第十七話







宝珠の名に相応しい、青い輝き。

その中に浮かぶ白い華奢な体躯。そしてそれを貫く海王の宝剣。


「まだ…起きる気配はないのか?」

「リヴァイアサンがその気にならない限りは無理かと。」

「そうか……っつ!」


宝珠の表面に触れようとすると、僅かな痛みが走る。

よく見ると青白い光があちらこちらに光っている。

…電流とは…やれやれ、奴の嫉妬深さを舐めていたようだ。

指先から流れ出る血を拭い、宝珠に背を向ける。


「まあいい…時期が来たらこれにも役に立ってもらわねばな。」

「はっ。」


部下を伴い、部屋を出る。

作業員達が宝珠の点検を再開するのを確認し、扉を閉める。

久々に見たが…やはりなんの感慨も浮かばない。

痛々しいとは思うが…逃走措置ならば仕方ない。


「冷たいのね。」

「!」


いつから居たのか。

俺の背後にアスモデウスが立っていた。

くすんだローズピンクの髪を一房、指に巻きつけて不機嫌な顔をしている。


「アス…お前も来たのか。」

「あいつが彷徨いてるところになんか居たくないわ。顔も見たくないもの。」

「…お前たちの確執も深いな…」


そんなにリヴァイが嫌いか。

喉の奥で笑うと、睨まれてしまった。美女の怒り顔は怖いな…


「あれに会うなら…」

「いいえ。見たくないわ。」


扉を開こうとした手を捕まれる。

予想しなかった反応に目線を上げる。その横顔には本気の怒りが伺えた。

……会いたがっているとばかり思っていたのだが。


「意外だな…お前たちは仲が良かったとばかり…」

「だから。」

「なに?」

「だから見たくないの。」


ネフライトと同じ輝きの瞳。

俺と違い、美徳をも継いだ同族。

…彼女の顔をまともに見たのは本当に久しぶりだった。

何故ならばこの瞳が好きではないから。


「………前のあなたなら、きっと同じ事を言ったでしょうに。」

「………………」


刺すような眼光が緩む。

哀しげに笑むと、アスモデウスは踵を返した。


「アス…ビアンキ。」

「ツナにならいつでも会えるわ。…あんな姿、もう見たくないの。」

「…………」

「それじゃあね、ルシフェル。」

「ああ。」


ヒールの音を響かせ去っていく女悪魔。

その背を見送り、彼女と真逆へ向き直る。

――ルシフェル…か。

いつからそう呼ばれるようになったのか。

アスモデウスは仲間を悪魔名ではなく真名で呼ぶ唯一の存在だった。


俺の名を呼ぶ者はもういない。


どうでもいいことの筈なのに、何故かしこるようにその事実が胸に残った。


* * * *


甲高い、機械にも似た悲鳴が上がる。

そのまん丸い容姿と相まって、見る者によっては憐憫の情が湧くに違いない。


だが俺にそんなものはない。


「ピィィィィィィィィ!!!!」

「…逃がすか。」


小規模な風の渦を起こす。

小さな体が風の檻に翻弄され墜落する。すかさずそれを鷲掴む。


「キィ!ピィィ!」

「うるせぇ!」


容赦なくそれを握りつぶす。

途端に小鳥――の形をした呪具――は光になり弾け飛ぶ。


「…はぁ…」


今日だけで三匹…偽物とは分かっているが気分が悪い…っ!くそ!!

白蘭の店に行って以来、付きまとうようになった小鳥の斥候。

始めは骸を狙っているのかと思っていたが、あの後別行動をとっても視線を感じた。

追われているのは俺か…?だが屋敷ではこいつらの視線を感じない。

怪しいのはこないだの天使だが、それにしたって見張られる理由が…


「やあ、変わったご登場だね!」

「したくてしてるわけじゃねぇよ…」


広場の大樹から飛び降りると、呑気に拍手をしている白蘭がいた。

服についた葉を払い落としながらヤツを睨みつける。

ったく…自分で呼び出しといて遅れるたぁどういう了見だ…。


「君も付きまとわれてるんだ。」

「あ?」


白蘭が二回手を打ち付け、自身の服を払う。

すると服に刺繍されていた白い竜が蠢きだした。

驚き口を開閉させる俺を余所に、白蘭の振り上げた手の先へ滑るように竜が実体化していく。


「じゃ、よろしく〜。」

「おい、白ら…」

「まあ、見ててよ。すぐ見つけるから。」

「??」


小さな白龍が夜空を駆ける。

それは迷い無く広場の大時計に飛んでいき、ぐるりと一周し戻ってくる。

…口に、黄色い物体をくわえて。


「ピピィィィ!!!!」

「……これ。」

「可愛いよね。うちのマスコットにしようかな。」


竜にくわえられたままジタジタ暴れる小鳥。さっき俺が消したのと全く同じものだ。


「お前もつけられてるのか?」

「店の中だと平気なんだけど。ちょっと散歩しようものならこれだよ。」

「…誰の仕業だ?」

「それは僕にも分からないね。」


白蘭が奇術師のように腕を振るうと竜も小鳥も姿を消す。

…本当に手品みてぇだな。


「狙いはうちの猫か犬か?」

「わんこの方じゃないかな。にゃんこはまだ逃げ出したことも気付かれてないと思うから。」

「そうか…だがあまり楽観視出来ねぇ状況だな。」

「う〜ん…今回は盲点を突かれたよ。
店に出入りする人間を手当たり次第に尾行…なんて作戦で来るとは思わなくてね。」

「疑わしきは…ってとこか。」


またその破れかぶれっぽい作戦が大当たりなのがむかつくぜ。

白蘭の店の結界は人外の者の足跡を消す。つまり俺には適用されない。

俺は表の客でもある。足跡を辿られようといくらでも言い訳は出来る。

……だが、困るのはその先だ。

目眩ましが効くのは当然店への行き帰りだけだ。

屋敷の出入りを監視されるとなると…


「……獄寺クン。」

「なんだよ。」


考え事するにはニコチンが足りねぇ。

真新しい煙草を口にくわえる。

何気なく白蘭を見ればいつも顔に張り付いていた薄ら笑いがない。


「君たちがあの天使クンを匿う理由って、なに?」

「…そんなこと、考えたことも無かったな。」


骸を匿う。いや匿っているという意識も無かった。

10代目が拾ってきて、家に当然のようにいる。

まだひと月も経っていないのに、いなかった時を思い出せない程に馴染んでいる。

…家族…………とは違うか。

ただそこに居るのが当然で、当たり前のことだった。それだけだ。

そう告げると、ヤツは冷笑を浮かべ首を振った。


「やっぱり、そんなことだろうとは思ってたよ。君たちらしい、生温くて浅はかな理由だね。」

「そうかよ。」

「君たちの仲良しごっこはどうでもいいよ。
でも、分かってるのかい?あの天使が君たちの首を絞める縄に成りかねないってことを。」

「……………」

「……沈黙は是ってことでいいのかな。」


好きに受け取れ。

俺は白蘭から目を反らしオイルライターの蓋を押し開けた。

――まったく、痛いとこ突いて来やがる。

骸が首締め縄?そんなことは俺が一番分かってる。

小鳥の目が屋敷に届かないのは人魚姫の契約が今も生きているからだ。

海と尾鰭を捨てた人魚姫は王子の心臓の血を浴びることで元に戻るとされた。

それは子孫の俺たちにも適応される。

『人魚』は『王子』が死ななければ戻れない。

10代目と俺の契約が繋がっている限り、その居場所が知られる事もないのだ。

直接の干渉には効力はないが、あの小鳥程度なら目眩ましに充分だ。


「けどそこに第三者が絡めば護りに大きな穴が開く。
標的が君から天使クンに変わればあっさりと居所はバレるし、綱吉クンの存在も知られちゃうだろうね。」

「だから、そうならねぇように片っ端から潰して回ってんだろ。盗撮鳥を。
大体屋敷からは出ないように…」

「不測の事態ってのは予想外だから『不測』って書くんだよ、獄寺クン。」


寓話のチェシャ猫のようなにんまり顔。

…こいつの笑い顔は能面だ。薄気味悪くて本当に好かねえ。

確かにあいつは予想外の動きばかりしやがる。

一つ間違えば10代目に危険が及ぶってのに。

ってわざわざそんなことを言うために呼び出したんじゃねぇだろうな…

眉間に寄り気味の皺を人差し指で伸ばしながら白蘭を横目で見やる。


「はい。」

「…………なんだこれ。」


白蘭が差しだしたのは香水入れのような赤い硝子の小瓶。

何か分からずそのまま受け取る気なんかねぇ。

思い切り怪しみながら小瓶を覗き込む。


「両方なんて無理だよ、獄寺クン。欲張ると碌な事にならないのは昔からのお約束じゃないか。
君が守るべきなのは若君サマだ。
彼は危険因子。いつまでも抱えてはいられないだろう?
増してや骸クンは天使からも悪魔からも狙われてる。いらない敵は作らない方が得策だよ。」


赤い小瓶のなかでとろりと揺れる液体。

それから目線を上げれば不気味な光を宿す猫の眼が。


「毒じゃないよ。ちょっと動けなくなるだけさ。
天使クンの事は僕に任せてくれればいい。
君たちの安全は保証される。勿論彼にも悪いようにはしない。
…綱吉クン共々悪魔に捕まるより、ずっとずっといいはずだ。」


赤い小瓶。そこから目が離せない。

受け取る訳がない、そう思っていたのに。

――本気でヤツらに来られたら、10代目と骸を連れて逃げ切れる自信はなかった。


「………………」


白蘭から小瓶に視線を落とす。

主とあいつでは比べるまでもない。重要事項はとうに決まっている。

だらりと垂らしていた右手を持ち上げると、俺は小瓶に向かいその指を伸ばした。












続く…





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