第十八話







「必要ねぇ。」


差し出された白蘭の手を押し返す。

ヤツの口角がひくりと揺れた。


「必要ない?」

「ああ。」

「ふ〜ん…主より生温い日常の方が大事ってことかい?」

「違ぇよ。」


こっちもにんまりと笑い返してやれば白蘭の顔が凍りついた。

こいつの前で俺が仏頂面以外の顔を見せる事はないからな。

不気味だろ、理由の分からねぇ笑顔は。

ヤツから目を逸らし煙草に火を点ける。空に向かい煙を吐き出す。

――てめぇには分からないだろうな。

その赤い瓶を受け取れば俺と10代目の契約は綻びを見せる。

本来ならば当に断ち切れていた筈の絆。それを繋ぐのは俺の甘さと未練だ。

10代目を裏切れば、どんな理由があろうともそれが元に戻ることはない。


「お前の口車に乗るのが癪なだけだ。大体悪いようにはしないだ?
あれが手に入れば悪いようにならないのはお前の方だろうが。」

「あらら。意外に鋭いね。」


『意外に』じゃねぇよ。商売っ気全面にだしやがって。

白蘭が差しだしていた掌を握り、また開く。

すると赤い小瓶は姿を消し、毒々しい色の花びらが。

それを払い落としながら白蘭は「残念」と呟く。


「下心があったのは確かだけど、さっき言ったのは真実だよ?
一番、君たちを引き裂く棘の少ない道を教えてあげたのに。」

「少なかろうが茨は茨だ。」

「う〜ん。極論だねぇ。もっと柔軟性を持った方がいいよ、君。」


御伽噺の世界に組み込まれた者には分からねえだろうな、この不安が。

絵本の隅に辛うじて引っかかっている、いつ部外者になってしまうか分からない焦りが。

扇子を口にあて、嗤う白蘭。

国籍不明の男を尻目に俺は紫煙を吐き出した。


* * * *


指先が、冷たい。

石に熱を奪われてしまったようだ。

大理石の洗面台に張った水に写る、二人の男を見つめる。

彼らの会話はまだ続いており、その内容を聞き取ろうと水鏡に顔を近づける。


「骸〜?」

「!」


水底に手を突き込み、栓を引き抜く。

ゴボリと不快な音をたてながら水が渦を巻き流れていく。

水面の映像が判別できなくなるのとほぼ同時に綱吉くんが扉から顔を出した。


「骸?」

「はい。」

「………どうかした?」

「?いいえ。」


暗い洗面所にいたから明るい場所にいる彼がよく見えない。…といってもそれはあちらも同じなのでしょうが。

綱吉くんが壁を探る。カチリと音がして、天井に吊り下げられた灯りが目を射る。

瞼を庇うために上げた手。そこでようやく自分の袖が濡れていたことに気付く。


「…具合が悪いとか?」

「え…」

「顔、青いよ。お前。」

「そう、ですか?」


鏡に顔を写す。……確かに、そうかも知れない。

けれどそれは体調のせいではない。

今、水鏡を通して聞いた彼らの会話。それで知った事実。

好きなだけ居ていい。そう言った獄寺の言葉に甘えて僕はここにいる。

けれどそれが彼らの身の危険と引き換えだったなんて…


「………」


―――いいや、知らなかった訳じゃない。

気付かないフリを僕はしていただけだ。

あの紫の呪いの刻印を見たときから、真実の欠片はそこかしこにあった。

僕がつなぎ合わせようとしなかっただけだ。

綱吉くん、彼の側は居心地がいい。だから、知ることで離れなくてはならないのならば…無知を押し通したかった。


「骸。なんか、変な顔。」


僕の頬を包む小さな手。

その手を掴み、引き寄せれば華奢な体は簡単に腕の中に。


「ちょ、どうしたんだよ!ほんとに!」

「…綱吉くん、ふにふにですね。」


温かくて小さくて…弱い。僕もそうなのだろうか。

子どものままでは無力。それを痛感する。

今のままでは彼らの足を引っ張るだけ。けれど。

腕の中で身じろぐ、大人を嫌う人魚。その肩に顔を埋める。

成人体となれば、足手纏いどころか綱吉くんを守ることが出来る。

だが彼は、成人となった僕を受け入れてくれるだろうか?

獄寺のように側に置いてくれるだろうか。

触れることを許してくれるだろうか。

そんなことを考えている自分に自嘲が浮かぶ。

―――皮肉だ。

自然ではない、成人体への変化を嫌って逃げ出して。

その、逃亡先で自らそれを望むことになるとは。


「?なに笑ってんだ。くすぐったいよ。」

「いえ。小さいな、と思いまして。」

「…お前な。喧嘩売ってるのか。」


…君を見ているとあの本を思い出す。

子供だけの夢の島。妖精を連れ夜の窓を叩く少年の話を。

くい、と髪を引っ張られる。

仕返しに首に噛み付くと子犬のような悲鳴があがった。


「骸ぉ!」

「本当に、同じ種族だったら良かったのに…」

「?なんだよ?」

「…いえ、もう寝る時間かなと。」


もう少しだけ。

まだ僕はこのぬるま湯のような夢の島にいたい。


* * * *


「あら〜。それじゃあの子やっぱり人間界にいるのね?」

『ええ。訳あって居場所は教えられないのだけれど。』


申し訳なさそうな受話器の向こうにいる相手にひらひらと手を振る。

無事が分かっただけでもいいわ。

まったく仕方の無い子!


「お友達が出来たならいいのよ〜。友情っていいものだもの!」

『そうね。でも気を付けて。ルシフェルは彼がいることに気付いているわ。』

「あらま。それは呑気にしてられないじゃない!スクアーロにも言っておくわ。」


こっそりひっそりしてたってお互いのにおいには敏感だものね、私たち。

それにしてもやっぱり持つべきものは友よ。種族なんて小さな事に拘ってはダメ。

くるくると電話のコードに指を巻きつけながらうんうんと一人頷く。


『積もる話もあるのだけれど、もう切らなくてはいけないのよ。』

「もちろん分かってるわ。」


お花のカバーを付けてある黒電話を見下ろす。

この隠し回線バレちゃったら大事だものね。


「長電話も出来ないなんて、残念だわぁ。また機会があったらお茶会でもしましょ。」

『ええ。とびきりの緑茶を淹れてあげるわ。いいのを知っているから。』

「楽しみにしてるわ〜。」


じやあまたと受話器を置く。

そこから手を離すとポンとコルク栓を引き抜いたような音を立てて黒電話が消える。

さて、どうしたものかしら。

右手を頬に当てて左手をその肘に添える。

事実をそのままスクアーロに伝えたらあの馬鹿でかい声で大捕り物騒ぎ、悪魔側に筒抜けになるのは目に見えてるし。

それとなく伝えるのが一番よねぇ…

情報源をぼかしてあの子の安全を図りつつ居場所を探る方法……………


「はあ〜……」


難題だわ…


* * * *


つくつくとしつこく与えられる頬への刺激。

払おうとして腕を振り上げ目を覚ます。


「ム…」

「やっと起きた。」


目の前に垂れる金髪。

目線を上げると逆さまのニンマリ顔がある。


「…ベル?」

「寝過ぎじゃねーの、お前。」

「うるさいよ。」


まだつくつくと頬をつつく指を払いのけて上半身を起こす。

…いつものボクの部屋だ。見回してもおかしなところはない。

けれど、なにか……


「……いつ部屋に……」

「?なんだよ、またどこかで寝落ちてたのかよ。」

「いや、そうじゃなくて……ベル、ボスはどうしてる?」

「ボス?ふんぞり返って肉食ってたけど。」


いつも通りか…

笑いを引っ込めてこちらを怪訝な顔で見ている同僚を余所に、腕を組み思考の海に沈む。

最後の記憶……確か、夜にボスの指示で仕事に出たはず。

ただそれがなんの仕事だったか……


「………」


長い時間寝てたせいか頭はすっきりとしている。

けれど、すっきりし過ぎだ。記憶まで抜け落ちている。


「ムムム…」

「お〜い、マーモン。マーモンて。守銭奴。」

「なんだい。」

「否定しねぇのかよ。」


事実を否定する必要なんかないじゃないか。

それより邪魔しないで欲しいね。

仕事の内容思い出さないとただ働きになっちゃうじゃないか。

そう文句を言うとベルは「そーかそーか」とボクを小脇に抱える。


「……なにしてるんだい。」

「んな守銭奴マーモンにぴったりの遊びしようかってな。」

「そんな暇」

「善狐の巣穴見つけたんだぜ。」

「!」

「金狐や銀狐がうじゃうじゃいて狩り放題♪」


行かないなら俺が全部殺しちゃおっかな〜?

ニマニマ笑いながらワザとらしく言うベルの手を叩く。

冗談じゃない。

ベルなんかに任せたら上質の毛皮をズタズタにされる!!

貴重な狐が高額で取り引きできなくなるじゃないか!!


「お、行く気?」

「当たり前だよ。」


いつでもボクが優先するのは目先の利益さ。











続く…





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