第九話






「あら。」

「ん?」


『色欲』の視線を追い窓を見る。

血が滴るような赤い月。

藍色の空を侵略するかのような凶々しい光。


「…綺麗ね。」


うっとりと呟く相手になんと返そうかと悩む。

ウチは赤より白い月の方が好きだ。

周りからはおかしいと言われているがそう感じる。

ウチが黙っていると『色欲』はクスクスと笑いながら湯呑みを「チャブダイ」に置く。


「分かってるわ。あなたの好みは。独り言だから気にしないでちょうだい。」

「……ん。」


『色欲』はいいやつだ。

ウチが悪魔としては変わった趣向なのを「おかしい」って言わないから。

湯呑みに2杯目を注いでいるとちょろちょろ『色欲』のサソリが歩み寄ってきた。

すり寄るように手の近くを動き回るのでその背を指先で撫でてやる。

じっとしてて大人しくて可愛い。


「よしよし。」

「…その子にそうやって接してくれるのはあなたくらいだわ。」

「どうして?可愛いのに。」


疑問に思ってそう尋ねれば『色欲』はにっこりと笑う。


「そうね、可愛いのに。」

「ん。…お代わりは?」

「戴くわ。」


脇で眠ってたウチの分身獣である白いミニブタ――名前はプゥだ――の背に盆を乗せる。

途端、パチリと目を開けてプゥはとてとてと『色欲』に向かっていく。


「ぷひっ」

「はいはい」


『色欲』が湯呑みを盆に乗せるとプゥはウチの前まで戻ってくる。

湯呑みの中にお代わりを注いでやるとまたとてとてと『色欲』の足元まで歩いていく。


「ぷひひっ!」

「ありがとう。お利口ね、プゥ。」

「ぷひゅ。」


頭を撫でられてプゥはご機嫌に鼻をならす。

ウチは2杯目の茶を啜りながら窓を見やる。

……赤く大きな月はやはり不気味だ。


「で、話戻すけど。」

「どうぞ。」

「ウチが作った形成薬は、そのものを作り替える訳じゃないんだ。
一度、元の物質を分解して消去し、自然界から新たな分子を得て物質を形成する。
つまり、正確には『作り替える』じゃなくて『すり替える』という感覚だ。」

「…なら、対象が呪われたものであったとしても」

「関係ないな。物質自体が別物なわけだから。」

「そう…」


プゥがまたごろんと床に寝転がる。

ウチはわしわしとその背を撫でながら飴の無くなった棒を口から取り出す。



―――形成薬を譲ってほしい。

そう『色欲』が頼み込んできたことがあった。

理由は聞かないで、誰にも秘密で、と。

『色欲』はいいやつだし茶飲み友達だからウチに断る理由は無かった。


しかし一体何にあの薬を使ったんだろう?


今日久しぶりに現れた『色欲』は頻りにあの薬について質問をぶつけてくる。

その時はなにも疑問に思わなかったが…これで気にするなと言う方が無理だ。


「…アスモデウス。」

「なに?」

「答えは出来ればでいい。ただ気になってるだけだからな。」

「?」

「一体、「なに」に形成薬を使ったんだ?」


新しい棒付き飴の包みを開けて指に挟む。

視線を『色欲』に向ければ彼女は黙ってこちらを見つめている。

その目に不穏な光が宿っているのを見て、ウチは両手をあげる。


「誤解するな。アンタのやっていることを暴こうとかそういう魂胆じゃない。
ウチの研究が中途半端な結果を出していたとしたらウチのプライドが許さないからな。」

「………」

「形成薬を使用した「もの」に不調が出ているんだろ?
しかも、それはアンタにとっては相当、大事なものらしい。
直したい、だがどうにもお手上げ。
それでもどうにかしたくて、こうやってウチに尋ねられるのを承知で来た。違うか?」

「………」


飴をくわえ、強い眼光を真正面から見つめ返す。

先に折れたのはあっちだった。

『色欲』は息を吐き出すと髪を掻き揚げる。


「ええ。その通りよ。……敵わないわね。」

「当たり前。ウチに勝とうなんて1000年早い。」


ウチがこの役目についてから何人の『色欲』を見てきたと思ってるんだ。

引きこもってたせいか、ウチは悪魔の中でも格別に長生きしてるからな。


「信用しろ。ウチは友人は裏切らない。」

「…元より大罪より美徳の勝るあなたを疑うつもりは無いわ。」


分身獣のサソリを手に乗せ笑う『色欲』。


七大悪魔を継ぐ者は全て名と比肩する大罪を継ぐ。

だが実はあまり知られていないが大罪とは別にそれぞれが司る美徳も存在している。

ただ美徳を受ける者はかなり珍しい。

例えば…『色欲』の美徳は『愛』だ。

ビアンキというこの当代の『色欲』は大罪と共にこの美徳も受けた稀なタイプだ。

そしてウチの美徳は『知恵』。

ウチの場合は大罪を一切継げなかった。

まあ邪魔だったから助かったけど。


「なら構わないな。聞かせてくれても。」

「……私が話したくなかったのはあなたも巻き込みかねないからだったのよ?」

「けど、その不調をウチならどうにか出来る。」

「……………」

「ぷひ!」


「そうだ」とでも言うように『色欲』の膝に乗り上げプゥが鳴く。

彼女はふ、と笑い顔をあげた。


ようやく話す気になってくれたようだ。

プゥのお手柄だな…今日のおやつは飴2本にしてやろう。









続く…





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