第十六話 ………見辛い。 視点が低いし草邪魔だし。 走りながら後ろを見れば追いかけてくる死骸の群れ。 作り物の映画じゃああいうのはとろいと相場が決まっているけれど彼らは生前と変わらない動きで追ってくる。 元の体なら完膚なきまでにに叩き潰して終わるんだけど今僕猫だし。 一応パワーアップはしてるけど余計なことに力を裂きたくない。まだ先は長そうだ。 まあ、こんな分かりやすい陽動に引っかかってくれるのはありがたいけどね。 『ん……』 猫の目は暗がりでもそれなりに目が効く。 もう少し行ったとこに月の光が射し込んでいるのが見える。目を凝らせば大分開けた場所だ。 ………綱吉からは距離は稼いだし、ちょっと派手になっても大丈夫かな。 騒がしい死骸どもを引き連れたまま速度を上げる。 『よっと。』 開けた場所に入ると、猫の跳躍力で手が届かないギリギリの高さの枝に飛び上がる。 そして亡者どもが見失わないように霊気を高める。 灯りに誘われた羽虫のように集まってくる死骸。 闇夜に光る不気味に虚ろな目。 届かない僕に伸ばされる腕、腕、腕。 ………流石の僕でもくるものがあるんだけど、これ。 『僕はゾンビよりお化けがいいなぁ……まだファンタジーで。』 お座りした状態でしたんしたんと尾を振りながらそう独りごちる。 お化けは臭くないし見た目がこう、ズバッと怖がらせるぞ!って感じがした方が気持ちいいじゃないか、見てて。 ゾンビはなんかもう生理的にヤダ。変に現実的で気持ち悪い。 どうせなら骨とか人体模型みたいので来ればいいのに。 ブツブツ言ってる間にも死骸達が集まってくる。 暗がりから新しい人影が出てこなくなったことを確認して立ち上がる。 さあて……ちょっと肩慣らしといこうかな? 後ろ脚に力を入れて枝を蹴り、中空に飛び上がる。 イメージは花火。 眼前に伸ばされる崩れかけた腕。それがこの体に触れる前に爆発する…… そのイメージの通りに青い火が雷のように四方に走る。 それに触れた死骸は枯れ葉のように燃え上がっていく。 『おっと。』 燃え盛る腕を霊気で弾く。 火に巻かれながら尚、死骸たちは僕へと腕を伸ばしてくる。 死骸は痛覚も苦しみもないから関係ないんだろう。 煩わしいからまた高い枝まで飛び上がる。 『……うん。』 まずまずってとこかな。 一面に広がる青い炎。ものの数秒でそれは消え去る。 後には森の静けさだけが残った。死骸は跡形もない。浄化してしまったからね。 もう、彼らが操られることも無いはずだ。 『さてと……』 次が来る前に綱吉を迎えに行かないと…… * * * * 「っ!」 濃い闇の気配が一瞬揺らいだ。 雲雀さんが走って行った方……! 木の上からだとそっちの方向がぼわ、と数秒明るくなったのも見えた。 あの色、雲雀さんの出してた火と同じ色だった。 「……大丈夫なのかな……」 太い木の枝の上に立って目を凝らす。 当然、暗いし遠いしなにも見えない。 一人だからすごい長い時間ここにいるような気がする。 「そろそろ来る」とか言うから動くに動けないし。 ポケットに入れた鏡を何度も確認する。 「……!」 ぞくりと背中に氷の柱を押しつけられたような寒気。 雲雀さんの霊気で揺らいでいた森の闇がより濃く重くのしかかる。 なんでいきなり……もしかして『恭弥』が来た!? 恐る恐る下を覗いてみる。でも誰もいない。 「……?あれは……」 誰もいないけど、寒気の正体は分かった。 俺たちが目指してた「暗い方」から、真っ黒なドロリとした……煙? なんていうか……結婚式とかで使うドライアイスのスモークみたいのがじわじわドロドロ流れ出てる。 「……………」 注意深く辺りを見回す。 ……なにもいない、ね。 そろそろと木から降りていつでも使えるように鏡を取り出す。 それをしっかりと両手で握りしめて黒いスモークの流れ出る方へ足を踏み出す。 「っ…!」 黒いスモークに触れた途端、全身の毛穴が開くような怖気に襲われる。 冷や汗が噴き出して足が震えて……総毛立つって表現を初めて理解した気がする。 「行きたくない」って俺の体も本能も訴えてる。 「………はっ……」 心臓の音がいつもより早い。 振り返ってみても雲雀さんが戻ってくる気配はなかった。 『恭弥』は……スモークのせいで分からない。 なにもしてないのに息が勝手に荒くなる。 この先に、雲雀さんの言っていた「当たり」がある。 行かなくちゃと思うのに、足が竦む。 でもぐずぐずしてたら『恭弥』が来てしまう……! 「……よ、よしっ……!」 無理矢理、声を出して自分を奮い立たせる。 寒気も怖気も消えないけど、雲雀さんが消えてしまったと思った時より全然マシ! もう一度「よし」と繰り返して暗い森の更に奥に踏み込む。『本体』に向かって。 後から後から噴き出してくる黒いスモークの流れに逆らって進む。 進めば進むほど人が踏み込まないようなとこに入り込んでいく。 斜面は木の根や岩に捕まって這い登る。 草木を掻き分けて、背の高い木ばかりが生えるでこぼこした地面に足をとられて。 そうしてるうちにいつの間にかごつごつした岩場だらけの場所に着いた。 「……あそこ……」 洞穴がたくさんある。そのうちの一つから黒いスモークが流れ出ていた。 ひどい足場に苦労しながらそこに向かう。 けれど中を覗いても完全な真っ暗闇でなにも見えない。 ……そういえば、来たはいいけどどうするのか聞いて無かった…… 「……………っ。」 迷ったけど、ここまで来たんだ。今更待つもなにもない。 一度深く息を吸い込んで、ゆっくり吐き出す。 覚悟を決めて暗がりに足を踏み入れる。 「うっ……!!」 鼻と口を抑える。洞穴の中と外には見えない壁があったかのようだ。 中に入ると体にまとわりつく淀んだ空気、そしてなんて表現したらいいのか……とにかく異臭が酷い。 あの黒いスモークなんかただの空気に思えるくらいだ。 膝は震えるどころか折ってうずくまりたい気分だし、この奥に向かうなんて……―― 「!、ダメダメ!」 パン、と顔を両手で叩く。 こんなとこでビクビクすんなら外で待ってるよ! 幸い、見鬼のおかげかは分からないけど外から見た時と違って中はほんのりと明るい。 ……まあ、明るいっていってもなんか嫌な感じの明るさなんだけど…… 緑がかった感じの、如何にもなにか起きそうな…… 「……ああもう!!」 立ち止まってると碌なことしか考えない!とにかく進む! 鼻と口をシャツの袖で塞いだまま奥へと足を進める。 洞穴は人が一人入るのがやっとくらいの大きさで天井が凸凹してる。 屈まなくてはいけないところもかなりある。 足元は黒いスモークのような靄が澱んで見えないけど歩く度に水音がするから、なにか染み出しているようだった。 奥へ進むほど臭いも酷くなる。鼻を抑えても全然意味がない。 それに臭いが酷くなるに連れてだんだん、視界が暗くなっていく。 スモークみたいな靄が充満してきてるせいだ。 なんとかまだ見えてるけど……これ以上は 「!」 靄の中で、何かが動いた。 確かに見えた。間違いない。 もう感覚の麻痺してしまったと思っていた体に冷や汗が浮かぶ。 匂いは一層酷くなっている。鼻を覆うのは疾うに諦めた。 役に立つか分からない鏡を握り締めてそろそろ足を動かす。 「なにか」が見えたあたりに近づき目を凝らしてみる。 「……………………っ!」 手。 手だ。 青い、青く変色してる。 ぶよぶよに膨らんだ…… 「見るな」と意識のどこかで声がする。 けれど視線をそこから反らすことが出来ない。 また「見るな」と声がする。 俺も見たくなんかない。 見たくないのに視線は勝手に手からその続きへと…… 「見ないで。」 後ろから伸びて来た手が視界を覆い隠す。 ひんやりとした手。 けれど確かに生きている人の体温だ。 「見ないで綱吉……!」 もう一度、繰り返す声。 こんな切実な声を聞いたのは初めてだ。 視界を覆われたまま、後ろから抱き締められる。 腕に力が籠もっていっても、不思議と逃げたいという気持ちも怖いという感覚も湧かなかった。 相手の腕が、体が、小刻みに震えていたせいかもしれない。 俺は視界を覆う手を掴んでゆっくりと後ろを振り返った。 見上げる先に雲雀さんの姿の『恭弥』がいる。 けれど戦慄させる笑い顔も不敵な雰囲気もそこにはない。 寄せられた眉、揺れる瞳に耐えるように引き結ばれた唇。 哀しげに、苦しげに歪んだ顔。 鬼の面を捨て、人の感情を剥き出しにした『鬼』。 初めて見る表情に、俺は思わず手を伸ばす―――。 続く… |