第十四話 幼い頃に、綱吉の祖母宅に一度だけ行ったことがある。 そこで見たたくさんの鬼の面。魔除けのそれに怯える綱吉の手を引いて年長者ぶって見せたっけ。 奈々さんによく似た日溜まりのような老婦人はそれを微笑ましげに見ていた。 そして泣きじゃくる綱吉と僕にひとつひとつの面を取って解説を始めた。 今はもうその話の内容も面の表情も殆ど覚えていない。 けれど、一つだけ。 幼心に恐怖を感じたあの面の表情だけは今でもはっきり思い出せる。 額は人間の女面を現す白。 だが眉から下は人外の赤に変色し、頭上には人ならざる証の二本の小さな角。 半目に開かれた瞼から覗くは狂気を現す金泥の白眼。その中心に怨めしげな黒眼。 虚ろに不気味に裂けかけた口からは人には鋭すぎる牙が剥き出す。 寄せられた眉は哀しんでいるようにも見えるが嫌らしげに歪んだ口は獲物を見つけた喜びにも見える。 他にもっと恐ろしい造形の面はいくらでもあった。 だがその人か鬼か、笑みか悲哀かわからぬ表情の面と目があった時、ゾッとしたあの感覚は忘れない。 『ねえ、あれはなに?おになのひとなの。』 『あれ?あれはね、「なりかかり」の面よ。「生成(なまなり)」とも言って、鬼に変わろうとしている女の人の顔なの。』 『ふうん…』 周りの醜悪な面の中で女の柳眉を残した面。 人らしさが残っているからこそ、気味の悪さが増す。 『これの次があそこの「般若」の面の「中成」、その次がこの「真蛇」の「本成」と言って…』 面の解説を聞き流しながら「生成」を見つめる。 まるで… 『このおかお、あの黒い人みたい…』 『…そうだね。』 醜悪な悪霊の中にいる人と見紛う異質な外見。 けれど皮を剥けばこんな作り物など到底敵わない醜悪な鬼の形相を隠しているのだろう。 * * * * 「………やっぱり君は幼いうちに滅しておくべきだったよ。」 『恭弥』が一歩を踏み出す。 俺は慌てて白く光っている猫を拾い上げた。 「まあ今更なんだけどね。…どちらにしろ、ここで食らってしまえばいいだけの話だし。」 『それは僕にも言えることさ。髪だけでこれなら尚更ね。』 ペロリと舌なめずりする猫に総毛立つ。 た、食べる気ですか!?『恭弥』を!?いつから悪食嗜好になったんですか!! じりじりと後退る俺に、ゆっくりと歩み寄る『恭弥』。 雲雀さんはするりと俺の腕を抜け出すと肩によじ登る。 『……綱吉。ちょっと僕集中しなきゃいけないからしばらく時間稼いでくれる?』 「え?」 耳の側で猫に耳打ちされる。 時間稼ぎ?稼ぐったって何をすれば… 『いいから走る!!全速力!!!!』 「ふぇ!?は、はい〜!!!!」 猫になっても気迫変わらずとか… 雲雀さんの言うことは絶対。いつもの癖で命令通りに体が動く。 くるりと『恭弥』に背を向け一目散に走り出す。 当然だけどすぐに追いかけてくる『恭弥』の気配。 って雲雀さんの体じゃすぐ追いつかれる!! 俺は目に付いた鈴を腕から取り、振り向き様に『恭弥』に投げつける。 「ぐっ……!!」 当たったかは分からない。 けれどよろめいて膝をついたのは音で分かった。 この隙に…!! 「逃げるって言っても、どこに…!?」 『外!!』 「え!?」 幽霊達が動き出したってことは『恭弥』の力が学校全体を包んでるってことなんじゃ… 「でも俺一人じゃ……」 『今の僕なら無効化出来る!行け!』 「は、はい!!」 よく分からないけど光る猫の言うとおり昇降口に向かう。 途中にトイレや保健室があったけど、いつもと違って白い腕も血まみれの生徒も飛び出しては来なかった。 これも雲雀さんが原因なのかな…? 無事昇降口まで着くと上履きのままガラス戸に飛びつく。 「っ…!やっぱり開かない…!!」 『綱吉、離れて!』 言われた通り下がると、キョウの体がより一層強く輝く。 途端、バチンと変な音がして扉が弾かれたように開く。 「な!?」 『驚いている暇はないよ。グラウンドの向こうまで行って!その先の森だ!!』 「???」 なんかよく分からないけど言うとおりにするしかない! 昇降口から出てグラウンドを真っ直ぐに突っ切る。 ……その途中でなんかボコボコ地面から出てきてたけど、俺は何も見ていない。 ていうか止まると捕まる!!!!!! グラウンドを走り抜けると大人くらいの高さの石垣があり、その上は卒業生が植樹した小さな森になっている。 その後ろに昔からある本当の森が延々と続く。 特に決まりは無いけれど、誰も好き好んで近づこうとはしない森。 キョウの体の雲雀さんは俺の肩から降りるとトントンと石垣を上がっていく。 …………う〜ん。なんか嫌な予感がする。 「え〜と…雲雀さん?」 『なにしてんの?ちゃっちゃと登る。』 「はい……」 拒否権はやっぱ無いですよね…… 石垣に手と足をかけてなんとか登る。 俺が登りきるのを待って、トコトコと歩き出す雲雀さん。どこに向かってるんだろう…… 森の中は真っ暗だけどピカピカした猫のお陰で周囲は大分明るい。 『……ここまで来ると濃密過ぎて分からないな…』 「何がですか?」 『『恭弥』の本体のありかだよ。』 「…そんなのまで分かるんですか…」 なんでも有りだな…キョウの体…… 緊迫してる状況の筈なのにお座りしてたしたし尻尾振ってる雲雀さんを抱き上げる。 いつ『恭弥』がくるか分からないのに呑気過ぎる…… とにかく、一カ所にいるのは良くないと思う。森の奥には行きたくないけど…見えない恐怖より迫る危機だ。 足音はもうどうしようもないから、なるべく遠くへ。 『……綱吉?どこに向かってるんだい?』 黙ったまま突き進み、走り続けてちょっと息苦しくなったころに雲雀さんが不思議そうに問う。 どこって…別になにも考えてはいないんだけど。 「ただ見つかると困るから暗い方へ暗い方へ…って。」 『……ふうん。』 キラリと一瞬、キョウの目が光る。 ?なんかあるのかな?そう聞けば『適当に進んで』と返ってきた。 なんか気になるな…… でも戻るわけにも立ち止まる訳にもいかないから進むしかない。 懐中電灯代わりの雲雀さんを腕にしっかり抱えてまた小走りに進む。 『あ、綱吉。』 「なんですか!」 ガショ…ッ 『危ない。』 「は!?おわっ!!」 猫が見ていた方を向けば振り下ろされる錆びた刃。 なんだ!? ガショ…ッ…ガショ…ッ… 「!!!!」 完全に生い茂る木々に出来た僅かな隙間。そこから差し込む月明かり。 そこにいたのはよく戦国時代劇とかで見る鎧兜を着た…… 「む、ムンクの叫びみたい、ですね…」 『面白い発想だけど間違いなくミイラだね。しかも半腐乱の。』 「ヒイイィィィ!!」 い、言わないでええええ!!!!!!気持ち悪いぃぃ…!!!!!!考えないようにしてたのに!!!!!! 『ミイラはダメ?じゃゾンビで。』 「どっちも嫌だああああああ!!!!」 なんでそんな平然としてるの!!猫だから!?雲雀さんだから!? ぐるぐる考えてると気味の悪い鎧兜がガシャガシャと音を立てて刀を振りかぶる。 「うわわわわっ!!!!」 『鈴は!?』 「さっき『恭弥』にぶつけて…!」 『あ〜…そうか…仕方ない。』 トン、と雲雀さんが俺の胸を蹴り宙に飛び上がる。 その猫に向かって刀が振り下ろされる。 「!!」 斬られる!! そう思った次の瞬間、キョウの体から青白い炎が四方に放たれる。 鎧兜の刃にも炎が触れた。そこからはまるで枯れ枝が燃え上がるような早さだった。 ギャアアアアアアアアアアアア!!!!!! 「な、なにしたんですか!?」 『足止め。また復活するよ!急いで!』 よく分からないけれど離れろって事!? 肩にトンと雲雀さんが乗ったのを確認してまた暗い方へ走り出す。 あ〜、びっくりした!!!! 『ドンピシャだね、綱吉。』 「なにが!?」 『正解ってこと。今進んでる方向が。』 「?」 『どんどんあいつの気が強くなってる。君の向かってる方向に本体があるってこと。 しかもなりふり構わないって感じじゃないか。今まであんな実体あるのに襲われたことないでしょ。』 「………」 確かに。 いつもはお化けっていうか学校の怪談レベルで…… 「って雲雀さん、俺に適当に進めって…」 『こんな真っ暗なのに『暗い方』なんてあるわけないだろ。君は障気を目視してたんだよ。やつの体から出るね。』 トン、と地面に降りるとキョウは感心したように俺を見上げる。 『見鬼ってのはなんでも有りだね。無駄に凄いよ。』 「はは……」 出来ればいらなかったです…そんな能力…… 続く… |