第十三話





腕輪にぶら下がってるの疲れてきた…

ただでさえ呪詛食らってるっていうのに余計な体力使わせないでよ。


「なんでキョウに…」

『いいからこれとっとと外してくれる。体辛い。』

「へ?」

『腕輪!これ偽物なの!君がこれ付けてると僕の力が削がれるんだよ!早く外せ!』

「は、はい!!」


牙を剥きだしてそう吠える。

わたわたと腕輪を外す綱吉。

今もかなり限界に近いんだから急げ!


『……』


全身の毛が逆立つような殺気。綱吉の腕から離れ床に着地する。

数刻前まで僕のものだった体。

怨霊が操る自身と対峙するなんて奇妙な感じだ。


『やあ。』

「……まだ自我があるのかい。しぶといね。」

『あなたと同じ血流れてるからね。むかつくことに。』


綱吉の影を利用してくるとは思わなかったからかなり油断したけど。

生身の無い状態ではほんの少しの怪我でも命取りになる。

なのに思いっきり刺されたからね…本当に消えるかと思ったよ。

でも『恭弥』に取り込まれてこのまま影に返されるか、という時に別の精神の回線とぶつかった。その先にあったのがこの体。

キョウは長いこと偵察に使われてたから解放されたあとも『恭弥』と繋がっていたんだろう。

せっかく自由を手に入れたばかりの時に悪いけど、しばらくこの体を貸して貰うとしよう。

全部終わったらまるまる一匹鰹をプレゼントしてあげないと。


「まだ利用価値あるかと思って繋いでおいたのが裏目に出た訳だ。
でも君その格好似よく合ってるよ。目つきの悪さなんか特に。猫でいれば?」

『うん、なんでも似合っちゃうんだよね、僕元がいいから。
でもこれだと毛の手入れ大変だしハンバーグ食べれないし綱吉にのし掛かれないしやっぱそっちの方がいいや。』


ゆらゆらと尾を揺らしながら『恭弥』を見上げる。

なんとか自我は保てたけれど大部分を奴に奪われている。

削がれた霊力だけでも補充出来れば――。


「ひ、雲雀さん…」

『なに。』


振り返れば偽の腕輪を手に乗せている綱吉。

いつの間にかすり替えられていた呪詛。

元の腕輪は中に入れておいた僕の髪を基盤にし、綱吉からにじみ出る霊気を利用して悪霊を弾く効果があった。

これも同じく綱吉の霊気を利用し僕を弱らせる呪詛が半永久的に続く。


「これどうしたら…」

『だからそんなもの早く捨て、』


いや、ちょっと待てよ。


『綱吉、それ開けて。』

「へ?あ、はい!」


ロケットになっている部分を開けば中にはやはり髪の毛がある。元の腕輪にも僕の髪が入っていた。

近付いてよく見てみる。

僕は魂だけの状態の今、霊気の色も判別できるようになっている。


『…………』

「雲雀さん?」


――違う。

これは僕の髪じゃない。

腕輪に前足をかけてひっくり返すと黒い髪がこぼれ落ちた。

途端立ち上るほの暗い霊気。

…この邪気…まさか…?


「……………」


もしかしたら…

じぃと髪を睨む。ただの仮説なわけだけれど、悩んだところで何が変わるわけでもない。

それにこれ以上悪くなりようも無いし…試すだけ試してみようか。

腕輪の下に鼻先を突っ込み障害物をひっくり返す。


「雲雀さん…?」


床に散らばる黒い髪。

……流石に僕でも躊躇うけど…背に腹は代えられない。

首を下げ、ちろりと出した舌を床に這わせ……



はむっ



「!!!!!!!!」

「ひっ!ひひひひ、雲雀さあああん!?」


口に含んだ髪。やはりいいものではないね…

喉に絡むそれをなんとか嚥下しようとしていると綱吉にむんずと掴まれる。


『ん…うぇ…ちょっと待って、今取り込み中。』

「何やってんですか!!吐き出して!!」


ゆさゆさと揺さぶられるのを耐えてなんとか髪を飲み込む。

……けど、気持ち悪い…


「当たり前です!!あんなもの食べたりして!一体何を……!?」

『綱吉、後ろ。』

「え?あ、わ!!」


背後の脅威から床を転がり避ける。

どこに隠し持っていたのか『恭弥』は刃渡りが30センチはある包丁を手にしていた。

先程の余裕はどこへやら、パニック映画の殺人鬼の如き形相をしている。








ドクン…







『!』


異変はまず心臓に。それまで静かに一定の鼓動を刻んでいた心臓が熱く脈打つ。

綱吉に抱えられた猫の体全体にその熱が伝達する。

体中の毛が総毛立ち、ぞわりとした不快感の後に欠落していた力が漲る高揚感がやってくる。




―――当たりか。




「わ…!」


体内の変異は体外にもすぐに現れた。

仄白い炎のような霊気が小さな猫の体から立ち上る。

補ってあまりある力。髪の一部を取り込んだだけでこれでは、先祖が苦戦したわけだ…


「ひ、雲雀さん…なんか体光ってますよ…?」

『予想以上だったからね。』


憎々しげにこちらを見下ろす『恭弥』。

これが常に余裕のある笑いを浮かべていた男の素顔。


何百年も前から積み上げていた計画。

僕たちが、いやそれどころか祖先よりも前に村人達がしていた勘違い。そこから既に仕組まれていたのだろう。

どんな強力な術者があらわれようと厳重に封印されようと応えぬ悪鬼。

あの自信と余裕は当人の凶悪な強さだけで成り立っていたわけでは無かったのだ。


『…………』


元は自分のものである顔を見上げる。

中身が違うだけでこうも表情が変わるものなんだ。


『凄い顔。まるで生成の面のようだね。』

「そんな生ぬるい例えしないでくれる?」

『僕の顔は涼やかさに溢れてるからね。般若の面とはいかないよ。まあ、もっとも』


綱吉の腕から抜け出し床に降り立つ。

霊力が戻ったせいか体がとても軽い。といっても猫のだけど。


『あなた本体の顔はきっと真蛇の面も遠く及ばない形相をしているんだろうけど。』

「…………………」


ここまで、今の今まで一族と多くの術者を欺いてきた『恭弥』の真実。

けれど、やはり鬼と化しても人の性は変わらない。

欲が判断を鈍らせたのかもしれない。

とにかくやつはここまできて自ら尻尾を僕の前に差し出してしまった。


「本体…?」

『あの腕輪の中身。あれは彼の毛髪だ。
けれど毛髪だけ残っているわけがない。』


第一ヤツは何百年も前に山奥で惨殺されている。死体などとっく土に還っているだろう。

例えば運良くミイラ化なりなんなりしていれば遺体は現代まで遺るかもしれない。

だが果たして疫病の原因と思いこんでいた村人達が『恭弥』の体をそのままにするだろうか?

そんな筈はない。おそらくは骨も残さずに焼き払ったはず。



いや、焼き払ったと思っていたはずだ。



『悪霊ではなく悪鬼。そう鬼だ。今まで無意識にそう呼んでいた。
鬼は生前に変わるもの…怨みを持って死んだんじゃない。


















あなたには今も生きている体がある。』

「っ…」


綱吉が後ろで息を呑む気配。

目の前の悪鬼は能面のように表情を消し僕を見下ろしている。

やがてゆっくりと口を開くと唸るように呟いた。


「………やっぱり君は幼いうちに滅しておくべきだったよ。」










* * * *













――恭弥様。――





――恭弥様。――






また、呼ばれている…今日はなんの用だろうね。

村人の声に目を開ける。

なにも無いときはこうやって寝て過ごすのが日課だった。

起き上がり襖を開ける。欠伸をしながら姿を見せれば伏す人々。

仏像にでもなった気分だ。


でも…不快ではない。


なかなかに居心地の良い村だった。

人々はそれなり気が良く、豊か過ぎず貧し過ぎず…

ただ唯一の難点は邪気が滞りやすいこと。

なのにこの村には護りがなにもない。


始めはほんの気紛れだった。

咬み殺し甲斐のある獲物を探してたまたま行き着いたのがここだった。

そうしたらえらく感謝されてしまった。

ずっと村にいてほしいと乞われ、生き神のような扱い。悪い気はしなかった。


一族でも特殊と言われた予知、失せ物探し。なんでもやってみせた。

僕もまだ幼かった。能力をひけらかせばひけらかすほど祭り上げられていった。

でも大人に近づくに連れて予知の能力は無くなっていく。

それでも、まだ僕には占じがあったから特には困らなかった。













けれど、予知の能力が失われずにあれば…こんな事には……――















「がふっ…」


喉をせり上がる血の匂い。

機能しているのか分からない肺は呼吸する度に嫌な音をたてる。

足の感覚はとうに無く…右足にいたっては繋がっているのかどうかさえ分からない。


「っ…」


頬を焦がす勢いの炎。

僕を焼く気でいたのだろうが、なんとか動く腕で火の手からは逃れられた。

けれど…もう限界だ。

瞼に乾いた血が張り付き視界を塞ぐ。

その血を剥がしたいけれど、手が持ち上がらない。

いや、それ以前に指があるかどうかも…

ゴボリ、と口から…いや喉から?感覚が曖昧だが…血が溢れ出すのが分かる。


痛い…苦しい…辛い…

殺す気なら…息の根が止まったかどうかまで確認していけ…っ…!


出ない声でそう悪態をつきながら無理矢理瞼を開く。

霞む視界に燃え盛る炎とべっとりと血の付いた農具。僕をこんなにした凶行に使われたものだ。


…疫病神と一緒に処分して、己の手の汚れも隠滅するつもりなわけか。

こんな状況なのに、笑いがこみ上げる。


弱者は目に見えるものに縋りたがる。

村の脅威を払ってやれば崇め、媚びへつらう。

だがそれ以上に強大な脅威に見回れた途端、これだ。

余所者に厄を被せ、焼き払う。『疫病神を殺す』という名目で。

だが心のどこかでその行為がただの八つ当たりであることは分かっているのだろう。

だからそのやましい心を隠そうとするんだ。

人は群れると愚かな行為しか起こさない。間違いと分かりながら群れに対抗する気もない弱者ども。




――恭弥様。――




耳障りな記憶。

笑いが収まれば次に沸き上がるのは煮えたぎる感情。

居心地の良かったものが、排除すべき汚泥に変わる。

今まで、見返りを求めたことはなかった。

ただ、居心地が良かった。それだけを求めた。

だが奴らが僕に寄越したものは隠滅の炎と癒えぬ傷、死を待つばかりの凶行。

これが貴様らの返礼だというならば僕も返すとしよう。

僕が与えていた平穏とぬぐい去った脅威を。





利子をつけて、返してやろう。

















続く…





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