第九話 キィン!! 「いつもの武器はどうしたんだい?」 「生憎トンファーは生身でしか使えなくてね!」 短剣と斧がぶつかり合う。 錆びた斧は刃こぼれをおこしているが奴の腕力は並じゃない。 斬ることはできなくとも僕の頭部を叩き割ることぐらいは難なくやってのけるだろう。 僕は体を捻り斧を受け流すと間髪入れずに霊気を込めた刃を繰り出す。 しかし奴はそれを手刀ではじき返し片手で振りかぶった斧を僕目掛けて振り下ろした。 「っ…!」 髪が数本、はらりと地に落ちた。 反応が遅れれば耳が無くなっていたか… 背筋が冷える。しかし引くわけにはいかない。 「俊敏だね!素晴らしいよ。」 「当然さ。」 「でも僕とじゃ…」 ふ、と奴の姿が掻き消える。どこに!? 辺りを見渡すもどこにも… 「!!」 ヒヤリと冷たい指が首に巻きついた。 引き剥がそうとその手を掴むがびくともしない。 「僕とじゃ差が有りすぎるね。…君から来てくれたのは好都合だよ。いろいろと手間が省ける。」 「うぐ……!」 ギリギリと絞まる指。気管を潰される…!! 逆手に小刀を握り脇下から刃を突き出す。 確かな手応え。指が離れる。 また背後の気配が掻き消えて僕の前にヤツが姿を現す。 「ぜっ…はぁっ…」 「っ…やってくれるね。」 右の脇腹を抑えて顔を歪ませる。 僕が穿った傷からは血ではなく黒い靄が漏れだしている。 鬼と化した体は流れる血も失っているのか…だがその靄も失ってはならないものなのだろう。 致命傷を与えられずとも傷を多くつけることができれば或いは… 「無駄さ。」 ヤツが不敵に笑いズレた学ランを引き上げる。 …まるで僕の思考を読み取ったかのようだ。気味がわる… 「っ!?」 トロリ、と体を伝う不快感。下半身にそれはきた。 無意識に動く手。そこに手のひらを当てる。 ――濡れて、いる…? ゆっくりと下を見下ろせば視界に飛び込む赤。 そして遅れて脳に伝達される痛み。 「っ…!!」 脇腹を抑えがくりと膝を突く。 何故!?奴に穿った傷が… コツリと響く靴音。視界に入る黒い靴。顔を上げれば間近に迫ったもう一人の自分。 「残念だったね。君がもう少し早く決心していれば或いは勝機はあったのかもしれない。」 「…っは……」 「逆に言えば…このまま過ごしていれば君は苦しまずに消滅できたかも知れないのに。」 「…っんの、はなしだ…っ」 「言っただろう?好都合だって。今夜だったんだ。」 奴が床に転がる斧を拾い上げる。 まずい…立ち上がらなくては。けれど傷口から流れる血と熱がそれを阻む。 「もう雲雀恭弥の体は君のものじゃない。僕にも充分に力は満ちた。影と本体が代わる時は来た。」 「代わる…?」 「わからないかい?僕が本体になったんだよ。」 ゆっくりと斧を振り上げる。錆び付いた刃から視線を反らせない。 本体…本体が?どういう意味だ?影はお前の筈。 雲雀恭弥は僕だ。あの体は僕のものだ! 「いいや、影は…君さ。」 「!」 「返してもらうよ、全て。」 斧が頭上に振り上げられる。 月に照らされた奴の顔は穏やかに、むしろ憐れみに満ちた顔をしていた。 * * * * シャラン… 腕に結わえつけた鈴が鳴る。俺が使っても効果があるといいんだけど… 日の沈みかけた学校の前に立つ。 まだ部活で賑わってる時間。でももうそれも終わりそう… 自転車を引く運動部の生徒たち。 彼らは逆に校舎に入っていく俺に怪訝な顔をするもすぐに楽しげに談笑を再開する。 「……」 影が長い。日が沈む前に雲雀さんを見つけなきゃ… 俺は真っ先に例の鏡のある踊場に向かった。 あんまり長い時間は居られない。 おじさんの目を盗んで来たからバレたら連れ戻される。 あれからおじさんはすっかり覚悟を決めてしまって、雲雀さんが『恭弥』になってしまうなら自分の手で終わらせると床の間の刀を見つめていた。 でもそんなことはさせない。そんな悲しい話、無いから。 「あれ…?」 階段を駆け上がって踊場に立つ。でも、誰もいない… 俺はそこに絶対に雲雀さんがいるって思ってたんだけど…外れた? 勘はいいって自負してるんだけどな。 「…まだ仕事してるのかな。」 だったら応接室にいるはず。見回りに行ってなきゃだけど。 さっきの雲雀さんの様子だとすぐにでも『恭弥』に挑みそうな気がしていたのに。 ちょっと釈然としないまま俺は鏡に背を向け階段を降りる。 護符があるとはいえ油断はできない。 鏡には近づいちゃダメだ。とっとと離れよう… ――〜〜っ! 「!」 鏡を振り返る。 今、何かが俺を呼んだ…?『恭弥』じゃ、無かったような… 「………」 気になるけど、罠かもしれない。 確かめるにしてもやっぱり雲雀さんに聞いてからにしよう。 俺は首を振って鏡から目を反らすと階段を駆け降りた。 コンコン 「雲雀さん…?」 「綱吉?」 応接室に入る。やっぱりいた…って!? 「どうしたんですか、その怪我!!」 「あいつにやられたんだよ…」 入ってまず目に入ったのは血だらけで床に投げ捨てられたブレザー。 布で肩口を縛って止血する雲雀さんの手首から肘にかけて走る傷。かなり深い…!! 「手当て…っ」 「いいよ。君に血が付くともっと変なもの呼んじゃうでしょう。それよりなんで学校に?うちにいるように言ったはずだ。」 うっ…目が怖い…雲雀さん怒ってる… でも、俺にだって言い分がある! 「し、心配で仕方が無かったんです!だって雲雀さんあのまま『恭弥』に突っ込んで行っちゃいそうだったし…やな予感はするし… おじさんも心配してたんですよ!?大体雲雀さんはいっつも俺のことばっかりで…自分のことも少しは大事にしてくださいよ!!」 「ふうん。」 「いや、ふうんじゃなくて!」 雲雀さんは興味の無さそうな相槌(?)を打つと乱雑に消毒液を傷にふりかける。 じゅわりと如何にも痛そうな音がしてるのに雲雀さんはいつもの涼しい顔で男らし過ぎる治療を続けている。 ……雲雀さんって昔から痛みに鈍かった気がする。この人に痛覚はあるんだろうか。 「それで?僕にどうしろって?」 「決まってるじゃないですか!一緒に帰ってください!『恭弥』と戦うのは…今の雲雀さんじゃ」 「僕に…逃げ帰れと?」 「っ…」 包帯を巻きながら雲雀さんが鋭い目でこちらを睨む。普段そんな顔されないから、俺は怯んでしまう。 「今の僕じゃ、あいつに負ける?僕があいつに劣ると?そう言いたいのかい、君は。」 「………そうです。」 険をはらんだ眼差し。でも、気休めを言ってどうにかなることじゃないから。 拳を握り締めて雲雀さんの強い眼光を受け止める。 あなたが俺を思ってくれるようにあなたを思う人間がいることを忘れないで欲しい。 『恭弥』と一人で対峙しないで。それはもう雲雀さんだけの問題じゃないから。 黙って見合う。先に目を反らしたのは雲雀さんだった。 彼はブレザーを羽織りソファーから立ち上がると俺に歩み寄る。 その足元に…影はない。 「……劣ると知っても退くわけにはいかない。影となればいつとって変わられるか分からないから。」 「雲雀さん…」 「そう思ってたのに…もう手遅れだったわけだ。」 手遅れ…? 顔を見上げれば雲雀さんが小さく笑う。 腕が伸びてきて、ぽふりと抱き締められた。 「まさかあちらで負った傷が現実にも影響するとは思わなかったよ。この程度でよかった…死んだら君に会いに行けないから。」 「雲雀さん、手遅れって何が、」 『…し!!』 「!」 髪を撫でられてほわほわとしていた感覚が醒める。 今の声…頭に響く声は… 「どうしたんだい、綱吉。」 「えと、今声が…」 「声?」 『なよし、綱吉!!』 「!」 やっぱり気のせいじゃない!! 雲雀さんの胸を押して離れる。どこからしてるんだ?なんだか必死な感じ… ふと窓に目をやれば写り込む俺の向こうで必死に叫ぶ…―― 「!!」 窓に写り込む学ランじゃない、ブレザー姿の彼。なんで…『恭弥』じゃない!? 窓に向かおうとして強く腕を捕まれる。 振り返れば変わらず笑んだままの雲雀さん、いや『雲雀恭弥』。 俺、また気付かないうちに鏡の中に…!? 「いいや。こちらが現実だよ。」 俺の心を読んだかのような言葉。 クスクスと笑いながら『恭弥』が首を傾げる。 「残念だな、君が学校に来なければしばらく彼として楽しもうと思っていたのに。」 「なんであなたがこっちにっ…!」 「僕が本体になったからさ。そして、彼が影になった。今この体は僕のものだ。」 腕を振り解こうと抵抗してみても全然力が緩まない…っ! 逆に掴まれた腕を引っ張られてまた体が密着する。 「離して…っ!」 「…僕にはそんな顔しか見せてくれないんだね。あいつの時には笑うのに…」 殺そうとばかりする相手にどう笑えって言うんだ!! 俺はとにかく逃れようと捕まれていない右腕を振り上げる。 シャラン! 「!」 用心の為につけていた鈴が鳴る。『恭弥』の顔が強張り腕を掴む力が弱まった。 ――今だ!! 俺は渾身の力を込めて『恭弥』を突き飛ばし応接室を飛び出す。 どこかへ行こうとか何も考えてなかった。 ただ逃げなきゃいけないと必死に足を動かす。 『綱吉!!』 「雲雀さんっ!!」 名前を呼ばれて窓ガラスに視線を向ける。 窓の向こうを並んで走る見慣れた姿に安心する。 「なんでこんなことにっ…」 『説明は後!!それより、もう日が沈む…!!』 学校の外は暗く、辛うじて辺りが見えるくらいだ。 日が沈んだ後の学校は『恭弥』の領域。雲雀さんがいれば平気だけど俺一人じゃ…!! 校舎から出ないと駄目だ!!雲雀さんをそのままにはできないけれど俺に出来ることなんて… 『いいや、無駄だよ綱吉。あの人は体を得てしまったのだからもう学校の外でも関係ない…』 「そんな…っ!じゃあどうすれば…」 『……………もう一度、鏡に戻せれば…倒せなくても鏡に戻せればなんとか出来るかもしれない。』 「鏡に…?でも、どうやって…」 『君がやるんだ。』 「!」 俺が…? 呆然とする俺に構わず雲雀さんは言葉を続ける。 『鈴を持ってきてくれて助かった。それで動きを封じて…あの鏡に触れてくれればあとは僕がなんとかする。』 「ひ、雲雀さん…?俺呪術的なこと全く出来ないのに『恭弥』にどう対抗しろと…」 因みに体力も人並み以下だ。逃げ足だけは自身あるけど… さっき腕掴まれただけでも彼の力に敵わなかったのにそれを捕まえろというんですか… 『大丈夫さ。鈴は効いていただろう?体があっても中身は変わってないんだ。 護符があればあの人も君には手を出せない。』 「…………」 右腕に嵌った腕輪と鈴。これだけが俺の対抗手段だ。 選択肢は無い。今までのように逃げ場所も守ってくれた人もいない。 眼を閉じて覚悟を決める。 「…わかりました。やってみます。」 ――だれにも気付かれない戦いが始まる。 続く… |