれに逃げ場はありません。 …見え見えの仕掛けですが姫がいる限り必ずあの男は来ます。必ず、ね。」 「っ…」 歩みが止まった。扉を開くのが振動で伝わってくる。 どうしよう…このままじゃ骸が来てしまう。 あいつの強さは分かってる。でも…この人も、強いと思うんだ。 それでも、骸は罠と承知で中に入ってくる。 …足手まといどころか餌にされるなんて、俺ってどこまでダメツナなんだろ… 自己嫌悪に陥っている間に部屋の中心についたらしい。 そこに置かれた安楽椅子に降ろされる。 相変わらず指一つ動かせない体は本当に人形になってしまったようだった。 「さあ、姫はここでいい子にしているんですよ。」 「…ぃことさ、まって…」 額にキスを落とし去ろうとする背中に必死で呼び止める。 思うとおりに口が動いてくれなくて、声も小さくしか発せない。 でも命さんは立ち止まってこちらを振り向いてくれた。 「やめて、くださぃ…むくろを、ころしちゃ」 「嫌です。」 にっこりとして命さんが言い放つ。 俺が言葉を失っていると命さんは愉しげな顔で口を開いた。 「あの男の方が先に姫を見つけていただけなのに、姫は骸のことばっかり… あいつが来ると嬉しそうで、あいつの方が気持ちよさそうで、あいつの心配ばっかりして… 一緒なのに。全部一緒なのに、あいつが男だから。 姫は骸がいたら僕のお人形になってくれないでしょう?」 「みことさ…っ」 息を感じ取れる距離で見つめ合う。 瑠璃の双眸にはほの暗い光が宿り、捕まれた腕と肩に爪が食い込む。 怖い。 初めて会ったときの骸みたいだ… 「ほら。僕にはそうやって怯えるのに。」 「ちがっ…んぅっ!!」 顎を掴まれて唇を塞がれる。 逃げようとしても体は全く動かないから舌を絡め取られて好きなようにされてしまう。 「ん…ぅんっ…んむっ!」 !! 何か、また…! 気付いた時にはそれを嚥下してしまった後だった。 「なに、のませっ…」 「黙りなさい。」 「んむっ…」 唯一の声も封じられて命さんの気が済むまで口内を侵される。 ようやく解放された時は苦しくて… 「!!」 声が、出ない。 さっきまでの比じゃない。唸ることもできない。 完全に、声が出ない。 俺が目を見開いていると命さんの声が降ってきた。 「人形なのだから、声なんていらないでしょう?」 「…っ……っ!」 「逆らうだなんて悪い子…まだおしおきが足りないらしい。」 ガッと髪を掴まれて上向かされる。 部屋が暗いから顔が見えない。でも怒っているのは分かる。 「………そうだ、骸に会わせてあげましょうか、姫。」 命さんは不機嫌な顔から一転、嘲笑うような顔で俺を見下ろす。 「骸の最期に。 心臓をえぐり出すその場に立ち会わせてあげる。綱吉。」 「!」 ニィと笑う顔は、凶々しいくらいに綺麗だった。 続く… |