第十六話 「…………ふ」 な〜んか面白いことになってるね。 このまま立ち聞きしてたいけど、そろそろ止めた方が良さそうだ。 内側から思い切りよく扉を開ける。 「は〜い、お待たせ獄寺クン。話終わったよ〜。」 「っ!白蘭…」 「あれ?スッくん、帰ったんじゃ無かった?」 話は大体聞いてたから獄寺のシナリオに沿ってみる。 目に見えてほっとしている青年。 主が主なら従者も従者だね。無茶しすぎ。 「それとも忘れ物とか?」 「…いや。知ってる奴の気配がしたからな。見に来たんだが…気のせいだったらしい。」 気のせい、って顔してないよ。明らかに疑ってるじゃないか、それ。 でも彼ともそれなりの付き合いだ。僕が口を割らないのは重々承知しているだろう。 スッくんは早々に睨み合いを切り上げ、袖に隠していた剣で空中を罰字に斬る。 そこから空間に白い切れ目が走り、歪みができる。 「今日のところは帰る。…また来るがな。」 ――近いうちに。 そう言いたげな目だね。 刃のような天使が歪みの向こうに消える。 歪みが溶けるように消えた途端、獄寺がずるずるとしゃがみ込む。 「っっはあああ〜……」 「お疲れ。」 「あいつ、プレッシャーが半端ねぇ…」 「そりゃそうだろうね。当代のガブリエル様だし。」 「……………超有名なのじゃねぇか…」 知らないで対峙してたのかい。 まあ、むしろ知らないからできたのかな。 獄寺は煙草をくわえオイルライターで火を着ける。 精神安定に一本…てとこかな。それくらいなら付き合ってあげようか。 扉に凭れて空を見上げる。一雨来そうな空模様だ。 今の彼らを現しているようにも見える。 ほんの僅かなきっかけでこの平穏は崩れるに違いない。 その時が楽しみだ…ね? * * * * 椅子から立ち上がる。それだけの動作にも時間がかかる。 皮膚はまだ縮んだように痛み、足の骨も不自然に軋む。 「まだ…駄目か…。」 手を握り、開く。指先の違和感は消えた。 関節の皮膚が割れ血が滲む、ということも減ってきた。 これは人間で言うところの「成長痛」だろうか。 するすると首をもたげ肘掛けに頭を乗せる分身獣。その頭を撫でれば滑らかな手触り。 「心配いらないよ。着替えるだけだから。」 いつまでも寝間着のままとはいかないからね。 つい、と視線を上空に浮いている光の窓に向ける。その中の一枚が、回転しながら降りてくる。 そこに映るのは二人の男。 一人は白い、支那を思わせる服を着た情報屋。 そしてもう一人…―― 「育ったもんだね…『王子様』も。」 玉石の目と銀糸の髪。 眉間の皺と煙草が無ければ完璧なんだろうけど。 口角がつり上がる。 見るまでその存在すら忘れていた、あの子の契約者。いや、だったもの…か。 「……ふ。」 成人してしまった少年。契約も当に切れていることだろう。今はもう関係ない。 指を横に振ると画像の時が戻っていく。 そして、ピタリとあるところで止まった。 『目』が映すものが必ず真実とは限らない。 どんなところへも入れる所謂ステルス機能はついているが幻術を破る能力は持ち合わせていないからだ。 情報屋は客の出入りを悟られる事すら信用に関わる。 だからこそ目眩ましは完璧。正直あまり期待はしていなかったのだ。 けれど… 「イレギュラーには弱いんだ…良いことを知ったな。」 窓に映るのは、青年と少年の狭間の者。その背には忌々しい白い翼がある。 かれは情報屋の『客』では無かったのだろう。だから目眩ましの範囲ではなかった。 「……ふん。」 この天使は僕の探し物ではない。 成年ならば不思議に思うことなど何もない。けれど子どもの天使が下界にいるとなると… 「報告…すべきかな。」 もうじっとしているのにも飽きたし、体を動かすついでにね。 本当に久々に相棒とも言うべきそれを握る。 筋力か体格のせいか、以前より軽く感じる。 その鉄器を服の中にしまい、甘えるように擦りよる分身獣を肩に乗せる。 明らかに変わった目線。身体能力の方も格段に上がっている。 今から試すのが楽しみだ。 * * * * 「大丈夫ですか?」 日が暮れかけた庭園。 見上げる翡翠はいつもより遠い。 「うん。平気。」 繋いでいた手を離す。 歩くのは初めてじゃないけど…二本の足で立ち、歩く。それだけなのに胸の奥がくすぐったい気がする。 いつもより近い薔薇の低木と土の匂いを吸い込む。 自分の足で立つ。これが、『自由』。 足の裏に無数の刃を踏むような痛みは無い。 「風火輪、調子はどうですか?」 「ん。悪くないけど…やっぱ浮かんでるのがまだ慣れないかな…そのうち気にならなくなると思うけど。」 走ってジャンプして片足で立って。 いろいろ試してみると爪先立つのが不安定でできないことが分かった。 キャップを目深に被った骸は生真面目な顔でメモを取り、獄寺くんはその後ろからゆっくりとついてくる。 「あんまりはしゃがないでください。転びますよ。」 「お父さんみたいなこと言わないでくれる。」 「保護者という点では当たってると思いますが。」 「……言うね。」 でもいいんだ、今日は気分がいいから。 人通りの少ない、公園に付属の薔薇庭園を歩きながら知らず口が笑ってしまう。 もう得ることはないと思っていた自由。 一時的でもいいんだ、それが手に入った事が嬉しくて仕方がない。 「10代目。」 「うん、分かってる。」 歩み寄ってくる獄寺くんに両手を伸ばす。 この靴はまだ試験段階。耐久性が低いって言ってた。 改善点も多い。外で使うにはまだ早いらしい。 屈み込む獄寺くんの首にしがみつく。 背中と膝の裏に手が差し込まれて、あっという間にいつもの目線の高さ。 あ〜あ…もっと歩きたかったな… 隣に並んだ骸が苦笑しながら俺の眉間に指を押し付ける。皺が寄っていたみたいだ。 「次には完璧に出来るってプゥが言ってましたからそんな顔しないでください。」 「スパナの腕は信用してるよ…」 「だったら」 「気にしないでよ。」 自分の無力さ痛感してるだけだから 自在に歩ける自由を堪能したあとだから尚更…ね。 移動すら人に頼らないとならない。獄寺くんという牽制がいなければ簡単に弱みを掴まれる。 …………弱いなぁ。ホント。 「しかし、試作品とはいえ風火輪が出来たのは良かったな。10代目お一人でも行動が出来るのはありがたい。」 「?何故ですか?」 「気兼ねなく戦えるから、でしょ。」 俺の翼は時間制限がある。 別々に行動することは今までもあったけど獄寺くんは常にそれと距離を気にしながら戦ってたからね。 骸が来てから、ある程度は融通がきくようにはなっていたけど。 それに…―― 「追われてるのはお前だけじゃねぇからな。」 「は?うわっ!」 見上げる骸のキャップのつばを掴み引き下ろす。さっきのお返し。 慌てる骸を笑いながら、こんな風に過ごせるのもあとどれくらいだろうと考える。 悪魔に骸の存在は知られた。あの店にはしばらく近づけない。天使も疑ってるみたいだし… なにより、あの人が目覚めた。逃げ場なんてどこにもない。 着実に、包囲網の輪は縮まっていく。 「いたずらしないでください!」 「やあだ。大体骸って……獄寺くん?」 突然、獄寺くんが足を止めた。 銀杏の木が並ぶフェンスの向こうを見つめる彼に習い、同じ方を向を見ようとして頭を胸に押しつけられた。 「なに…?」 「いえ、ただの気のせいだと思うんですが…」 なにか、いる? 首を動かさず、目線だけでそちらを見やる。けれど俺にはなにも見えなかった。 「骸、先に帰れ。道は分かるな?」 「獄寺は?」 「…少し、気になることがある。」 長身の獄寺くんが骸に体を傾ける。『そちらに移れ』ってこと? 彼の首に回していた腕をほどいて骸の方を見る。 骸の広げられた手に抱えられ、さっきより高くなった獄寺くんを見上げる。 交わる視線に、彼はやんわりとした笑いを浮かべ、俺達に背を向けて歩き出す。 「…一体…」 「帰ってから聞けばいい。行こう、骸。」 骸の首に腕を回して、背中越しに去っていく獄寺くんの後ろ姿を見やる。 あの笑い方、隠し事してる時の顔に似てる…最近はしなかったのに。 実際の距離よりも遠くに感じる背中を、俺は見えなくなるまで見つめていた。 続く… |