第十九話 断片的に分かったこと。 ―――幼い頃に、地主の手により両親から引き離され神社に預けられる。その後、禁足扱いとなる。 ―――10代後半、神社内から赤子の鳴き声が。佐保の子と見られる。父親不明。 ―――49歳で自害。遺体は当時には珍しい火葬。墓所は不明。 たったこれだけが、公式に残されたものだった。 「…簡潔過ぎんだろ。」 一度だけ対峙した、あの時。 肌に感じた憎悪と怒り。あれは、今まで感じたどんな感情よりも強烈だった。 こんな、これだけで終わったわけねぇだろ。 なんで神社なんかに閉じ込められたんだよ、生涯その中だけで生きていたのか? 子どもはどうなったんだよ。父親は。なぜ名乗り出なかった。 自殺だと?なんでそんなことをしたんだ。何故火葬になった。どうして墓の場所がわからない! くしゃりと手にした紙を握る。 「言ったじゃろう。都合の悪いことは残っていないと。」 「…ああ。」 「佐保の姫様が閉じ込められた理由は、分かっとる。追放された両親が残した日記でな。 当時の町の権力者、その家お抱えの巫女…占い師的なものだろう。 それが『あの家の娘は将来、この家に仇成す者になる。』と予言をした。」 「?それなら殺されてもおかしくねぇんじゃ…」 「いくらお抱え占い師の予言でも幼子を殺したとあっては外聞が悪い。 前に言ったじゃろう、佐保姫は混血であったと。日記では言及されておらんが父親が西洋の人間だったようじゃな。 それを理由に一家は町を追い出された。 だが予言の娘を野放しにしておけなかった地主は引き取り育てるという名目で佐保の姫を両親から取り上げたわけじゃ。 呪いを恐れてか、早死にを願ってかは分からんが男の装いも強要されたものだったんじゃろう。」 外国人だったから… 屋敷のピアノを弾いていた、儚い笑みの人を思い出す。 …たかがそんなもんが家族を引き裂く理由になるのか。 「予言は人を愚かな道へ導く。 地主が余計なことをしなければ、姫は人並みに幸福な人生を歩めた。 親から引き離され、愛したものを二度とも奪われた娘は鬼と化した。」 「じいさん。ところで、この佐保のガキってのは…」 そう、ずっと気にかかっていた。 紙面には一文しか子どものことは出ていない。だが… ――しょうがない子…好きなだけ撫でてあげる。―― 昨晩の、穏やかな笑みに慈しみと愛しさに満ちたあの眼差し。 あの表情と柔らかな口調を、俺は知っている。 あれは母親が子に向けるものだ。 「記録には残っていないが、年端も行かぬうちに亡くなってしまったそうだ。…体があまり丈夫でなかったらしい。」 「…そうか。」 畳に散らばる怨霊の絵姿。何枚も描かれた夜叉や修羅の姿はどれも佐保と呼ばれた女には重ならない。 骸に宿る霊魂は穏やかなものだった。 あれが佐保の本当の姿なんじゃねぇか? ただ一枚だけ残る生前の絵を手に取る。 「こいつ、なんで自殺したんだ?ガキが死んだからか?」 「それは実は分かっとらん。」 分かってないだ? 胡乱気に絵から目線を上げる。 じいさんは料紙箱を引っ張り出し埃を払いながら続ける。 「佐保の姫の御子は姫の自害の数年前から誰も姿を見ていなかったことから、とっくに亡くなっていたのだろう。 それより、姫が自害したのと同じ頃に地主の末の弟が行方知れずになっている。 奥方を伴っての里帰りだったそうだが…ふらっと出て行ったきり、見つからず終いだった。」 「関係あるのか、そこ。」 「その男は少年の頃は神社に入り浸りだったそうだ。」 その頃に…なにかあったってことか? ふと頭に浮かんだのは櫻鬼にあった佐保の待ち人。 それがその男だったとしたら…あの話通りになるんじゃねぇか? 一人で産んだガキを亡くして、それでも結婚を信じて待ち続けた男が、妻を伴って帰ってくる。 ……………………いや、しっくり来そうだが。 49歳。そんな年までそんな一途に純粋な想いを信じていられるものか? 「なんか違うか…」 「おお、あったあった。これじゃ。」 木の箱から紐で簡単に閉じられた古い紙。 なにかとじいさんの手元を覗き込むと刀を描いた画集か設計図のようなものだった。 「うむ、これかな。お前さんが見たというのは。」 じいさんが指差すページには黒い柄に繊細な彫りの鍔、刃渡りは一尺…ってことは30センチはある刀。 そしてその隣には黒塗りの鞘に描かれた桜の絵。 一度しか見ていないが長さと桜は大体覚えている。 「ああ。間違いねぇな。」 「そうか。どこに隠してたのかのう…ずっとこれは行方知れずだったんじゃが。」 じいさんが次のページを捲る。 前の頁にあった短刀にそっくりな刀。違うのは長さと鞘に描かれた桜。 刀は2尺、つまり約60センチ。短刀の桜は花びらが五枚なのに対し、こちらは枚数が多い八重桜になっている、 「通常のものより短く軽く。娘が持って負担にならないように。 それ故姫の父親が持たせた刀は実用性を考えたものでは無かったそうだ。」 「いわ、なが…」 刀の脇に書かれた文字を指でなぞる。 磐長。 これが、この刀の名か。 父親の祈りが籠もっていた筈の名。それはきき届けられなかったが… 「じいさん、これ借りていいか?」 「ああ。構わん。」 予感がする。 何度も襲ってきた抗い難い睡魔。その狭間で見ていた夢。 神社の奥へ奥へと招かれる夢。 これが、神社の中に今もあると言うならば。 あれはこの刀に呼ばれていたんじゃ―――? * * * * 生涯擦れ違うことすらない。 そう思っていた遠い人。 憧れとか、恋とか、そういう分かり易いものじゃなくて。 そう、例えるならテレビの向こうの芸能人のようなもの。 同じ世界にいるのに違う次元にいる特別な人。 俺からは見えるけど相手には見えない。 だって俺はその他大勢の一人だから。 不満もないし不服もない。それが当たり前だし疑問に思うこともない。 それが、あの日から覆る。 その他大勢から引き離され、彼らがいる次元へ。 憧れが目を見てくれた。 慕われる眼差しが恐ろしくてこそばゆい。 親愛を含んだ笑みに戸惑う。 まだ、信じられない。 けれど背を押され手を引かれ、鮮やかになった日々は目の前に広がっている。 気づけば遠かったその人と視線が合うことが増えていた。 こちらの次元でもあの人はやっぱり特別で。 その特別が俺を見る。 断片的にだけど、言葉を交わす。 敵でも味方でもない自由な人が俺に示す僅かな関心。 ―――嬉しかった。 遠い時は感じなかった。近づいたからこそ惹かれた人。 その人が俺の守護者の一人に選ばれて… 馴れ合いを好まないのは分かってる。 ただ細くとも確かな繋がりがあることが嬉しかった。 「別の人間を探してくれる?」 でも、あなたは孤高の人だから。 どこかでそれは断ち切られると、予感はしていた。 「雲の守護者。僕はそういうのにくくられるの好きじゃないんだ。」 「……分かりました。」 「なんだ、聞き分けいいね。」 引き留めるかと思ってたよ。 意外そうな顔でそう言って、指輪を手の中で弄ぶ。 引き留めても聞いてくれないのが分かってて、そんな無様なことはしたくない。 「ただ、もうしばらく…次が見つかるまでとは言いません。 せめて…そう、俺が並盛にいる間だけでいいんです。守護者のふりをしていてもらえますか?」 「ん。別にいいさ。君の近くにいれば面白い事に事欠かないからね。」 欠伸をしながら承諾してくれた人にこっそりと安堵の息を吐き出す。 やはり、この人は遠い存在。近づいたと思ったのはただの錯覚だ。 この並盛町を愛して他のものには執着を示さない。この人がここを離れる筈が… 「だけど君よりも僕の方が先にここを離れるかもしれない。」 「え…」 「あの外人、君の兄弟子に呼ばれてるからね。 あの男もだけど赤ん坊の仲間もたくさんいるんだろう?向こうには。今から楽しみだよ…」 「そう、ですか…」 内側で、仄かに湧き上がったなにか。 胸元を握りしめ、平常を保ちなんとかそれだけセリフを吐き出す。 あの日から、胸の奥になにかが燻り始めた。 近づかなければ芽生えなかった。憧れより強いもの。 答えて欲しかったわけじゃない。今まで通りで良かった。それ以上は望んで無かった。 なのにその願いを壊すのは俺が憧れ慕う人。 強くて綺麗で自信に満ちて…俺が思い描いていた理想をそのまま体現した人。 ―――俺が得られないものをあなたはいくつも持っているじゃないか。 俺はあなたのものを欲しがったことなんて一度もない! 「連れて、行かないで…」 あの人の執着は知ってる。 だからね、この町をなにより優先するだろうって分かってた。 いつか、あの人と道が別れることも。 ―――でも、それは。 それだけは嫌だ。 俺じゃない手を取るあなたは見たく無い。 「ここに居て…!どこにも行かないで!」 ほの暗い炎が胸の奥に灯る。 でもそんな醜い感情を見られたくないから。 全部閉じ込める。俺の中に。 ――――連れて行かないで。 ――――連れて行かないで。 ――――連れて行かないで。 ――――連れて行かないで。 ――――連れて行かないで。 「『連連 れれ てて 行行 かか なな いい でで』」 誰か、別の声が俺の声に重なる。 「大丈夫。…今度は、逃がさない。」 続く… |