第三話






「それは秘密。バイ、じゃないマーモンも内緒のお仕事だろ?」

「離せ!!」

「わわっ。」


幻の氷柱で全身を覆い人魚の腕から逃れる。


「乱暴だなぁ…」


ふわりと笑う人魚。おかしい。彼は今『嫉妬』の手で…

はっとして彼の下半身に視線を下ろす。

そこにあるのは尾鰭ではなく…


「足…!?」

「似合うだろ?まだ慣れなくて使いこなせないんだけどね。」


バサリ、と翼を羽ばたかせ彼は僕と僕が追い込んだユニコーンとの間に入る。


「…いくら貪欲なマーモンでも自分からこんな愚かしいことをするとは思えないなぁ…

やっぱり彼が関係してるのかな?どう?」

「答える義理はないね。」

「そう…まあ、でも」


笑みを収めると強い眼光で僕を睨む。


「どんな理由であれ許せないことには変わりないけどね。」

「やる気かい?武器を持たない人魚ごときがこの僕と?」


ぶわりと周囲の空間を歪める。念には念を入れなければ。

何者にも侵入されぬよう僕の空間を作り上げる。

なに、殺しはしないさ。

『嫉妬』に恩を売るのも悪くないし密かにバラして売ってしまうのもいい。

そのままでもかなりの値打ちがある。

今や人魚は貴重だ。

何せこの世にはもう彼一人しか存在しない種族なのだから。


「さあ、始めようか。身の程知らずな丸腰の『若君』?」

「……武器ならあるさ。」


ぐにゃりと歪む世界を見ながら彼は冷静な態度を崩さず呟いた。


「ここに、ね…」


* * * *


頬に微かに走った痛み。切れたか…


「…顔に傷をつけるなって言われてるんだがな。」

「何ソレ。女に?」

「いや主だ。」


ピン、と小さな爆薬の筒を弾く。

空中でそれが爆ぜると月明かりにキラキラと光るものが見えた。

…やはりワイヤーか。正確なナイフの命中率といい、末恐ろしいガキだな、こいつ。


「オニーサンてさ、爆弾使いなわけ?」

「どうだかな。確かめてみればいいだろう。」

「ししっ、言うね!」


張り巡らされたワイヤーを伝い見えぬ位置から飛んでくるナイフ。

動きが全く読めない。

奴が直接投じる訳ではないので殺気もない。

闇雲に爆破させるのも面倒だ。


「…疾。」


俺がつぶやくと同時に大気中にうねりが生じ風が起こる。

風がぶつかり合い見えぬ刃となり四方に飛び消えると断ち切られたワイヤーがぱらぱらと地に落ちる。

奴は驚くどころかニンマリとした笑みのままくるくるとナイフを弄ぶ。


「すっげ!!今のオニーサンがやったんだ?手品じゃねーし。魔法?」

「違う。」

「ししし、おもしれー。おまえ人間?」

「…てめーが人間の括りなら俺も人間だろ。」


機関銃のように飛んでくるナイフをかわし木の上部に飛び上がる。

奴も追ってくるのを目の端で確認しながら木を飛び移る。

一角獣の住処からなるべく離れなくては。巻き込んでは意味がない。


「疾っ!」

「!」


しぶとすぎる、こいつ。鎌鼬を起こして奴の動きを鈍らせる。

全く10代目は俺にナイフ小僧押し付けてどこで遊んでいるのやら…

目の届くところにいるようにといつも言っているのに。


リイィ…ィ…ン…


「!!」


実際の音ではなく脳内に響くこの音は…!!
どこから!?どこにいる!?

月に透ける葉を掻き分け木のてっぺんに飛び上がる。

そうして慎重に辺りを見回す。


「…!」


湖の対岸、目では分からないが大気が教えてくれる。

空間が不自然に歪んで…まさか、あそこにいるのか?


キィイ…ィィ…ン…




音色が変わった。

それと同時に飛来する銀色の光。


「…ちっ!!」


もう追いついて来やがったか!!


* * * *


バサリ、バサッ…


「ふう…」


闇色の空に白金の月が輝く。

いい夜、と言いたいところだが大気の震えと微かな焦臭ささがそれを裏切る。

また何か潜り込んできたか…

現の世へ繋がる通路は多すぎて全てを把握することは不可能とされている。

しかし最近は「迷い込んだ」のではなく明らかに「侵入」されている。

それも頻繁に。

侵入者は幻想獣たちの乱獲が目的なのだろうか。


ィイ…ン…


「………!」


今の、なんだ…?

翼を羽ばたかせると消えてしまう微かな音色…

丘に降り立ち耳を澄ませる。目を閉じてあの音を探す。


リイィィ…ン…


シュイィ…キィイ…ン…


「ああ…」


なんて綺麗な…誰が奏でているんだろう。

これほどまで美しい音色を出せる存在がいたとは。


「…これ、誰だ…?」


仲間だろうか。まだ未確認の者がいるのか。

侵入者を探す目的を忘れて「それ」に聞き惚れる。


「あ…」


唐突に音が止んでしまった。まだ聞いていたかったのに…

無音になった丘の上で立ち尽くす。

やらなくてはならない役目があるのにその場を離れがたい。

今の音色の主が誰なのか、気になって仕方がないのだ、自分は。

神経を研ぎ澄ませ気配を探る。

………そう遠くはない。


「………………」


――行こう、会いに。

役目が大事なのは分かっている。

でも何か予感のようなものを感じるのだ。

彼に――もしくは彼女に――会わなくてはならないと。


* * * *


「10代目!」


はっとして目を瞬かせる。

見下ろすと、走ってきたのだろう。肩で息をする獄寺くんがいた。

しまった、夢中になり過ぎた…久しぶりだったから。

意識がはっきりするのと真逆に翼の動きが鈍くなる。

俺は完全にその動きが止まる前に地に降り立つ。


「…やりましたね。」

「規模は制限したつもりだけど。」


俺の足元に仰向けに倒れているマーモン、そして獄寺くんの後ろでうつ伏せに横たわるベルフェゴール。

マーモンだけを狙ってたんだけど彼もあてられてしまったんだね。

身体能力が高くてもやはり人間。あれはキツかったか…

獄寺くんはぐしゃぐしゃと髪を掻きながら屈み込んでベルフェゴールとマーモンの額に触れる。


「脳に何かしましたか?」

「気絶させただけ。」

「……どうしますか、こいつら。」


人間の世界じゃないから警察に突き出す、なんてことはない。

幻想生物――人間には架空生物と呼ばれる――はその地によって保護してくれる存在がいる。

大体が悪魔か天使か、だ。

………俺にも保護者はいる。いや、いた。

ここの一角獣は天使たちが保護してたはず。

呆れたことにこの二人、あれだけ密猟したくせに同族の保護する一角獣には手を出してないんだ。

だから突き出すとしたら天界だ。

でも…………


「天使嫌い…」

「言うと思いました。ならお咎め無しで帰しますか。」

「それでもいいけど…」


ベルフェゴールはいいんだけどマーモンに俺見られてるしな…このまま帰していいものか。

俺がここにいることは悪魔側には特に知られたくない。

立っているのが辛くなって膝を突く。

獄寺くんが翼を痛めないように俺を抱えあげてくれた。

どうしようか…

ダラリと背から垂れ下がった翼が邪魔でしょうがない。重いし。

動かせないならただの荷物でしかないよ。

終わったならとっとと消えてくれればいいのに…


「10代目、あまり長居すると嗅ぎつけられますよ。」

「うん…」


あの人もマーモンもあまり接点が無かったはず。

そもそもあちらが滅多に人前に姿を見せない。

…まあ…大丈夫、かな?

俺がそう決定すると獄寺くんが頷く。

手近な木の太い枝に俺を乗せるとベルフェゴールを肩に、マーモンを小脇に抱えて立ち上がった。


「では俺はこいつら扉の向こうに捨ててくるんでここで待っててください。」

「分かった。」

「……ちゃんといい子にしててくださいよ。

くれぐれも湖に飛び込んだり知らない人について行ったり」

「いいから早く行け(怒)」


子供扱いするな、俺のが年上だ!

獄寺くんはそれでも心配で仕方がないという顔で何度も後ろを振り返りながら森の出口に向かう。

心配し過ぎ。体大きくなってもそこは変わらないんだなぁ…

やがて見えなくなった背中。それに向かって小さく呟く。


「変わらないから、一緒にいられるんだけど…」


ガサッ


「!」


ガササッ!!


なんだ……!?

ここは一角獣のみが生息する地だ。

空を飛ぶ鳥も木に登れるような小さな生物も居ないはず。

何か、また侵入者…?

俺は木の幹に体をくっつけて姿が見えないように隠れる。

今俺は動けない。いや動けるけど逃げるのは無理だ。

獄寺くんを行かせるんじゃなかった…!


ザザッ…!!


梢が揺れる。体を縮こまらせていると何かがスタリと目の前に降り立った。


「!!」

「おや?」


背に生えた大きな翼。仄かに発光する体。

――天使だ!!

天使にしては珍しく少年の姿をとっているけど間違いない。匂いがそうだもん。

変な生物じゃなかったのは良かったけど面倒なのに見つかった…


「君…」

「!」


ゆっくりと天使が歩み寄ってくる。

何を言われるかと俯いて目を合わせないようにしていたら頬を両手で挟まれて無理矢理上向かされた。

目に入ったのはキラキラした嬉しそうな無邪気な子供の顔。

あれ……なんか違う?


「君は天使ですか?」

「え…」

「どこから来たんですか?いくつなんですか?
さっきの歌は君が歌ってたんですか?すごく綺麗でした!
まだ歌えるんですか?ここに来たってことは僕と一緒ですか?
仲間ですか?どうして黙ってるんですか?」

「一気に喋んないで!」


頬を挟む手を振りほどく。彼はきょとんとした顔で俺を見ている。

何?なんかと間違えられてる!?

あ、そうか。羽根なんかあるから仲間と思われてるのかな…?


「俺は…!天使じゃないっ!」

「……違うんですか?」


目に見えてシュンと落ち込む天使。

………なんかおかしい。天使って能面みたいに顔変わんなくて潔癖でっていうイメージがあるのに。

彼はなんだかかなり人懐っこいし感情表現も豊かだ。

…でも今はあまりの落ち込みように俺が悪いことしたみたいな気分に…


「て、天使じゃないけど全くの赤の他人って訳でもないけど…」

「本当に?」

「う、ん…」


嘘はついてない。祖先を辿れば同じ種族だ。

そういうと彼はにこぉと笑って俺に抱きついた。


「おわっ!?」

「それでも嬉しいです〜!!初めて会いました、僕と同じ未成年の存在に!!」

「ちょ、さっきから!!誰なんだ、君!!」


胸を両手で押して離れると彼は「ああ」と手を叩いて優雅に礼の形をとった。


「すみません。紹介が遅れましたね。僕は骸と言います。」

「むくろ…?」

「はい。」


俺が名を呟くと彼はそれはそれは綺麗な顔で、まさに天使のような表情で笑ってみせた。


また、凄いのを呼んじゃったよ、義兄さま…








続く…





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