第七話






コポ…




重い瞼を開く。

視界に広がる蒼。目が痛い。

目を擦ろうとして持ち上げた腕にピリ、とした痛みが走る。

全身の皮膚が無理矢理引き伸ばされたようだ。

少しでも動けば切れてしまいそう。


……まだ完了したわけじゃないのか。


なら何故意識が戻った?完全な成体にならなくては。

またこれに入るのはごめんだ。



まだ、その時ではない。

一度開いた瞼を閉じる。

これ以上無駄な時間を過ごしたくないからね…



ゴポ……



視界いっぱいに広がっていた蒼。

あの子の揺りかごと同じ色。

目が覚めたら、一番始めにあの子の元に行こう。

きっといい子にして待ってるはずだから。





* * * *


「…この世には不老不死は実在しない。どれほど生きようと必ず寿命は存在する。」

「また突然。」


突然語り始めたお客。彼はいつも唐突だ。

僕は構わず茶器の準備を進める。

でもどうにも日本のは茶葉の量が分からない。

見かねたもう一人の客が僕の手から茶筒を取り上げる。


「ごめんごめん。」

「…いい。やる。」

「……………」

「やだな、ちゃんと聞いてたよ!」


そんな怖い顔で見ないでよ。ホント、似てるのは顔だけなんだから。

僕が先を促すと彼はまた話し出す。


「…不死は天使と悪魔も得られない。必ず我々にも死は訪れる。

だが神と呼ばれる存在は座の空席を許さない。

座にいた者が死ねば必ず継ぐ者が名乗り出るか、それを埋める子供を神が選ぶ。」

「君もそうだったんだよね。」

「…ああ。」


彼は玉石の天女像を指でなぞり目を閉じる。

無意識なのか、何度も天女の背に生えた翼を撫でている。


「…けれど、子供は選ばれたとしても座にはつけない。」


もう一人が湯のみを手にそう呟く。

聞いてたんだ。ボケーッとした顔してるからまた違うこと考えてんのかと。


「神はせっかちだから子供が成長するのなんか待ってられない。

ウチらの成長速度は人や獣より大分遅いし。」

「だから無理矢理成長を速める。『卵』を使って、な。」


『卵』。

見た目は硝子の棺の活性装置。

その中に入れば最盛期の姿になれると聞く。

子供であれば成人に、老人であれば絶頂の頃に若返る。

これだけ聞けば人間の夢そのままの装置だよね。でもこれには重大な欠点があるんだ。


「『卵』に入った者のほとんどに歪みが生じる。

性格であったり、記憶や嗜好、感情…規模も異なるが成人する際に必要無いと『卵』が判断したものに歪みは影響する。

……現に俺も記憶に歪みが出た。」


彼が手を伸ばしてきたので湯呑みを手渡す。

一口お茶を啜って彼は顔をしかめた。


「…苦い。」

「渋いと言え。」

「緑茶は好かない…」


彼は一気にお茶を飲み干すと口元を乱暴に拭った。

…さて。そろそろ本題に入ってもらわないと。


「それで?お客様。その話は何の前振りなわけ?

まさか雑談しに来たんじゃないよね。」

「ああ。」


穏やかだった表情が冷たく能面のように変わる。

彼は革張りのチェストに腰掛け、指に填めていたリングを抜き取った。


「情報を買いたい。これに見合う情報を、だ。」


手の中に落とされた指輪。赤い石が嵌っている。

…石の鑑定はやってないけど多分金剛石、かな。

赤いダイヤは途轍もなく希少だと聞く。

でもこれ、それだけじゃない。

血と脂の匂いが染み着いてる。なかなかに素敵な曰くが有りそうじゃないか。


「気に入ったようだな。」

「うん。これならなんでも売ってあげるよ。で、何がお望みで?お客様。」

「ある天使の行方が知りたい。『卵』に入る予定だった天使だ。」

「予定ってことはまだ未成年なのかな?」

「そうなるな。」


…それはそれは。

心当たりはあるけれども。どうしようかなぁ。

ただ彼は綱吉くんとこの子みたいだし。

他のお客の情報を売るのはうちの信用問題になるし。

あの若君ってば厄介ごと引き寄せる天才なんじゃないかなぁ。

指輪を翳して見る。ドロドロに渦巻く邪気、怨念。いいなぁ、これ欲しいなぁ。


「ちなみにその天使くんをどうするつもりなんだい?」

「成人されては困る。早々に天にお帰り願うまで。」


…ははぁ、そっちの「帰る」、ね。

すんごい綺麗な笑顔だけど眼が怖い。流石は悪魔だ。

綱吉くんも大きくなったらこんな風になっちゃうのかねぇ…ああ、やだやだ。


「どうだ?白蘭。」

「う〜ん…そうだねぇ…」


石って人を惑わせる魔力を持ってるんだ。

僕も人間なんだよねぇ。




――さあ。どうしようか。




* * * *


「こら骸!!降りてこい!!」

「いやです♪」


骸は上機嫌で翼を羽ばたかせている。

こいつもずっと閉じこめられてたんだもんなぁ…飛べるのが楽しくて仕方ないんだろう。


ただ、あまり高いとこ行くのは止めてほしい…


「そんなにしがみつかなくても落としたりなんかしませんよ?」

「いいから高度下げろ…」

「骸!!10代目返せ!!」


下で騒いでいる獄寺くん。見れば顔は真っ青だ。

骸は今の今まで大人しく俺らの後ろをついてきてたんだけど、満天の星空に我慢出来なくなったらしい。

突然翼を広げて俺を抱えて飛び上がったのだ。

思いたったら即行動タイプだな、こいつ…

驚いたのは獄寺くんだ。いきなり腕が軽くなったと思ったらこれだもん。

俺も驚いたけど獄寺くんの狼狽ぶりってばこっちが心配になっちゃうよ。

俺は月を目指す勢いの天使の胸を叩く。


「骸。も、降りろ…」

「綱吉くん。海は好きですか?」

「…好きだよ。」


今も出来ることなら帰りたい。

ずっとそう願っている。


「なら空は好きですか?」

「空?」

「ええ。」


深い紫の瞳。曇りも陰りもない、澄みきった眼球が俺の顔を写してる。

俺もこんな目をしていたのかな…

プールで泳いでた時も骸は楽しそうだった。

でも、空を飛んでいる今、その瞳は幸せそうに輝いてる。

無条件に俺が海を愛してたように骸も空が愛しいんだね。


「……嫌いじゃないよ。」

「それなら、なってください。」

「?」

「好きに、なってください。空を。僕は海も好きです。だから綱吉くんも好きになって。」

「…………」



―――好きになって。大人になっても。僕もずっと好きでいるから―――



「……嘘つき。」

「はい?」

「あ、ううん、何でもないよ。骸に言ったんじゃないから。」


きょとんとした顔の骸。いけない、つい口から出ちゃった…

俺は誤魔化すように骸の首にしがみついて顔を隠す。

ちょっと気まずい。骸はこんなに熱心に話してたのに違うこと考えてたんだから。


「骸ぉーっ!!」

「はいはい。降りますから。」


すう、と降りる感覚が気持ち悪い。正直飛ぶのはあんまり好きじゃない…

地面に骸が足を着けたのを確認してやっとほっとする。

でも走り寄って来た獄寺くんは鬼の形相で怒ってて俺を骸から剥がすとべしりと骸の頭を叩く。


「骸っ!」

「なんですか!」

「お前、ちょっと来い!!10代目はここでいい子に待っててください。」

「…分かった。」


何度言っても聞かないけど俺君より相当年上だよ…?

獄寺くんは俺を横倒しになった大木の上に乗せるとずるずると嫌がる骸を引きずっていく。

…説教タイムだ。長いぞ、きっと。

獄寺くんはあんま俺には怒んないけど一回説教されたことがある。結構凹むよ…あれ。


案の定、少し離れたところで骸は正座させられてる。

…なんか、今本当はそれどころじゃないのに、和むなぁ。あいついると。

昔、まだ獄寺くんも子供でもう一人と三人で遊んだ時のこと思い出すよ。


「……………」


和んでる場合じゃない。そろそろの筈。

俺はその場に立ち上がり目を閉じて辺りを探る。


ビアンキから貰った情報に寄れば、この幻想区域の海にかつて『化け鯨』と呼ばれた幻想生物がいるはず。

西欧の神話に出てくる、星座にもなっている生き物。

ある国の王妃が自身の王女は神より美しいと豪語し、怒った神々がその国を襲わせる為に放ったのがその化け鯨だという。

国民は王女を化け鯨への生け贄に捧げて神々の怒りを静めようとしたけれど、通りすがりの勇者に化け鯨は倒されてめでたしめでたし。

化け鯨にしてみればなんて傍迷惑な話だろう。


「人間と神ってよく似てる…」


我が儘なとことか自分勝手なとことか理不尽なとことか。


「………」


水の波動を感じる…この強さは海に間違いない。

見上げれば銀色の月は後少しで頂点に達する。


「獄寺くん。説教は後にして。時間。」

「!すみません、そうでした。」

「あっちに海があると思う。急いで。」

「はい。」






「海…ですか?これ。」


骸がぽつりと呟く。

…まあ、この小ささじゃあねぇ。精々湖くらいか。

でもそれも仕方がないんだ。


「この海はな。化け鯨が人間から逃れるために紡いだ夢を基盤に出来てるんだ。

だからこれが限界なんだ。」

「化け鯨は誰にも保護されていないからね…」


幻想生物の中でも保護の対象にされていないものたちがいる。

彼もそう。そういうものたちは自分で居場所を紡ぐしかないんだ。

化け鯨はこの海を親友と共に作り上げたと聞く。今はいない海の魔女と共に。


「もしかして、その魔女というのは…」

「そう、姉姫の『声』を買った魔女だよ。」


そんな都合よく『声』の在処が分かるなんて思ってないけど…何か手掛かりになれば。話だけでも聞きたい。

それに、多分ビアンキが化け鯨の居場所を知ってるってことは、遅かれ早かれ奴らにも居場所がバレるはず。

そうなったら…


「確実に狩られますね…連中に。」

「うん…」


同じ海に生きるもの。太古の記憶を持つ仲間。出来るなら助けたい。

空を見上げる。月はまだ頂上にはついていない。


「!」


突然、グニャリと視界が歪む。これ、覚えある…!!


「獄寺っ!!」

「獄寺くん!」

「くっ…!」


いつの間にか忍び寄っていた軟体の蔓のようなものが獄寺くんの足に絡みついていた。

空に浮いていた骸は免れたようだけれど、蔓は骸も捕らえようと蠢いている。

でもそれをかいくぐり天使は器用にこちらに近付いてくる。


「骸!10代目を!」

「分かっています!」


少し乱暴に放られて骸の腕にキャッチされる。

骸が上空に飛び上がると獄寺くんの体は蔓に覆われて見えなくなってしまった。


「骸、あそこに向かって!」

「ですが…!!」

「獄寺くんは大丈夫だから!!」


空間にある微かな歪み。多分、あそこに…!!

骸は一度獄寺くんのいたあたりを見て、俺が指差す方向に向き翼を羽ばたかせる。

ここまでくれば充分届く!


リィィ…キイイィン!!


『歌』を発し歪みを叩く。すると歪みが陽炎のように揺らぎ始める。

そこを突き抜ければ目の前に黒いマント姿の赤ん坊ともうひとり。


「ム!お前…!」

「ふん。どうやら本当だったようだな。」


顔に無数に刻まれた傷に派手な羽根飾り。

黒いコートを羽織る長身の悪人面。

また見つかりたくない奴に見つかった…


「どうやってあそこから逃げ出しやがった?『若君』。」

「……出たな、ザンザス……」


『憤怒』を司る悪魔。

そいつはそれはそれは楽しそうに嗤っていた。








続く…





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