第六話






ジャボッ。


「…泳げたんだ。」

「何でですかね。初めてなんですけど。」

「つか服着たまま飛び込むな。」


プールできゃいきゃいやっているお子様たちを見ながら俺は溜め息をついた。

やったな骸…

さっきからプールサイドでうずうずしていたからヤな予感したんだ…

俺が額を抑えていると女中頭が盆を手にクスクスと笑う。


「後で、お風呂とお着替えを二人分、ご用意しておきますね。」

「頼む。」


女中頭が一礼して去るのを視界の端に入れながら短くなった煙草を灰皿に押し付ける。

10代目と並んで泳いでいる天使。

こうやってるとただのガキにしか見えないんだがなぁ…


「あいつが四大天使の一人…天界とやらの将来が心配になるぜ…」

「仕方ないのよ。あの子は文字通り箱入りだったんだもの。」


悪魔女はティーカップを手に我が家のようにくつろいでいる。

…まさかこいつまでここに居座る気じゃないだろうな。

そう聞けば「あら、心配しないで」と女は答える。


「私には蝶のように飛び回ってしまう愛しい人がいるのよ。彼を愛し捕まえるのが私の使命。

だから一カ所になんて留まってられないわ。身を焦がす愛が私を呼んでいるもの。」

「…………………………そうか。なら、いい。」


…目が怖ぇ。

関わらないのが一番いいと俺の本能が言ってる気がした。

俺は新しい煙草をくわえジッポの蓋をはね上げる。


「…あの呪い、やはりついて来てしまったのね。」

「ああ…」


女は和やかな、姉か母のような目で10代目を見ている。

俺は少し躊躇ったが結局ジッポの蓋を締め、火の着いていない煙草をテーブルに置いた。


「10代目を助けたの、あんたなんだろ?」

「……ええ。」

「何があったんだ?」

「…………」

「10代目は海には帰りたくないと言うだけだ。」


10年。10代目が俺の前に現れなくなってから過ぎた年月だ。

あの人は「また明日」と言い、その翌日から全く姿を見せなくなってしまった。

空白の時間に何があったのか。

久しぶりに再会した主は尾鰭を無くした人の姿をしていた。

そして変わったのは姿だけではなかった。

瞳は翳り、笑みは消え無邪気さを失い、絶えず何かに怯えるようになっていた。


「教えてくれ。10年の間に何があったんだ?」

「…あなた、ツナの僕なのよね。」

「ああ。」

「なら、いいわね。」


蠍が女にすり寄る。それを指先で撫でやりながら、悪魔は話し始めた。


「ツナの足はね、私が作り替えたのよ。

陸地では激しい痛みで歩くことも出来ないのは分かっていたわ。

でも足があれば泳ぐことは出来る。自力で逃げることも出来る筈、そう考えたの。」

「……?」

「ツナはね、ずっと宝珠と呼ばれる蒼い球体の檻の中に閉じ込められていたのよ。

『守る』という名目で保護者の手によって、ね。」

「!」


以前は聞かない日はないというくらい自慢気に口にしていた保護者の名。

今は禁句のようにその名を聞かなくなった。

―――それは、何故?


「久しぶりに見たあの子は、それは酷い有り様だった。

罪人のように硝子の枷と鎖をかけられて、逃げられぬように尾の先を切り落とされて。

見せしめのように海王の剣に腹部から背を貫かれた状態で宝珠に封じられていたのよ。」

「なんで…」

「最後の人魚だから。人間風に言うなら、絶滅危惧種だからよ。

あなた僕なら知っているのでしょう?人魚の能力。それを利用しようとする者にとってはどんな状態でもいいのよ。

『人魚』が生きてさえいれば、ね。」

「―っ!」


爪が食い込むのも構わず、拳を握り締める。

10代目の体に刻まれた不可解な傷跡。まさかそんな目にあっていたとは…!

その時俺は既に10代目と契約していたのに…俺が、海の底までいける生物であったなら……!


「…そうやって、私も悔いたわ。何故あの子の側にいなかったのかって。

そして決めたのよ、必ず自由にしてあげることを。だから私は機会をずっと伺っていた。

そして幸いなことにそれはすぐに訪れた。

『嫉妬』はね、『卵』と相性が悪くて『成長』が思うとおりにいかなかったのよ。

だからまた『卵』に入ることになった。」

「…ちょっと待てくれ。」

「何かしら?」

「『成長』やら『卵』やら当たり前のように繰り返してるけどな、俺にはなんのことだかさっぱりなんだが。」


こいつら幻想生物の悪いところをあげるとしたらこれだ。

説明を端折ること。

面倒くさがっているわけじゃないようだが知ってて当然とばかりに話を進めていく。

10代目は話を中断すると不機嫌になるし骸は何故分からないのか不思議がるばかりだし…

俺は可能な限り調べるか推理するかで無理矢理納得するしかない。

やはり悪魔女も目をぱちくりさせている。


「あら、知らなかったの?」

「たりめーだ。幻想生物の存在を見間違いで済ますような阿呆な種族だぞ。んな知識あるかよ。」


ふてくされてそう答えると悪魔は愉しげに口角を吊り上げた。


「あなた…変わってるわ。」

「そーかよ。」

「いい意味でよ。契約がまだ切れない理由が分かるわ。

ツナは運は悪いけど男を見る目はあるわね。私と同じで。」


…誉められてるのか面白がられてるのかは分からないがノロケは勘弁してくれよ。


* * * *


チャプン…


水面に仰向けで浮かぶ。気持ちよくて好きなんだ。

骸なんかラッコみたいな顔してるよ。


「これいいです…プール気に入りました。」

「水の中って気持ちいいよな…」

「はい。綱吉くんはこの中で生きてきたんですね。」

「…うん。生涯出ることは無いって思ってたんだけど。」


まさか、足を得て故郷を捨てることになるとは。

姉姫と同じ道を辿ることになるなんて、思わなかった。

でも彼女は自ら恋を選び故郷を裏切り海を飛び出し果てた。俺とは違う。


俺は愛なんて信じないし、泡になる気なんてないから。


「綱吉くん、初めて会ったときに僕らは全くの赤の他人じゃないって言ってましたよね。」

「うん。」

「分かる気がします…こうしていると。

天使も悪魔も、生き物は海から産まれた。

水が懐かしいのもその為でしょう?

元を辿れば全てのはじまりは海であった。

つまり、全て繋がっているのだから赤の他人になどなりえない。」

「…ブー。残念、は・ず・れ。」


骸がくるりと体の向きを変え、不満そうな顔で泳ぎ寄ってきた。

そんな『生物皆兄弟』説じゃ面白くないよ。


「では、正解は?」

「天使と悪魔が同じ種族だったのは知ってる?」

「はい。元は海に住まう種族だったのも知っています。

彼らはやがて海を出てそれぞれ天と地に別れた。」

「そう。そして天を選んだ者達には翼が生えた。」


天井に腕を伸ばす。

気紛れに空に在ること望んだこともあった。

でも俺の在る場所はやはり海だった。


「…人間ってね。おかしな種族なんだよ。

幻想生物の存在を疑い否定しながら誰よりも真実に近い記述を残してるんだ。」


彼らは真実を歪めて都合よく書き換えながらその端々に俺たちも忘れてしまった記憶を刻み込んでいる。

世界の神話を紐解けば何故か一致する共通点。

竜の起源に蛇の神秘性、狐の魔力。


「そう言われてみれば…確かに。」

「でしょ?でね、人間によると人魚の祖は全く別の生き物になるんだ。」

「なんですか?」

「鳥。」

「??」

「頭だけ人間の女の人であと全部鳥の格好の化け物らしい。」


と言っても、人間は流行り廃りが激しいから。

一時期人外のものを不気味に描くのが流行ってたらしいし。

天使は相変わらずだったけど容姿端麗な悪魔たちを醜い怪物に描いてたの見たときには二度と人間の描く挿し絵は信じないって誓ったよ…


「それはまた…排他的な。」

「ホント、天使そっくりだよね!」

「……綱吉くん、もしかして天使お嫌いで?」

「うん、嫌い。でも骸は好きだよ、だから泣くなって。」

「ありがとうございます…」


ぶくぶくと沈む骸の頭を撫でる。おっきい犬みたいだ。


「人魚の祖は鳥だったんですか?」

「ううん。骸も見てるよ。」

「 僕が…?」

「俺と初めて会ったときに。あれがそう。」

「まさか、天使…ですか?」

「正確にはその前身だよ。俺たち人魚は一度海を出て天を選んで…でも恋しくなって、海に帰ったんだよ。」


俺は祖先返りしてるそうだからかなり元に近い筈だ。

俺の翼は天使ほど白くないし綺麗じゃない。それにかなり小さいし。

飛行機能も中途半端で長い時間飛んでられないし。

進化の途中で海に還ってしまったんだ、きっと。


「海は俺たちを受け入れてくれたけど、二度目の裏切りを許さなかった。

足を尾鰭に変え翼を奪い空に陸に焦がれないように海の底でいきることを強いられた。」


そんなことをしなくても、俺たちは海から離れられないのに――。

人魚姫ですら最期は海に飛び込んだ。

陸に住む人間に恋をしても、彼女は陸地を選んだわけではなかった。


チャプリと水面が揺れる。

視線を上げれば水を滴らせた天使が俺を見下ろしている。

迷い無く空を選んだ種族。滅びることなく天に君臨する覇者。

腕を伸ばしてその頬に触れる。

綺麗な顔。誰かが丹精込めて彫り上げた彫刻のようだ。

神さまに、愛されてるんだなぁ…

もう滅びることが決まった俺とは大違いだ。


「綱吉くん?」

「も、上がろ。体冷えちゃうよ。」

「…そうですね。」








続く…





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