第十三話









カタン。


長持ちの奥深く。

畳紙に包まれたそれをそっと取り出す。


――派手過ぎたかな――


そう言って、少し照れた顔をしていた。今でも覚えてる。

包みを開けば赤い蝶の描かれた、燃えるような打掛。

花嫁衣装にと渡されたのに、一度も袖を通すことはなかった。


――君の肌に映えると思ったんだ。――


仏頂面に似合わない、歯の浮くような台詞。

思い出したら笑ってしまった。幸せな記憶の欠片。

あの人となら女に戻ってもいいと思っていた。

ただ一人この呪われた身を愛しいと抱き締めてくれた腕。

今はその腕はなくなってしまったけれど。仄かに宿る暖かな気持ちは消えなかった。

けれどそれさえ許さないと神は言うのだろうか。


赤い衣を抱き締めると枯れた筈の涙が落ちた。

掴みかけた人並みの幸福。

与えるのも奪うのも、全てあの家だった。


「…………」


初めて打掛に袖を通す。

幸せの絶頂に纏う筈であった衣を、絶望の淵の今纏う。

五本の角の代わりに短い髪を梳り、顔には朱ではなく白粉をはたく。口には大松ではなく紅をさす。

初めての化粧。姿見の前に立ち『女』であることを自覚する。


鬼と化すのはいつの世でも『女』だ。

だから私は『女』に戻ろう。

予言通りにあの憎い男の一族を滅ぼすまで私は止まらない。




* * * *


あれ、静かだな…珍しい。


「ただいま〜」


…静寂。

返事がないなんて、やっぱり誰もいないのかな?

靴を脱ぎ捨てて廊下に上がる。

買い物にでもまた行ってるのかなぁ…書き置きでも


「あ。」


リビングに入るとカーペットの上になにかこんもりとした山が…

近付いてタオルケットを捲るとやっぱりディーノさんだった。

よく寝てる…髪に触ってみても起きない。

あんまり無い機会だからうつぶせに寝転がってディーノさんの寝顔を観察する。

人の顔なんてまじまじと正面から直視しないし。


「睫毛なが〜…」


行儀悪く足を上げてユラユラと揺らしながらディーノさんの前髪を払い観察開始。

擦り傷や絆創膏だらけだけど羨ましいくらい綺麗な顔だ。

笑っても怒っても、何をしても格好いいなんて。見た目だけじゃなくて、中身も格好いいなんて。

いいなぁ…美形になりたいなんて言わないからその格好良さを分けて欲しい…


「はあ…」


ディーノさんは部下もだけど人にすっごく慕われてるよね。

どうしたらそうなれるんだろう…

人を惹きつける能力なんて俺には無縁過ぎる。

床に肘をついてディーノさんの顔を見下ろす。


「雲雀さんも、ディーノさんならいいのかな…」


俺じゃ、興味も湧かないんだろうな。

弱いものなんてあの人の瞳には写らない。

だから、俺の時は断ったのにこの人にはあっさりついていくんだ…――



「泣いているの、綱吉。」



「!」


び、びっくりした!誰もいないと思ってたのに!

慌てて目の淵に溜まっていた涙を拭い体を起こす。


「む、骸もいたんだ。」

「ええ。」


にっこりと笑う骸。

……気のせいか。なんか、ちょっと変な感じがしたんだけど。

骸は俺の隣に座り込むと俺の頭をぽんぽんと撫でる。

…慰めてる?もしかして。

そっと伺うように見上げると見たこと無いくらい優しい顔で骸が笑っている。

こんな顔できるんだ…と驚いていたら。


「わふっ!」


突然、抱き締められた。


「む、骸っ!?」

「泣かないで。君の泣き声は響くから、私も悲しくなってしまう。」

「そんな大声でなんか泣かないって!」


人をちいさい子みたいに!!俺、お前と一つしか違わないぞ!!

この状況が気恥ずかしくて体を離そうとするけど骸の長い腕は解けない。


「泣いてた。ずっと聞こえてた。あの子と同じ声で。だから起きたんだよ、君の為に。」

「え…」


なんか…骸、変だよ?

顔だけ上に向けようとしても骸、顔俺の頭に埋めてるから見えない。

…仲間がみんな眠ったままだから情緒不安定ってやつなのかも。気が済むまでこのままでいよう。

大人しくしていると骸の手が頭を撫で始める。だから、子供扱いすんなっての!


「大丈夫。綱吉は悲しませないから。私に任せてくれればいい。」

「任せる?なにを…?」

「悲しいのは全部消してあげるから。辛いこともみんな。」

「………」


そんなの、無理だよ。

そう、わかってる。わかってる筈なのに、気休めなのに、骸の声聞いてると安心する。

変なの。骸、優しい。年上の兄弟ってこんななのかな…

大人しくされるがままになっているとなんか瞼が重くなって…


「綱吉が悲しいのはどうして?」



俺が、悲しいのは…―――



あの人が、この町をなにより愛している筈の孤高の人が、俺ではない別の手を選んだこと。


俺を選んで欲しかったんじゃない。

誰の手も届かない存在でいて欲しかったのに。


そんなあの人が俺は。




俺は―――。




「大丈夫。」


骸は両手で俺の頬を包んで額同士をくっつける。

また、大丈夫って…


「出て行って欲しくないんだよね、あの人に。ここに居て欲しい。」

「……うん。」

「ずっとこの町に、綱吉の近くにいて欲しい?」

「うん…」

「痛いのも辛いのも嫌だよね。みんなここにいて戦いも無いといい…ね?」

「うん。」


元に、あの頃みたいに一人に戻りたいわけじゃない。

周りにみんながいる、この繋がりは大好き。

でもやっぱり…やっぱり戦いは嫌だ。

俺が痛いのも嫌だけど、みんなが痛いのも見たくない。



「だったら…ずっと、このままだったら幸せじゃない?」

「……」



ひんやりしてた骸の手が離れていく。

――あれ、骸ってこんな目の色だったっけ?

正面から見る骸の目は濃い紫にも黒に桜を溶かしたような色にも見える。




「叶えてあげる。」




す、と骸が差し出した手にはあの短刀。

あれ…いつの間に…


「戦いは起こらない。この町では起こさせない。私がいるから大丈夫。
火種は全て眠らせておけばいい。」



右手に柄を握らされる。左手も掴まれて鞘の部分を握る。


「始めの願いは簡単なこと。連れて行かせなければいいんだよ、綱吉。」


骸の手に力が入る。

黒い柄と鞘の間からキラリと覗く刃。


―――――連れて行かせなければ…?


刀身が鞘から抜けきる。

カラン、と鞘の落ちる音がしたけれど俺の目は刃に吸い寄せられたままだ。


「いなくなればいい。これが。」

「いなく、なる。」

「そう。」


冷たい目。骸の見る先にはきらきらの金色。

いなくなる……でぃーの、さんが?


「ダメ…ダメだよ、むく…!」


頭を引き寄せられて…抱き締められた。強く強く抱き締められる。


あ…また…


頭に靄がかかっていく。

さっき、雲雀さんの所…応接室に行ったときもそうだった。

曇っていく思考回路。手に握りしめた短刀の感覚だけが確かなものになる。


「連れて行かせない。今度は……」


頭の中が白一色になる寸前。

そう、耳元で呟く誰かの声が聞こえた――。


* * * *






憎い。








あれが憎い。








――最愛の感情を捧げたはず。

――ひたむきな眼差しを捧げたはず。

唯一の拠り所であったのに、裏切ったあれが憎い。

騙すのならば、何故完全に騙しきってくれなかったのか。

あれのせいで、最期の穏やかな時さえ奪われた。







あと一年…いや、あと半年。

その僅かな時さえこの手をすり抜けていく。













恨めしい。









あれが恨めしい。









――何故現れた。

――何故受け入れた。

知らなければ、出逢わなければ。

……とどめにはならなかったのかもしれない。









忘れはしない。

忘れられない。

金色。金の髪。

あの日やって来た呪わしいもの。















――受け入れなければ、まだあのぬくもりはこの手の中に。

この腕から消えることは無かったのかもしれない。









続く…





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