第十話






あちらこちらで立ち上っていた水柱が徐々に弱まっていく。

ようやく世界が静けさを取り戻した。

僕らが地に降り立つと化けくじらも小さな海にその巨体をくねらせて着水する。

その後に続いて大きな真珠のような球体も二つ、水面に降りてくる。


「呆気なかったですね。」

「界の主が協力してくれたからってのもあるけどザンザスの力が半減してたからね…
じゃなきゃこんなに大人しく封じられたりはしないよ。」


球体の一つに触れ、綱吉くんがそう答える。

この白い球体の中に二人の悪魔がいるのだ。

化けくじらが現れてからは先程までの苦戦が嘘のようにあっという間に決着がついた。

夢で創られた世界というのは主の精神のみで保たれる。

それが強みであり、また弱みでもあるのだという。


『これでようやく静かに話ができますわ、若君。』

「うん。」


化けくじらが頭をもたげて獄寺に抱き上げられている綱吉くんと目線を合わせる。

恐ろしく見える形相とは裏腹に明るい緑の瞳はまるで悪戯猫のようだ。


「化けくじら…は失礼か。なんて呼べばいい?」

『あの子…友人にはリトルと呼ばれていました。』

「リトル?」

『大きいくせに気が小さいから、だそうですわ。』


くすくすと笑う声は若々しい。

綱吉くんが鼻先を撫でるとペロリと真っ青な舌を出した。

仕草は愛玩動物だ。元来は人懐っこいのだろう。

気絶した僕の意識に話しかけて来たときもどことなく嬉しそうだった。

思えば久方振りの客に喜んでいたのだろう。

今も綱吉くんの頬を舐めてブンブンと尾(?)を振っている。


「?どしたの、獄寺くん。」

「いえ…大分イメージと違うと思いまして。」


まじまじと化けくじら――リトルを凝視している獄寺。

自分だって「王子」とは程遠い性格をしているくせによく言いますね…


『ふふ…物語に書かれてるのは少しやんちゃが過ぎたことだけです。
それに、大分大袈裟にされてますわ。わたくし、菜食主義ですもの。』

「じゃ、なんで生け贄なんか…」

『さあ?神様も暴れてくるように命じられただけでしたのに人間たちが勝手に捧げようとしただけですもの。』

「……ああ、成る程。よくある話だな。生け贄好きだからな、人間は。」


真顔で答える獄寺にリトルは目を瞬かせる。

綱吉くんも噴き出して笑っている。

僕は彼以外の人間となど話したことはないけれどかなり変わっていることは分かる。

当人だけが訳が分からないと言った顔で眉間に皺を寄せている。


『ひとりは退屈で仕方がありません。
同じ海に住まう方が訪ねてきてくださるなんて本当に久しぶり。
さあ、なにを話せばよろしいかしら?なんでもお答えしますわ。』

「リトル。人魚の声について何か知らないかな?」

『人魚…?美声ののど飴の話でしょうか…それともセイレーンの伝説かしら?海に消えた勇者の逸話を?』

「そ、そうじゃなくて!」


今にも嬉々として語り出しそうなリトルを慌てて止める。

僕個人としては是非ともその話も聞かせていただきたいのですが…だって面白そうじゃないですか。

でも今は時間が限られている。

早くしないと球体の中の二人が目覚めてしまう。


「貴女の友である魔女が所有していたものなのですが。ご存知無いですか?
人魚姫が足と引き換えにしたという…」

『ああ、それならば。あの子がいつも大切そうに首から提げていましたもの。あの黄色い宝石ですわね。』

「!」


黄色い宝石…?

何百年も形状が不明だったはず…まさかこんなにあっさり判明するとは。


「それは、間違いないの!?」

『ええ。いつかお返ししなくてはならないものだからと話していましたもの。』

「返す…?」

『お姫様が海に帰られたその時にお返しするのだと。それはそれは大切にしていましたわ。
だからまさかあんなことになるなんて…』

「ま、待て!ならなんでそんな大切なものを人に売ったりなんか…」

『とんでもありませんわ!!』


それまで穏やかに話していたリトルの瞳に怒りが宿る。

ここにはいない何かを憎むように虚空を睨む。

神話での姿が垣間見えたようだ。


『あれは売ったのではありません!預けたのです!
あの子は海の者。己の私利私欲の為に海の至宝を売ったりなどするものですか!
いいですか。あれは奪われる危険があったのです。
だからこそ彼女は致し方なくあれを海から遠ざけたのです。
あの子の誇り高い魂に誓いますわ!!』

「奪われる…ってもしかして、海王に…?」

『ええ。そして七大悪魔に。一介の魔女では敵うはずもありません。
もちろん、わたくしも…だからこそあの子は己の手の届かぬ所へ、そして絶対に悪用できぬ者の元に『声』を預けたのです。』

「それは、だれに…?」


綱吉くんの問いに、リトルは目を細める。

表情が分かるはずもないのに僕にはそれが笑ったように見えた。


『わかりませんわ。恐らく、あの子自身にも。』

「え?」

『知っていたら意味がありませんもの。そうでしょう?』

「そうか…だから人間の手に…」


ぽそりと獄寺が呟く。

僕と綱吉くんは訳が分からず顔を見合わせる。


「人魚の声は悪魔にとっては利用価値のある代物ですが人間にとってはただの宝石に過ぎません。
だから誰でもいいんですよ、渡すのは。人間でありさえすれば。
『声』が宝石である限り人はそれを捨てるはずがありません。
様々な装飾具に姿を変え、または展示されながら人の手を渡り今も存在する。
一方悪魔はそれがすぐ近くにあったとしてもその正体には気づけない。
なにせ形状が分かりませんからね。まさに灯台元暗しです。」

『そのとおりですわ』


ユラユラと尾を揺らし、リトルが答えた。

また穏やかな色を取り戻した目に僕らが写り込む。

その表情は晴れやかだった。

友の汚名を晴らせたからだろうか?

綱吉くんはごつごつとした化けくじらの鼻先に身を乗り出して抱きしめる。


「ありがとう、リトル…」

『お役に立てまして?若君。』

「うん。話せて良かった。」

『わたくしもですわ。』

「…10代目。」

「分かってる。」


月が頂点を過ぎている。

ずっと夜のままのこの世界ではあの月だけが時を刻む。

大分時が経ってしまった。夢の主が起きたままでは夢は消えてしまう。

リトルはまた眠るのだ。この世界で独りきりで…――

獄寺が綱吉くんを抱え直す。

綱吉くんは名残惜しげにリトルの鼻に触れる。リトルもその手を舌で舐める。


『さあ、そろそろ戻られた方が良いですわ。わたくしはまた眠ります…』

「うん…これは俺が引き取るから安心して。」


綱吉くんがべしべしと二つの球体を叩く。

その後ろで獄寺が顔をしかめる。

当然か…「引き取る」ってことは獄寺の家に連れて行くって事ですからね…

しかしリトルは『いいえ』と言うと球体を僕らから遠ざけてしまう。


『そちらの天使から大体の事情は聞かせていただきましたわ。
あなたの居所を知られてはまずいのでしょう?
ならばわたくしが預かりましょう。短い間ですが時間稼ぎにはなるはず。
どちらにしろ私の居所を七大悪魔に知られてしまった…彼らはわたくしがあの子と友であったことを知っていますもの。
いずれは捕まってしまうことでしょう。
彼らに知られる前に、若君。あなたが『声』を手に入れてくださいな。
あれの破壊を望むあなたが、あなたこそが誰よりもあの子の遺志に、そして海の意志に近いはずですわ。』


だらりと垂れたままの綱吉くんの翼。

今は役にたたないそれをリトルはちろりと舐める。


『若君。あなたも海に愛されていますわ。これがその証拠。いつかわかる日が来ます…』

「!」


囁くような声に綱吉くんの体が揺れた。

翼が愛されている証拠…?空ではなく海に?

どうしてそう言い切れるのか…

問い返そうとして顔をあげる。

しかしその時にはもうすでに化けくじらの姿も悪魔の封じられた球体の姿も、海面から消え去った後だった。


* * * *


優しくて強くて揺るがない緑の目。

一人残されても褪せない友情。


「どうかひまひたか、10代目。」

「…リトルとおんなじ目。綺麗。」

「?」


ぐに〜っとほっぺたを引っ張る。

獄寺くんは歩きながらされるがままになっている。

おんなじ。10年前から変わらない。

リトルもずっと変わらないのかなぁ…


「ぐに〜。」

「ひたひですって…」

「綱吉くん、獄寺の顔が面白くなっちゃいますよ。」

「じゃ、骸だっこ。」

「顔引っ張らないでくださいよ…」

「だったらいいもん。」


がっしりと獄寺くんに組み付くと肩の揺れで笑ったのが分かる。


「どうしたんですか?今日は甘えん坊ですね。」

「ん。……いいなって思って。」

「?」


死してもなお思ってくれる友。その名誉のために怒ってくれる人がいる。

彼女たちの友情が、尊くそして…


「羨ましいですね…」

「!」


骸を見れば寂しげに笑っている。

…骸も、ずっと閉じ込められていたからね。

俺とおんなじ。


「さて、早く戻りましょう。手掛かりができましたし…白蘭に連絡してみますか。」

「そだね。」

「でも、ウチあいつは信用しない方がいいと思う。」

「わかってるよ。でも情報屋としての腕は確かだし。」

「う〜ん…それは認めるけどでも胡散臭い。」

「それはたしかに…ってぇ!?」


ちょっと待て!!

自然に会話してたけど誰だこの声!!

獄寺くんと骸が背後を振り向く。


「ぷひっ。」

「!」


………………ブタ?


「プゥだ、よろしく。」

「ぷひひっ。」


場違いなほどのんびりとした声。

ブタから顔を上げればそれを抱えた金髪の男と目が合う。


「………誰。」

「ウチ?スパナ。アス…ビアンキの友達。そんなに警戒するな、怪しくない。」




充分怪しいよ…








続く…





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