第十一話









水底から水面に引き上げられるように、意識が浮上する。


「…………」


朝…ああ、俺寝てたのか。

なんだかリアルな夢を見ていたみたいだ。

時計を見れば、目覚ましがなるにはまだ早い時間。でも二度寝する気は起こらないし…もう、起きちゃおうか。


「あれ…」


制服を取ろうと椅子の背もたれに手を伸ばすも、目的の物がない。

おかしいな…いつもここに掛けてるのに…

寝ぼけた目をこすり、部屋を見渡す。

制服はハンガーにちゃんと掛かった状態でクローゼットの扉の前に吊ってあった。


「………」


制服を取り外しもそもそと着替え始める。

…誰がやったんだろ。俺じゃないのは確かだ。

母さんなら叩き起こして自分でやらせるだろうし。

…………骸?いや骸じゃない気がするなぁ。う〜ん…なんか落ち着かない…


「…ん?そういえば。」


昨日、雲雀さんが来てたような…そんで何か…


「!」


脱ぎ散らかしたパジャマをベッドの上に放り投げる。

机の引き出しを開けて中身をひっくり返す。全部の引き出しを漁り、鞄の中もベッドの下も確認する。

――――やっぱり、無い…!


「綱吉くん?起きてるんですか?」

「骸!」


伺うように部屋を覗く骸の胸元を掴む。

何事かと目を見開く骸に構わず机を指差す。


「どうしよう!あれ、なくなってる!大事なものなのに!!」

「大事なもの…?」

「短刀!短刀が無いんだ!桜の柄の!」

「…それなら、雲雀が持っている筈ですよ。昨日渡すように言ったんですが。」

「…!」


あれが、他人の手にある?

そんなこと、知られたら…!


「絶対だめ…」

「綱吉くん?」

「取り返してくる。」


自分が何を言って何をしているのか。

靄がかったように実感がないけれど、きっと寝起きのせいだろうと深くは考えなかった。

ただあの小刀を取り返さなくてはとそれだけはくっきりと頭にあった。


* * * *



青白い悲しい顔ばかりだったあの子が、久しぶりに笑顔を浮かべてまろぶようにして駈けてくる。

ああ…ダメだよ、走っちゃ。

そう言ってみても興奮したあの子には通じない。


「帰って来たって!」


そう、良かったね。

頬を紅潮させる子を見下ろし枝を揺らす。


「今から、行ってもいいかなぁ…?」


駄目だよ。

安静にしてなきゃ。


「分かってるけど…」


元気な時に行けばいいじゃないか。

彼も長旅で疲れてるかもしれない。

それにきっと話したくて彼からこっちに来るさ。


「そう、かな。」


ああ。

可愛いお前に会いに来るさ。

きっと土産話を山ほど聞かせにな。

そう囁いてやれば擽ったそうに笑う。


「だったら、今日もお話して。」


根元にちょこんと座り込む子ども。

眠るんじゃないのかい?


「翁のお話聞いたら。また布団に戻るから。」


分かった分かった。

仕方の無い子だね。

それじゃあ今日は………



* * * *


…特に得られるものは無し、か。

骸の言っていた桜も見てみたが死体など見える筈もなく一番の大木だということぐらいしか分からなかった。

鳥居の下に立ち境内を振り返る。

花霞に囲まれた神社。視覚の美しさとは裏腹に肌を刺すような空気。

僕が歓迎されていないことだけは分かる。


「…ん。」


時計を見ればそろそろいい時間だった。階段をゆっくりと降り始める。

わざわざ来てみたのにこうも何もないとは。

図書館に行けば資料の一つ2つは見つかるかもしれないが…果たして殺人事件のことまで載っているだろうか?

新聞を調べてもいいがどうもそんな近代の出来事じゃない気がする。

他に手掛かり……家の倉を漁ればあるいは…


「お〜、恭弥。待ちくたびれたぜ。」

「…まだいたの、あなた。」


上がって来ないから帰ったと思ってたのに。

石の階段に腰を降ろして呑気な顔で手をひらひらさせている。…参拝者の邪魔だよ。そこ。

階段を降りるとそのまま学校の方向へ歩き出す。当然のようについて来る跳ね馬。

この異人、暇なんだろうか。早く国へ帰れ。


「長かったな。上で何やってたんだ?」

「待っててくれなんて頼んでないけど。」

「オレも行こうとしたらじいさんに止められちまって。『外人は入らない方がいい』ってな。」

「外人は?なにかしたの、あなた。」

「オレじゃねぇよ!」


どうだか。

大体、入れ墨といい、派手過ぎる外見といい…怪しすぎるんだよ、このイタリア人。マフィアの時点で堅気じゃないし。


「ちげーって。あの神社の神さまだか姫さまだかが外人のせいで大事な人間亡くしたとかで外人嫌いなんだとか言ってたぜ。」

「…それ、あの神社の謂われ?」

「ああ。らしいな。」


…事件、というより神社に祀られるモノが鍵のようだ。

死体は一先ず後にして伝承を調べるか…

考え事をしながら歩いていると頭に何かが触れる。


「………」


ギロリと睨みあげると頭に触れていた手が離れた。


「んな顔するなって。花びらついてたから取っただけだろ。」

「僕に気安く触らないでくれる。」

「わかったわかった。」


へらりと笑う異人に舌打ちしてまた歩き出す。

寝不足でイライラしてるのにこの男相手してたらキリがない!


* * * *



「今日も…来ないね。」


階段に腰掛けて下を見下ろす。

桜はほとんど散り、約束の期限の終わりが迫る。


毎日。毎日待っていた。あの人が来るのを。

約束した翁の木の下で。

待ちきれなくて何度も階段まで見に行った。

やがて階段のところで待つようになった。

あの人が来たらすぐ分かるように。
それでもあの人は来ない。


風が出てきた。少し大きな羽織りの前を掻き合わせる。

けほ、と咳が出た。もうじき日が暮れる。


「…………」


立ち上がり、名残惜しく階段の下を見つめる。

…本当は薄々気付いてた。

きっとあの人は忘れてしまったんだ。俺との約束なんて。

待つ意味が無いことも本当は気付いてた。

あの人は世界がある。でも俺にはあの人だけだった。

もう、誰も来ない。それでも俺は明日もここで待ち続けるんだろうな…

翁は気が長いから「大丈夫、明日は来るよ」って言ってくれる。気休めでも何でもない、翁の本心。

それが今は心地いい。下手な慰めはいらないから…


「…………」


今は静かに鼓動を刻む心臓。

なんとなく、誰に言われるでもなく感じていた刻限。

ひたひたとそれが迫っている。

…会えなくていい。せめて、一目でいいからあの人を見ておきたい。

そう思ったらいてもたってもいられなくなってしまう。





ごめん。後で、ちゃんとお説教は聞くから。






心でそう謝りながら階段をそろそろと降り始める。

後悔したくないから…多分あの人はまた遠くに行ってしまう気がするから。

その前に記憶に刻んでいきたい。

そうしたら、一人でもきっと…


階段を降りきると走り出す。

町で一番大きな屋敷。一番嫌いな場所。

でも一番好きなあの人がいる―――




















後悔したくないから。

だから選んだ。


どこで間違えたんだろう…

あんな終わり方がしたかったんじゃないのに…―――――














* * * *


ダメだな。

中学校の図書室レベルじゃこれが限界か…

大体あの神社大きさの割にあんまり知名度高く無さそうだからな。でかい図書館にいっても果たして…


「…ん?」


委員会の杜撰な仕事のせいで適当な並びの本ら。

『歴史』の棚に一冊だけ明らかに不釣り合いなお子様向けの字の本が紛れている。

気になって引き出してみれば『並盛町のむかし話』と書いてある。絵本に毛が生えた程度のお子様向けの本だ。

なんとなく気になり、ハードカバーの表紙を開き縦書きの目次をなぞる。

『雨降らし地蔵』『桃姫』『狐の坊さん』『狸岩』『雉の花嫁』…………どっかで聞いたようなタイトルだな。

次の頁を捲り、また目次をなぞる。


「!」


ピタリと指先が止まる。


「『櫻鬼』…?」


頁は…177か。

適当に当たりをつけて本を開き、パラパラと目的の頁まで紙を捲る。

『櫻鬼』というタイトルの下に括弧で「(佐保神社)」と書かれている。どうやら当たりのようだな…

暗い本棚の間を抜け日の当たる閲覧席に腰を落ち着ける。

時計を見ればまだHRまで時間はある。
俺は眼鏡を取り出すと『櫻鬼』を読み始めた。









続く…





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