第十話






廊下を走る。

窓を通して隣を走る雲雀さん。


「鏡…ですか?」

『そう。手鏡か…この際姿を写し出せればなんでもいい。』


『恭弥』は今、影がない。

完全に体を得た訳ではないからだそうだ。

そして正確には雲雀さんも影になった訳じゃないそうだ。

だから鏡に『恭弥』が写り込めばその影を捕らえて本体の動きを封じることが出来るらしい。


「でも写りませんよね?」

『だからもう一枚鏡がいるんだ。合わせ鏡を知っているかい?
時間や角度によってはあの世とこの世を繋いだりするって聞いたことあるだろ。』

「三面鏡の何番目の顔が自分の死に顔とかそういうのですか?」

『そんなとこだね。
彼を封印するまでにかなりの年月を必要としたしこちら側にも多大な被害が出たそうだ。
だから最後は体を持たない『恭弥』の影を合わせ鏡で写し出し、被害者の魂に動きを封じさせてあの鏡に閉じ込めた。
本当は消滅させたかったんだけど…それは叶わなかったんだよ。』


そういえば、以前おじさんが言ってた。

なんで『恭弥』が封印されたのが学校の階段であの鏡なのかって。

当時の雲雀の家の人達がなんとかあそこまで『恭弥』を追い詰めたけど土壇場で負けそうになって、偶々近くにあった鏡に無理矢理押し込んで封じたからなんだって。

怨みで鬼となりかけてた『恭弥』は封じられてもなお力が凄まじくて他の媒介に封じ直したり鏡自体を動かしたりなんて到底できなかった。

だから仕方なく何重にも封じをかけて一族で見張る事にしたんだって。


「鏡…」

『取り外せなきゃ意味がない。保健室にはスタンドの小さいのがあったはずだ。』


水道の鏡じゃ埋め込まれてるもんな…

保健室なら1階の一番端だ。ここから真逆の位置にある。

一番近い階段は例の鏡がある。避けた方がいいのかも。

2階を走り抜けて逆側の階段から下に降りれば真下が美術室と保健室だ。

――そっちから行こう。


「雲雀さ…」

『っ…!!』


弾かれた用に鏡の中の廊下を見据える雲雀さん。

何が…


「!」


日没の近づいた校舎はもうすっかり暗くなっている。

けれど雲雀さんのいる廊下だけ明るくなる。

視線の先には炎をまとわりつかせた黒こげの人型。

火だるまにされた理科教師=c!!


「なんで…まだ夜じゃないのに!!」

『この暗さじゃ同じようなものさ。
大体鏡のこちら側はあいつの領域だから時間なんて関係ないんだよ。』


雲雀さんの手には短刀と数珠しかない。

トンファーは鏡の中には持っていけないって前にも言ってたっけ…

不気味な唸り声をあげながら教師が雲雀さんに飛びかかる。

雲雀さんはそれを飛んでかわすと数珠で炎を打ち払い踵落としをきめる。


「雲雀さん!」

『ちょっと待ってて。』


雲雀さんは手を挙げて軽くそう返すと襲いかかってきた教師の懐に飛び込んだ。

無造作に振り上げた短刀を黒く焦げた体に突き立てる。

獣のような咆哮をあげて教師の体は闇に四散した。


『ふん…まだ僕の体には馴染めてないみたいだね。そっちにはこの教師がいないんだから。』

「倒したんですか…?」

『いいや。『恭弥』に魂を握られている限り昇天することは叶わないよ。
さあ、急いで。日が落ちる。あいつの力が増すよ。』

「はい!」


不気味な理科室の前を通り過ぎ二年のクラス前を走る。

いつもいる教室たちが暗さと一人だけという寂しさから恐ろしいもののように感じられる。

黒いぽっかりと開いた奈落がそこにあるような気がしてしまう。

窓ガラスの向こうを走る雲雀さんの姿にほっとする。


2-1の教室前を通り過ぎる。

よし、階段!なんともない…よね?

ちょん、と階段をつま先でつつく。

前に無限階段にされたことあったからな…


『大丈夫だよ。まだ当分は僕の体じゃ力が出せないから。』

「分かってますけど〜…」


教室の扉に嵌った小さな窓。そこから苦笑している雲雀さんが見える。

一階は倉庫やら何やらで廊下には窓も鏡もないし、階段も高い位置にしか窓がない。

ここからはしばらく一人で行かなくちゃならない。

うう…怖い…


『綱吉。』


階段を前に躊躇していると雲雀さんに名を呼ばれた。


『絶対に追いかけるから。』

「……」

『見えなくても、いるから。』


何時もと変わらない意地悪そうな笑い方。強い眼。

だから忘れてた。

鏡の向こうは俺にとって恐怖の坩堝だ。

雲雀さんはその世界に今一人きりでいる。

体も取られて存在も消えかけているのに、全くいつもと変わらない。

俺より、俺なんかよりもずっと…――


「雲雀さん…」

『ほらとっとと行きなよ。…保健室の鏡で会おう。』

「……はい!」


黒い、明かりのない階段。

怖いけど、それに変わりはないけれど…

二段飛ばしで階段を駆け下りて踊場に足をつける。


キュィ…


「?」


あれ?今なんか…

今降りてきた階段を見上げる。

なんか機械みたいな音…2-1を過ぎたあたりから微かに聞こえてたんだけど。

あんまり小さいからどこか外から聞こえてるのかと…でも今上から聞こえたような。


「………」


音は止んでる。…何の音だったんだろう。

ちょっと気になったけど雲雀さんが先に着いてるかも知れない。

踊場を突っ切って次の階段を駆け下りる。

窓が無い一階の廊下は一層暗いけれど立ち止まる方が怖い。

俺は床だけを見つめて保健室の扉を開いた。

何も居るわけがないんだけど何かが付いてきてたらと思うとゾッとしてしっかりと扉を閉じる。


「はぁ…」


とりあえず、何事もなく着いた…意外なほどあっさりと。

保健室はこざっぱりとしているしまだ沈む日の光もうっすらと入っているから不気味さは殆ど無い。

でもこれくらいで安心してたらダメだ。

これからあの『恭弥』と対峙しなくてはいけないんだから。

俺は室内を見渡して先生の机に駆け寄り下から順々に引き出しを開ける。

教本、書類、テープ類に大型のカッター、私物専用、筆記用具…ダメだ、無い。

後は薬品の棚とロッカーと…


「…あった!」


何気なく視線を向けた先に倒れているスタンド式の鏡を見つけた。

丸いタイプで結構小さい。これなら持ち運べる!


「雲雀さん!」


鏡面を覗き込む。でも俺の顔以外は何も写らない。

まだ追いついてないのかな…











「待たせたね、綱吉。」








「雲雀さ…」




聞きなれた声にほっとして振り返る。

けれど薄暗い空を背景に立つ彼を見て現実に立ち返った。


「『恭弥』…っ!!」

「捕まえた。隙だらけだよ。」


すぐ後ろにいたから逃げる間もない。

あっと言う間に抱き込まれてしまった。

全然気付かなかった…こんなに近くにいたのになにも感じなかった。

鏡に写らない、影がない人間てこんなに気配が希薄なものなの!?


「離っ、あぅ…っ!」


振りあげようとした腕を捻りあげられる。

痛い…!!肩がギシギシいって、まさか折る気…!?


「あ…ああっ!痛…!!」

「同じ手は食わないよ。」




そうか、鈴…!

『恭弥』は俺が右腕につけている腕輪と鈴を警戒しているみたいだ。

振り払おうと体を捩ると足を払われて床に倒された。


シャラ…


「っ…!!耳障りな鈴だね。」


鈴のついた紐に手が掛かる。

ヤバい、取られる…!!

そう思ったけれど、バチッと放電したような音がして『恭弥』の手が離れた。

しめた!この隙に…


「逃がさない。」

「うあっ」


拘束が緩んだ一瞬を狙って逃げようとしたけれど背中を膝で押さえつけられてしまった。

それでも諦めるわけにはいかない。俺と雲雀さんの命がかかってるんだから!

けれど片腕で起き上がろうとしたところで首筋にヒヤリとしたものが当たる。


「!!」

「大人しくしてなよ。」


首に押し当てられたものが何かは分からないけど、尖った…きっと刃物だと思う。

こめかみを汗が伝う。

これで『恭弥』が少し力を込めればもう…――

迫り来るその瞬間を覚悟してぎゅっと目を閉じる。


でも次にきたのは痛みじゃなくて、かぷりと耳を食まれる感触だった。


「ひゃ!」

「ふふ。安心しなよ、まだ殺さない。こっちじゃ意味がないから。」

「え…」

「でもこれは邪魔だね。」


鈴が鳴らないように両手首に長い布を巻きつけられる。

首には相変わらず冷たい凶器の感触があるけれど、いつも『恭弥』がまとわりつかせている殺気も狂気も今はない。

うつ伏せだから顔はわからないけれどとても上機嫌な声なのはわかる。


「綱吉、可愛い。震えてる…
そんなぴるぴるしなくてもいい子にしてたらいじめないよ?
ただちょっと手伝って欲しいだけだから。」

「手伝うって…」


何を?

そう尋ねる前に体を仰向けにひっくり返された。

突然の行動に反応出来ずにいると頬を両手で包むように固定される。


「早くこの体に馴染みたいのにもう一人が邪魔をするんだ…
だからあれを消すのを手伝って、綱吉。」

「お断りで…、っ!」


ズブリと腹に異変を感じ視線を向ける。



「!!」



『恭弥』の手が、俺の腹にズブズブと埋まっていく。

痛みもないし、血も出ない。

まるで水の中に沈むかのようにゆっくりと『恭弥』の腕が俺の中に入っていく。


「う…うあああああ!!!!」

「大丈夫だよ。力を抜いて…」

「やだ、気持ち悪…っ!!」


なにこれっ、やだ…やだやだ!!気持ち悪い!!

抜いて欲しくて体を捩って喚く。

けれど『恭弥』の歪んだ笑みも沈む腕もより一層深まるだけで何も意味を成さない。


「さあ…綱吉、明け渡して。」

「!」


くん、と何かに引っ張られるように意識が遠のく。

眠ったら駄目だとわかっているのにどうにも出来ない。

足掻くように首を振るけれどもうほとんど効果が…



「君の影、借りるよ…」



うっそりと嗤う『恭弥』。

それを見たのが最後。

俺の意識は深く深く、作られた眠りの中に沈んでいった。








続く…





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