第十二話









…息苦しい。

あんな夢を見たせいだろうか。

シャツのボタンを外そうとして、体が動かないことに気づく。


「?」


…金縛り、というやつだろうか。なったのは初めてだ。

どうせ動けないならもう一眠り…


「!」


ひたりと頬に触れる手。

驚いて目を開ければ僕に覆い被さるようにして綱吉がいた。

こんな至近距離にいたのに、触れられるまで気付かなかったなんて…


「…………」

「…………」


金縛りのせいか声も出ない。

頬に触れていた手がするりと下に下がる。

ぽんぽんと学ランの裏や腰回りと体のあちこちを手で確認するように…もしかして何か、探してるのか?


「ひばり、さん。」


一通り探るとようやく綱吉が口を開いた。

…意外にしっかりとした声だ。乗り移られているわけではないらしい。


「あれ、どこに隠しちゃったんですか。勝手に持って行っちゃ嫌です。大切なものなのに…返してください。」


…『あれ』って、考えるまでもなくあの脇差のことだろうね。

返したらまた襲ってくるのは分かってる。渡すわけがない。

僕が答えずにいると綱吉の手がまた頬に当てられる。


「ひばり、さん?」


猫のように小首を傾げる綱吉。

どちらにしろこの金縛りが解けなきゃ話せないし話す気もないよ。

唯一自由になる瞼を閉じて答える意志が無いことを示す。

すると頬に触れていた手がまた降りてきて…


「!」


思わず目を開いた。

綱吉の両の手が僕の首にかかる。

表情の抜け落ちた能面のような顔で、じっと見つめてくる。

じわじわと…当に真綿に首を絞められる、その表現そのままの緩さで手に力が籠もる。


「返して。あれが無いと…あれじゃないと。」


気道が狭まる。息が苦しくなってきた。

綱吉はいつの間にか僕に跨り、首にかかる手はそのままに鼻が触れ合いそうな程顔を近づける。


まただ。

また、あの眼。

夜闇に桜を溶かしたような不可思議な色。明らかに正気じゃない…!


「ひばり、さん。お願い…あれが無いと不安なんです…」

「っ…!」


腕に力を込める。ほんの僅かだけど動いた気がする。でも持ち上げるまでには至らない。

そうしてる間にも首を絞める手の力は増していくばかり。

…金縛りって指先から解けていくんだったっけ?


「なんで話してくれないんですか?意地悪しないで。」


…君が話せなくしてるんだろ。

人差し指に力を込めればピクリと動いた。よし、これなら…


「…でぃーのさんとは、いつも一緒にいるのに…」


それ、なんの冗談?僕があの馬と群れてるとか。咬み殺されたいわけ?

ぎっと睨むと綱吉の手が一瞬緩む。

僅かな感情の揺れ。それが金縛りをも緩める。


「でぃーのさんとは仲良し…」

「気色悪いこと言わないでくれる?」


びくりと綱吉の肩が揺れる。

声が出て驚いた?ならこれはどうだい。


「!」


退こうとする綱吉の腕を掴みソファーに体躯をねじ伏せる。

逃げられないように馬乗りになり暴れる両手を頭上に抑えつける。

油断し過ぎだよ。金縛り程度で僕が大人しくするとでも?


「散々好き勝手やってくれたね沢田…」

「…………」


抵抗していた力が抜ける。また、あの無表情。瞳は相変わらず、あの不思議な光を宿している。

こちらを凝視していた綱吉が急に興味を失ったように顔を背けて目を閉じる。


「一体どういうつもりなのか」

「雲雀さん。」

「…なに。」

「なんで守護者断るんですか。」


綱吉が瞼を開く。いつもの瑪瑙の瞳。

…正気に戻ったのだろうか?口調もいつもと変わらない、ように思える。


「あなたが守護者にならないと言った時、俺は並盛町から離れたくないからだと思いました。
雲雀さんらしい理由だなって。それでこそあなただと思ったから、受け入れたんです。」


変わらないように見える。

けれど、本能か、勘か。僕の中の何かが警鐘を鳴らしている。

不利な体勢だというのにこの平然とした態度もおかしい。


「俺とは来てくれないのに、あの人とは行くなんて」


ふわりと淡い笑みを浮かべて綱吉が僅かに身を起こす。

丁度、僕の耳に彼の鼻先が触れる。


「そんなことは許さない。」

「…君の許可なんているのかい?」


膝で乱暴に胸を押さえつける。

ソファーに完全に抑えられた綱吉はそれでも薄ら笑いを浮かべたままだ。

気味が悪いよ…


「並盛は僕の領域だ。」

「…そう思いたければご自由に。」









ガシャアアン!!










「!」


綱吉の言葉が終わるか終わらないかのタイミングで窓ガラスの割れる音と部屋に舞い込む突風。

砂と花びらを巻き込む風に耐えられず、目を閉じ腕で顔を庇う。


「くっ!」


ようやく風がやみ、目を開くと綱吉がいない。

逃がした…!!

悔しがる僕の後ろでかちゃりとノブの音。

首だけ巡らせれば応接室の扉が閉まりかけている。


「沢田っ!!」


扉を乱暴に開け放つ。廊下を走っていく背中に叫べばくるりと振り向いた。

その手には没収したはずの脇差。

しまった…トンファーの隣に差していたのが徒になったか…

一瞬目が合う。綱吉の目はまたあの闇と桜の色に戻っていた。


「さわ…」


名を呼びかけたその時、狙ったようにチャイムがなり始めた。

憑き物が落ちたような顔で綱吉は瞬くとぺこりと会釈をしバタバタと走り去っていく。

その後ろ姿はもう日常となんら変わりなく感じられた。数分前までの出来事が夢であったかのようだ。

けれど、室内を見渡せば割れた窓ガラスと散乱する破片と桜。

また桜だ。小刀一本をどうにかすればいい問題じゃないってわけかな。

町じゅうの桜を切り倒してしまえばどうにかなるんだろうか。やらないけどね…


「……君がその気なら次は容赦しないから。」


* * * *


櫻鬼 (佐保神社)


むかしむかし、人々から「佐保」と呼ばれる娘がいました。

佐保はそれはそれは美しく気立ても良く、求婚者が絶えることはありませんでした。

佐保には結婚を約束した相手がいました。となりの村に住む若者です。

若者はとても真面目で優しい性格で、佐保は彼を好いていました。

ある日、若者が「遠くの国へ仕事にいかなくてはならない」と言いました。

「長い仕事でいつ帰れるかわからない」とも言いました。

佐保が「構わない、待っている」と答えると若者は喜び、帰ってきたらすぐに結婚しようと村で一番大きな桜の下で約束しました。

若者が旅立った後、佐保は毎日毎日約束したとおり桜の木の下で彼を待ちました。

たくさんの縁談話も全て断り、一途に若者を待ちます。

一年、また一年。次の年、その次の年。来る日も来る日も若者を信じて待ち続けました。

けれども若者からは便り一つやってきません。

五つ目の年の春、佐保がとうとう諦めかけたある日、佐保の村に新しい地主がやってきました。

新しい地主を見て、佐保は驚きます。

なんとそれはあの若者だったのです!

そして彼の後ろには子を抱えた妻もいたのです!

そうです。佐保はずっと騙されていたのです。

若者の話は全て嘘だったのです。

佐保は桜の木の下で泣き続けました。

どれくらい泣いていたのかわかりません。涙が枯れても泣き続けました。

泣いて泣いて、佐保の心は悲しみよりも怒りと憎しみに満ちていきました。

怒りのあまり鬼と化した佐保は新しい地主の妻と子を殺して食らい、逃げる若者を追い桜の下で食い殺し、若者の死体を抱えて崖から飛び降り自殺します。


村人達は佐保を哀れんで神社に祀り、花嫁衣装の打掛を捧げるようになったのです。


* * * *


「…………」


これだけか?

パラパラと本を捲るも後は全然関係ない話ばかりのようだ。


「打掛…」


ぱんと本を閉じ、それを立てて顎を乗せる。

桜と打掛…直接ピンと来るような内容じゃねえが…なんか気になるな。

サクライがなんだかはまだ分からねぇし…


キーンコーン…


「あ、やべ。」


予鈴だ!

出席なんざどうでもいいが朝のHRに教室いねぇと10代目が不審に思われる!

眼鏡ケースと鞄をひっつかみ図書室を飛び出す。

結局手掛かりは無しか…

帰りに図書館に行こう。10代目をお送りしてから走れば間に合うはず。

五冊までしか借りれねぇのがあれだが…

教室に駆け込むと10代目と山本が談笑しているのが見えた。俺は迷わずその間に入り込む。


「おはようございます、10代目!」

「おはよ、獄寺くん。」

「お!ギリギリだな、獄寺!」


馴れ馴れしい山本を無視して10代目にニカリと笑いかける。

まあいつものことだからこれくらいは10代目も苦笑程度で流してくれる。


「何の話をされてたんですか?」

「ん?もうすぐ母さん達の結婚記念日らしいから何か用意しないとなって。」

「またリボーンさんがなにか企画しそうですね。」

「それは勘弁して欲しいよ…」


ぐたりと机にへばる10代目。たれぱんだのようだ…

山本にちらりと視線を向ける。『異常なし』と奴の唇が動く。


「結婚記念日と言えばさ…父さんと母さん、周りの人にもの凄く結婚反対されたんだって。
って言うのも父さん、あんなじゃん…それにイタリア人の血混じってるからね…
櫻居のじいちゃんが外人嫌いでさ…特に金髪。なんかご先祖様に顔向け出来ないとかなんとか…」


―――サクライ?

今サクライって言わなかったか、10代目。


「サクライ。」

「ん?うん、櫻居。古い『櫻』に『居る』で櫻居。母さんの旧姓。」


きょとんとした顔の10代目。

…これは偶然なのか…それとも…









続く…





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