第十七話 ひらりひらりと自身も蝶であるかのように飛び回る少年。 気配が希薄になっているせいもあり、時たま見失っては背後から突き出される刃に冷や汗が浮かぶ。 「避けられたぁ…」 「僕も痛いのは嫌ですからね!」 元々体術を得意としているだけあり、身のこなしは素早く軽い。 拳を使うわけではなく、普段の戦闘時の気迫もない。 それ故に一度は対峙した相手だというのに全く勝手が違う。 ひらりひらりとこちらの攻撃をかわし、蜂の針のように突然襲いかかってくる。 「むくろ〜。本気じゃない。」 「綱吉くんに怪我させちゃいますからね。」 それに町中で本気なんか出したら偉いことになりますよ… 今雲雀を敵に回すのは得策じゃないのでね。 さて…どうやってあの子を止めようか。 「骸、優しい。だから好き。」 「そんなこと言うのはクロームと君くらい ですよ…」 出来れば武器を繰り出しながら聞きたいセリフでは無いんですが。 短刀を槍の持ち手で弾き相手の懐に飛び込む。 ところが、赤に視界を遮られる。即座に払い除けると空中に逃げられた後だった。 そのまま屋根からアスファルトへ降り立つ少年。瓦を踏みしめ下を見下ろせば綱吉くんは猫のように首を傾げる。 「邪魔しないなら骸はそのままにするのに。」 「出来るなら僕も五体満足でいたいところなんですけどね。」 「そうなんだ!じゃあ。」 刃を握る腕を空に突き上げる。途端に風もないのにざわめき出す桜並木。 ざわざわと枝が伸び動き、絡み合う。 そしてそれの切っ先が、こちらを向く。 「………なにをする気でしょーか。」 「みんな!骸捕まえた子が一番ね!」 ―――嫌な予感しかしない。 にこりと子どもらしい笑顔を浮かべて綱吉くんが腕を振り下ろす。 「いっけぇー!!」 「!!!!」 蛇かなにかのように、弾丸の速さで一斉に伸びてくる枝。 桜って蔓性でしたっけ!? 「くっ!」 空に飛び上がれば瓦に深く突き刺さる枝々。 直ぐに第二弾がくる。槍の穂先で尖った枝を切り落とし、火柱を立ち上らせる。 燃え盛る仲間を見てか、猛攻が緩む。 襲い来る桜の枝も、火には敵わないようだ。 「あ〜!!骸、幻覚だめ!!」 「現実な分、君の方がずっこいですよ!」 「う…でも、火はダメ!!みんな燃えちゃう!」 ――そうだね、火は駄目だ。―― 「ぐっ…!」 ズキリと胸に痛みが走る。 今の、頭の中に響いた声は…!! 「!」 桜を牽制していた火柱が消えていく。 幻覚の手を緩めた覚えはない。だがいくら念じてもそれらが現れることはない。 …僕の中の、怨霊の仕業か…!! 火の手が消えたことで枝々が再び蠢き始める。 「まったく…ハンデありですかっ!」 槍を回転させ振り下ろす。 その衝撃で割れた瓦の隙間から無数に伸びる蔓。桜の枝の一つ一つに絡みつき、動きを止める。 拮抗状態になると、それに蕾がつき大輪の華を咲かせる。 目には目を。牙には牙を。花には花を。 根に死体が埋まる桜には泥の中にあって咲き誇る蓮を。 「ふわ〜あ…きれい!」 呑気に手を叩いて…花見客じゃないんですから。 無邪気に喜ぶ様は戦闘中とは思えない。 しかし淡い花を咲かす枝に絡み鮮やかな華を咲かせるこの情景は場違いだが確かに美しい。 「………」 屋根から下を見下ろす。 花の競演に見入ってる綱吉くん。その周りは静まったままだ。 桜は彼の意志でもって操っているのだろう。あちらに主が夢中なせいで本人の周りはノーガードになっている。 「気に入りましたか?綱吉くん。」 「うん!」 「ではこれはサービスです。」 とん、と槍尻を打ち下ろす。 アスファルトのひびから伸び出る蔓のような芽。なにかと不思議そうにしている子どもにしゅるしゅると巻き付いていく。 「ほわあっ!?」 蝶のように飛び回られては面倒だ。 綱吉くんが驚いている間に蔓――枝だが――は数を増し、小柄な体を僕の元まで運んでくる。 アスファルトに不自然に生えた木が薄紫の重たい花を咲かせるころには赤い蓑虫状態になっていた。 「クフフ…はい、僕の勝ちです。」 やれやれ、やっと捕まえた。蓑虫を抱き上げて肩に担ぐ。 暴れるかと思ったが意外に大人しい。 それどころか、見ればするすると元に戻っていく桜たち。 「おや。退き際のいい。もういいんですか?」 「うん。今日は、骸と遊んだからディーノさん壊すの明日にする。」 「…そうですか。」 「骸、あれなぁに。」 「藤ですよ。僕が蓮の次に気に入っている花です。」 さあて…これからどうしますかね。 この子、ずっとこのおかしな状態のままなのでしょうか。 こんなことなら雲雀の手錠を壊すんじゃなかったな…またかけるにしてもキャバッローネであの反応ならば雲雀に会わせるのも危険な気がする。 ……あまり乗り気ではないが獄寺を呼ぶか。 「…ぐ…っ…!」 綱吉くんを抱えて地面に降り立つ。同時に胸に走る刺すような痛み。 これは、先程と同じ…! * * * * 畳の目が見えねぇくらいの絵巻に本、料紙箱がずらりと並ぶ。 あんだけ探しても見つからなかったのによ… 「当然じゃ。いつの時代も権力者が自分に都合の悪い歴史を残すわけが無かろうて。」 押し入れを漁りながら櫻居のじいさんがぼやく。だから自分たちで真実を守ってきたのだと。 だがそれでも完全ではないらしい。 なにせ櫻居が並盛にやってきたのは佐保の死後、かなりの時間が経ってからの事だった。 彼女の生前にあったことは、初代が本人から漏れ聞いた言葉から予想するしかなかったそうだ。 「しかしそれでも消されてしまった歴史には相違ない。祖先の無念を伝えること、それが我々の出来る佐保姫への供養なんじゃ。」 「ってことは、いつかは10代目…いや沢田さんもこれを継いでいくってことか?」 「…いいや。」 本を捲る手を止め、老人を見やる。 予想外の答えだった。 「以前はな。そうやって代々継いでいくことこそが正しいと思っておった。櫻居の名を残すことこそが正しいと。 もう、この町に他に櫻居はおらん。儂らが最後の櫻居じゃ。 だがな、佐保の姫は奈々とあの男が共に行く日を祝福した。 娘が違う姓になることも、この町から出て行こうとしたことも姫は気にしておらなんだ。 何故か分かるか、若いの。儂は降りしきる桜の中でようやく気付いた。 姫にとって重要なのは『櫻居』の名ではなく櫻居の子どもそのものだということに。」 じいさんが振り返り俺を見やる。その目の問いに俺は頷く。 俺も同じだ。佐保にとっての櫻居は俺にとっての10代目と同じなのだろう。 10代目は『10代目』でなくとも俺には必要なお人だ。その名について行くのではない、「沢田綱吉」その人に俺はついて行くのだ。 「これらは、儂で終わりじゃ。後は神社か資料館にでも置いてもらうとしよう。 よく考えれば元々櫻居は祟られたくない地主が与えた姓じゃ。姫にはとんと関係のない話。 『お前達が櫻の根元に居る限り祟りはしない』と姫は言った。もう充分我々の血は広がっていることだろう。 もう祟られる心配もない…………が。」 ギロリとじいさんが外を睨む。家の中からも見える桜並木の花霞。 …言いたいことは分かる。これをどうにかしなくちゃならねぇのは俺も同意だ。 まず櫻居の佐保の正体は分かった。10代目との繋がりも。 次は今まで眠っていた怨霊がなぜ突然暴れ出したか、だな。 「じいさん、櫻鬼は作り話だと言ってただろ。元になった話は無いのか。」 「今探しとる。なにせ子ども用の昔話のようにはいかないものでな。バラバラの資料を寄せ集めるしかないんじゃ。」 それはさっきから何回も聞いてるっての。 鬼と化した佐保の絵や話は大量にあるが生前の資料はほぼ残っていない。 唯一、美人画に描かれた姿のみだ。 「…ん…?」 そういやこの絵、打掛引っ掛けて後ろ向いてるから分かりづらいんだが… 下から覗いてるの、袴だよな…?何時の時代かまではわかんねーけど女ってこんな袴履いてたか? それと、この腰から出てる黒い棒…どう見ても… 「刀、だよな??」 「ん?どうした。凶悪な面して。」 生まれつきだ…放っとけ。 「なあ…これ、この絵。分かりづらいがこいつ男の格好してるよな。なんでだ?」 「ああ、それか。それにも理由があるんじゃ。話せば長くなるがな。」 「役者だったとかか?」 「いや、佐保姫は神社から出れなかったそうだ。それはない。」 「…?」 神社から出れなかった?どういう意味だろうか。 首を捻って美人画を見ていると「ああ。」と爺さんが声をあげる。 「そういえば話して無かったがな、その絵で佐保が挿している刀があるだろう。」 「ああ。」 「それは佐保が父親から譲り受けた守り刀でな。太刀と小太刀の二対、鞘に桜が描かれているんじゃ。 だが父親もまさかその太刀が後に鬼と化した娘の凶行に使われるとは思っていなかったろうな…」 「…………………」 桜の、模様の小太刀だと? おいおい…それ、どっかで見たぞ俺… 「それ、その刀って今もあるのか。」 「小太刀は分からんが太刀は神社のどこかに安置されていると聞いているが…」 ………まずくねぇか、それ。 続く… |