第十五話 顔を撫でる髪のくすぐったさに目を覚ます。 この匂い…畳、か? 身を起こせば見知らぬ和室。綱吉くんの家にこんな部屋…あるわけないな。どこだここは… 指一本分開いた障子の隙間から吹き込む風に乗って、ちらほらと桜の花びらが舞い込んでくる。 『―――――』 『――――?』 ……話し声が聞こえる。こっちか? 障子を気付かれぬようにそっと開き外を伺う。 「!」 桜の木の根元に二人いる。 一人は背の高い男。鴉の羽根のような髪と着物を着ている。こちらに背を向けているので顔は分からない。 もう一人は…あの神社で会った謎の麗人。 あの時と同じく男性の着物を身に着けている。 ぴょこぴょこと跳ねる短い茶の髪がやはり彼を彷彿とさせる。 だが唯一、その表情が違う。 あの夜見た彼女は魔性のものの顔をしていたが… 「…………」 熱に浮かされたような瞳。 上気した頬。 今にも咲き綻びそうな唇。 当に恋する少女そのものだ。 「さて…」 これはどういう状況でしょうか? 障子を開け放し、庭に降り立つ。 常人ならば慌てふためくところでしょうが僕にはここが現実でないことは分かっている。 二人に近づこうと足を踏み出す。足の下には玉砂利が敷き詰められているのに無音のままだ。 誰かの夢か…記憶? 潜り込んだ覚えはない…ということは彼女の記憶か。 ――何を見せようというのだろう。 ぼーっと二人を見ていると突然、男が激しく咳き込み出した。 身を折りひざを突く。尋常ではない様子に彼女もおろおろし始める。 「…雲雀…?」 男の正面に回り込む。伏せる顔を覗き込めば雲雀恭弥にどこか似た面差しをしている。 安心させるように彼女に微笑む顔は温和そのもので、剥き出しの刃のようなあの男とはきっぱり別物ですけど。 男がまた咳き込み出し、両手で口を抑える。 激しい咳のあとごぼりと嫌な音が続く。指の間から漏れる赤。喀血か… 『時間が…』 掌の血を見て、桜の佳人は今にも泣きそうな顔で男に取り縋る。 その髪を血で塗れていない手で撫でながら男が呟く。 『時間が無いね…』 『若様…!』 いよいよ泣き出した彼女を片腕で抱きしめる。 佳人から顔が見えなくなったからか、男が苦しげに顔を歪ませる。 『構いません!ずっと、ずっと待っています。』 『…いつ…戻れるかも分からないよ…?』 『それでも!』 佳人が顔を上げる。 涙で濡れた顔で微笑んで、男の血まみれの手を両手で包み込む。 『待っています…永遠にでも。』 『…………そう。……ありがとう。』 蒼白な顔で、しかし心底幸福そうな顔で男が笑む。 『そうだ、帰ってきたら祝言を挙げよう。』 『え…ですが…』 『だれにも文句は言わせない。ね、そうしよう。 君の為に…そうだな、赤い衣装を用意しよう。 きっと…………よく、似合う………』 「?」 テレビの砂嵐のように、目にしている光景が揺らぐ。くらりと目眩のような感覚に両目を押さえる。 急激で抗えない眠気。重い瞼に逆らえず、瞳を閉じる。 最後まで風にざわつく桜の枝の音だけが耳に残る。 * * * * 「………………」 ……ここは、沢田家のリビング? 瞬きを繰り返し、体を起こす。今度こそ実体の感触だ。間違いない。 いつの間に夢から目覚めたのか。境界が曖昧だ… 「?」 背後で何かが… 振り返ると、窓際で呑気に寝こけるキャバッローネを綱吉くんがじっと見下ろしていた。 全く…いくら平和な日本とはいえ気を抜き過ぎなんじゃないですか、この男。寝首を掻いてやろうか。 「綱吉く…」 帰ってたんですね。 そう続けようとした僕の指にカツリと何か硬い物が当たる。 何気なく見下ろせば黒く細長い…… それが、『鞘』であると認識するのに少し時間がかかった。 キラリと西日に反射する刃。 頭上に振りかぶられた、綱吉くんの手にある短刀。 「!」 「っ!綱吉くん!!」 だん、とタオルケットを刃が貫く。一瞬の出来事だった。 ベージュのそれが翻り、綱吉くんを覆い隠す。 間一髪、凶刃から逃れたキャッバローネがタオルケットの上から小柄な体を抑えつける。 「ツナ!」 「や〜!!離せ離せ離せーっ!!」 じたばたと暴れる綱吉くんの目には常にないぎらついた光が宿る。まるで手負いの獣のようだ。 「くっ…!こら、ツナ!正気に戻れ!また乗っ取られたのか!?」 「いえ…違うと思いますよ。」 ――なにせ、その悪霊は僕の中にいるのだから。 キャッバローネに掴まれた右手にしっかりと握られた刃。 それを奪おうとしてみても尋常ではない力で握られているので歯が立たない。 「ツナ!おい!」 「離せええええ!!」 「うわっ!?」 無理な体勢で胸を突かれたキャバッローネがよろめく。 刃を振りかぶる綱吉くんを羽交い締め、刀の動きを封じる。 そこへ、扉を開閉する音が遠く聞こえ、喚いている綱吉くんの口を塞ぐ。 間が悪い…このタイミングで…! 「やべぇな…ママン達が帰ってきちまった…」 「足止め…いえ、どこかに連れ出してきてくださいよ。こちらは僕がなんとかします!」 「…まあそうするしかねぇよな…」 後ろ髪を引かれるのか、部屋を出る前に一度こちらを心配げに見つめる。 が、パタパタと廊下を駆けてくる複数の小さな足音が聞こえると偽笑いを顔に貼り付け扉をしめる。 「あらディーノくん!起きたの?」 「あ〜。よく寝れたぜ。ありがとな、ママン。」 扉越しに聞こえる、今まで命を狙われていたとは思えない呑気な会話。 隠匿は完璧ですね。流石はマフィア。 「?」 キャバッローネが居なくなった途端、ぱたりと大人しくなる綱吉くん。唸る声も途絶える。 「…綱吉くん?」 一応、念のために完全に人がいなくなるまで腕は解かないでおく。 うつ伏せたまま、その表情はわからないが意識はあるはず。黙ったままなのがこの子らしくなく不気味だ。 しばらくして話し声が遠ざかり、人の気配が家から消える。 それを確認して綱吉くんから手を離す。おかしな行動があればすぐ飛びかかれるように警戒は解かない。 「……………」 「……………」 綱吉くんはだらりと両手を垂らしたまま床に座り込み微動だにしない。 キャバッローネが今まで寝ていたあたりをぼんやりとした眼で眺めている。 また暴れられる前にと力の入っていない右手から短刀を抜き取る。抵抗されるかと思ったがまったく反応を返さない。 抜き身の刃を鞘に収め自身のベルトに挟み込む。 何故またこれをこの子が持っていたのか。雲雀…杜撰過ぎますよ、管理が。 「…ま……ぃで…」 「?」 なんだ? 床を見つめたまま、綱吉くんが何か呟く。 穴の開いたタオルケットに手を伸ばし、緩慢にそれを引き寄せる。 「今、なにか…」 「邪魔、しないで。」 「………」 低く唸るような声。 日だまりのようなこの少年が出す声ではない。 …さっきは否定したが何か、跳ね馬の言うとおり中にいるのだろうか。 しかし霊的なものは何も感じられな…いや、そういえば僕自身乗り移られているのに気付きませんでしたし、そういう例がないとは言い切れないか。 「…邪魔、とは跳ね馬ディーノ殺害を妨害したことですか?」 相手を刺激しないように単調な口調でそう言えば、綱吉くんが不思議そうに首を傾げる。 …ぼんやりとしていることを除けばいつもと変わりないような…いや、まだ分からないか… 「ダメだよ、骸。」 「駄目?」 「うん。ディーノさんがいなくなるのはやっぱりダメ。雲雀さんは欲しいけど、ディーノさんがなくなるのは嫌だ。 でも雲雀さんを取られるのはもっと嫌だ。」 「…そうですか。では僕はなにを邪魔しなければいいのですか?」 床を見つめていた目が此方を向く。 視線が合うと、にこりと笑う。 「ディーノさんを、帰さなきゃいいんだ。骸みたいにずっといればいい。」 ディーノが被っていたタオルケット。 それを抱き締めて、瑪瑙色の瞳を閉じる。 「足でいい。足が壊れちゃったら、ずっと居てくれる。殺したりなんかしないよ、だってディーノさんがなくなっちゃうでしょう?」 すう、と瞼が開く。 ただそれだけだというのに肌に氷柱を押しつけられたような怖気が襲う。 薄く開いた瞼から覗くは梅紫の光。 いつもの口調、いつもの笑みが不気味さを増す。 「だから、邪魔しないでね。」 続く… |