第十七話














以前、対峙した相手に問われたことがあった。







『何故、この場所に拘るのか』と。







拘る……拘っている?

………確かにそうかもしれない。







けど理由など疾うに忘れてしまった。

僕は地縛霊では無いし、子孫に恨みが有るわけでもない。

我を忘れて暴れたのは村を壊滅させるまで。

今はただ人を越えた眷属の本能として破壊を楽しむのみ。







それでも悠久の時の中。

薄らぐ記憶の中で、その問いかけだけは褪せずに耳に残っている。







この地に拘る理由……

それがなんだったかを思い出せない。

問いかけた相手の姿も声も覚えていない。








けれど、その答えを









今もどこかで探している―――









* * * *


「うっ……!?」


一際強くなる悪臭。

いや、悪臭というか……黒い靄の濃さが増した……?

膝から力が抜け自力で立つことが出来なくなる。

差し伸ばした腕からも力が抜ける。


「………無茶、しすぎだよ綱吉。」


『恭弥』が二の腕を掴んで俺が地面に倒れるのを防ぐ。

その顔には人の表情も鬼の表情もない。

完全な無表情。無機質な能面のようだった。


「うぐっ……」


強烈な吐き気が襲う。

重い腕を動かして口を覆う。

頭はぐらぐらするし、視界も霞む。

今まで耐えてた分が一気に来たみたいだ……!

『恭弥』は動けない俺の体を壁の窪みに凭れさせてその側に屈み込む。

こちらに伸びる手は首ではなく額に。

俺が動けない今はチャンスなはず。

今まで何度も俺の命を狙ってきたのに、俺の前髪をなぶる『恭弥』にその素振りはない。

気分なのかなにか理由があるのか……


「馬鹿だね。障気を吸いすぎだよ。そんなになる前にどうして引き返さなかったの。」

「う……はっ……」


胃の辺りが鉛のように重いし気持ち悪い。

呼吸するだけで寒気は増してゆく。

『恭弥』が来たことで黒い靄は本当の煙みたいに視界を陰らせる。


「っ……!」


吐き気も臭いも酷すぎる!!!!

堪らず、両手で口を抑える。


「あ……」


その拍子に鏡を落としてしまう。

意識では拾おうと思うのに、体が重くて鈍い。

転がる鏡は『恭弥』の足にぶつかって止まった。


「まだ、持ってたのかい?」


呆れたように笑いながら『恭弥』が無造作に鏡に手を伸ばす。


「っ!!」


バチィ!とショートするような音。

手が触れるか触れないかのところで突然青い光が弾けたのが見えた。

『恭弥』がやったのかと思ったけれど、驚いた表情と手から流れる血がそれを否定する。

見ればひっくり返った鏡に青い八角形の光が浮かぶ。

さっき雲雀さんがつけた傷に沿うような形をしている。

―――雲雀さんの力だったんだ。


「……面白い仕掛けだね。」


ほっとしたのもつかの間、ぞわりと背が粟立つ。

手の傷を舐める『恭弥』はすっかり鬼の表情に戻っていた。

ニィと笑う『恭弥』自身からはドス黒い霊気が漏れ出る。


なんか……これ、ヤバい!!


慌てて鏡に手を伸ばす。

けどあっちの方が早かった。

俺が掴むより先に鏡を蹴り飛ばす。


「ああ!」


鏡は放物線を描きながらあの「人らしきもの」があった方向へ飛んでいく。

立ち上がろうとついた手も払われて今度こそ地面に倒れ込んだ。


「うっ……」


―――限界だった。

靄を思い切り吸い込んでしまったのも効いた。

立ち上がるどころか自分で体を起こす力もない。

ヤバい……俺、もしかしてこのまま……!!首に回る指に、堅く目を瞑った。










その次の瞬間。










ドンッ……!!









* * * *

じぃ、と見上げた先。

人間の目なら暗くてよく見えないと思えるけど夜目の効くこの目でそれはない。

木の上で隠れられる筈もないんだから見たままが真実だろう。


『大人しくしてるとは思ってなかったよ……』


案の定、だ。

そこにいろって言ったのにやっぱり綱吉の姿は無かった。

あの子、ホントにホラーの主人公向きだよ……

臆病に見せかけて好奇心旺盛で行動力あるんだから。

ぐるりと見回しても争ったりした形跡はない。

……となれば自分で動いたに違いない。

「恐怖に負けて僕を追いかけた」とかなら可愛い理由だけど多分違う。

「『恭弥』を見つけて追いかける」なんて無謀で馬鹿丸出しなことをする可能性の方が高い。

目を閉じて辺りの匂いを嗅ぐ。

動物は目より嗅覚や聴覚の方が霊気を認知し易いらしい。


『……こっちかな。』


茂みの方向から漂う、澱んだ霊気の匂い。

『恭弥』のものとはまた違う感じだがこれだけの濃さなら綱吉には『見えて』いるはずだ。

目を凝らせば草や枯れ葉の隙間に新しい足形も見える。

大きさからいって、あの子のものだろう。

これは決定だな……溜め息をひとつ吐いて、綱吉がいるであろう霊気の出所に向かい走り出す。


『……期待を裏切らないね……』


この分だと多分、危機的状況に陥るというお約束な展開も待ってる気がする。

僕が行くまでとにかく死に物狂いで抵抗してくれてることを祈ろう………




* * * *



「っ!?」


爆発が起きた背後を振り返る。

今の爆風であたりに立ちこめていた「殻」の障気がかき消された。

代わりに白い蒸気が視界を覆う。


「!」


青と赤の電撃のような光が走る。

出どころは僕が蹴り飛ばしたあの鏡だった。

周りのプラスチックが溶け崩れて鏡面だけが転がっている。バチバチと弾ける二色の光は水を弾く熱せられた油のようだ。

「殻」に満ちた霊気とやつの力が反発し合って起こった爆発。

……あいつと僕の霊気はとことん相性が悪いようだ。

しかし一時凌ぎの小道具と何百年とある「殻」では霊気の内包量が違う。

青い光が徐々に弱まり、それとは逆に赤い光が強く弾け、黒い障気が辺りをまた元の通りに包み込んでいく。


「…………」


ただの鏡に戻ったそれに僕の顔が写り込む。

僕であって僕ではない「雲雀 恭弥」の顔。

彼と僕は瓜二つだと言われているが、それが真実なのかは僕にも分からない。

「これ」が本当に僕の顔なのか。誰も、僕自身も覚えていない。

確かめようにも「殻」は長い年月の間に崩れ、もう元の形状なんて分かるはずはない。

……分かったところで意味なんて無いしね。

くだらない感傷を振り切るように鏡を足で裏返す。

カランと硬質な音だけさせて、鏡は沈黙していた。


「ん……」


振り返ると綱吉が居なくなっていた。

――今の隙に逃げられたのだろうか。まったく気付かなかった。

障気で動けないと踏んで油断した。

見た目に反してあの子意外に体力あるの忘れてた。

「窮鼠猫を噛む」を地で行くからな……

洞穴の先を見ても姿は見えない。


「………ま、いいか。」


慌てる必要はない。時間制限があるのはあちらの方だ。

もう逃げ回るばかりではいられない筈。チャンスはいくらでもある。

「殻」の脇に立ち、変わり果てた自分自身を見下ろす。

……「自分を見下ろす」ってなんだか変な感じだ。


「…………はあ。」


盛大な溜め息をつく。

だって正直気が進まないんだよね。

ずぶ濡れになった服を折角脱いだのに、また着なくてはいけない。そんな感じの気分だ。

久々に見たけど「殻」の傷みは随分と酷い。

鬼と化したとはいえもう半死状態だったから仕方ないのだけれど。

屈んで変色した腕を持ち上げる。

……充分にまだ「使える」ことを確認する。




まず綱吉は後回しだ。

先に万が一の『可能性』を潰しておくに越したことはない。


今度は跡形もなく消してあげよう。
















続く…





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