第十九話





トコトコと歩いて、ちらりとこちらを見る。

俺がついてきてるのを見るとまたトコトコと歩き出す。


「……どこに行くつもりなんだよ?」

「にゃあ」


……「黙ってついてきなよ」と言われたのかな、今のは。

でも聞きたくもなるよ……ずっと歩いてるけど、変わり映えのしない暗闇しか広がってないんだもん。

キョウがなにか目的をもってどこかを目指してるのは分かるし、悪意がないのも分かるんだけど……


「………はぁ。」


ふわふわ揺れる尻尾を見てると、昔を思い出す。

あれは、まだ小一の時だったかな……

学校の裏山で遊びに夢中になって、帰り道もわからないくらい奥に入ってしまって。

陽は沈みかけて今にも暗くなりそうで。

それで心細くて泣いてたら、『恭弥』の入ったキョウが来たんだ。



『……なにしてるの、こんなところで。』


『迷子?馬鹿だね、君。』


『もうちょっと大きくなるまで死なれちゃ困るんだ。』


『仕方ないから連れて帰ってあげる。』


『ほら、立って。泣いてないで。』



そう言って、機嫌悪そうに尾を振って。

今みたいに先に立って歩いて……―――


「!」


キョウの歩く先に、鏡がある。

学校にあるあの鏡と同じ大きさの鏡が。

ずっと暗闇しか無かった筈なのに……!

駆け寄って見れば、間違いなくあの鏡だった。向こうに学校の階段の踊場がある。

やっぱり、鏡の向こう側だったのか……!!でもいつ入ってしまったんだろう……


「なーお」


ヒマラヤンが低く鳴く。

見下ろせば青い丸い瞳と視線がかち合った。


「キョウ?」


なにか言いたそうに見えた愛猫に手を伸ばす。

けれどキョウはその手をすり抜けて水に入るように鏡へと飛び込んでしまう。

慌てて捕まえようと手を伸ばしたけれど、猫を通した鏡は硬質さを取り戻していて俺を通してはくれない。

ただ、鏡の向こうの景色が水面のように広がる波紋で歪んでいく。


「………?」


やがて波紋の消えた鏡の向こう。

その景色が変わっている。

学校じゃ、ない。昔話で見るような古い家が並ぶ。

そして、そこを歩いていく黒っぽい着物の……


「………『恭弥』?」


+ + + +


――また酷く澱んだものだね。

村の隅にある掘っ建て小屋。その周りに円を描くように黒い靄が漂う。

病や死の穢れに引き寄せられたそれに顔をしかめる。

穢れは澱み溜まり続けると酷い悪臭を放つ。

……1日開けただけだと言うのにもうこれか。

とてもその中に入る気は起きなかったので柏手を打つ音で靄を払う。

この程度の邪気なら道具も必要ない。


「入るよ。」


小屋に歩み寄り、立て付けの悪い戸を無理矢理開く。

返事を聞く気も無いので土間から一段高い居間に上がり込む。

板の間にどかりと座り込めばごそりと住人が動いた。


「……坊か。」


囲炉裏の弱った火をつつき細い枯れ枝を放り込む。

徐々に火の勢いを取り戻した囲炉裏の反対側に煎餅布団があり、そこにしわくちゃの老婆が横になっている。


「祓ってくれたのかい……ちょいと楽になったよ……」

「邪魔だったからね。でももう長くない。」


枝をくべながら老婆を横目で見やる。

昔、この村にやってきた流れの巫女だという彼女。

若い頃は強い霊力で村全体を守っていたのに今は自分の家の穢れすら祓えなくなっている。

元巫女は僕の言葉に「ヒヒ」と笑うと身を起こした。


「知ってるよ。今夜にはお迎えが来るだろうさ……
どうでもいい予知だが少しは役に立つ。片付けはもう頼んであるしねぇ。」


薪を囲炉裏に追加する。

予知か……

燃える火を見ながら、数年前にこの村に僕を招き込んだのもこの老婆であったことを思い出す。

万能ではない予知能力だと言うが、死期と能力の限界が迫っているのを知っていたかのようだ。


「僕が余所に行くとは思わないわけ?」

「……いいや。思わないね。」

「どうしてだい?予知は完全じゃないんだろう?」

「ふん。侮られては困るね。坊に占を教えたのは誰だと思ってるんだい。
婆の占は百発百中、外れるわけがないのさ。」


自信満々に言い切る老婆に少しムッとする。

僕は一カ所に留まる気はないんだけど。

でも口で言っても笑って流されるのは分かっているから黙って囲炉裏をつつく。


「ひひひ。婆の占では坊はずっとこの村に、いやこの地に居てくれると出た。
坊がいるなら安泰、安心して往生できる。」

「勝手な遺言しないでくれる。」


なにその「あとは任せた」みたいな。

僕この村の守りする義理なにもないんだけど。

……………………確かに居心地の良さは否定できないけど。

この老婆も稀にしか発動しない予知しか無かったのに、村人たちはそれは丁重に扱っていた。


「義理は無い、確かに。けれど動機はある。」

「……………………なに。」


くい、と片眉を跳ね上げ人の悪い笑いを浮かべる老婆に自然眉間に皺が寄る。

からかう気満々の顔なんだけど。


「坊が懸想する相手がこの地の人間よ。そう出た。」

「…………………………は?」

「しばらく先の話ではある。婆は恋占いも得意だからね。ひっひっひっ。」

「……………………」


「ひっひっひっ」じゃないよ、なにそれ。

そんな理由なの。とっても現実味ないんだけど。

不機嫌になっていく僕を余所に老婆は枕元の葛籠を開いて中を漁っている。

………なにを探してるのか。

バキバキと少し太めの枝を折って火に放り込む。


「あったあった。ほれ坊、形見分け。」

「……まだ生きてるけど。」


差し出されたものを受け取る。

―――丸い、手鏡だ。

それも螺鈿蒔絵の花が背面に施されたかなり高価そうな………


「これ……?」

「昔な。娘時代に貰った秘密の宝物というやつよ。
婆の持つ物の中では一番価値があるんだ。坊にやろう。」

「鏡見ないし。」

「阿呆。坊が使ってどうする。」

「……じゃどうするのさ。」


宝物っていう程だから大事にしまってたんだろう。

新品同様の鏡を裏返してみる。

鏡面も曇り一つ無い。


「決まってる。坊の懸想した相手にやるのよ。」

「………………」


またそれか。

僕人間にあまり興味無いんだけど。女も必要としてないし。

口に出して言うと「枯れてる」云々言われそうだから言わないけど。

老婆は一頻りニヤニヤしてからまた布団に横になった。


「……婆はそれくらいしか坊にやれるものが無い。
いざとなったら売るなりなんなりすればいいさ。」

「………………」


手の中の鏡を見下ろす。

…………僕の「想い人」、ね。

彼女の占が外れた事がないのは知っている。

………確かに気にならないと言えば嘘になるかな。その相手。


「貰っておくよ。」

「ああ。」


立ち上がり、土間の草履を履く。

鏡は布にくるんで懐へ。


「ではな、坊。」

「うん。」


またね。

そう言いかけてやめる。なんだか相応しく無い気がした。

振り向かずに手だけ上げると外に出た。


「……………」


冷えてきた空気に吐く息が白くなる。



















元巫女の占いは外れなかった。
全てがその通りになった。


誰も、僕ですら夢にも思わない形で。


彼女の言った通りに僕は『ずっと』この地にあり続ける――――――。













続く…





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