第二十五話 この感覚――…。 目を開く前から察しがついてしまう辺り、もういい加減に慣れてきているな… ゆっくりと瞼を持ち上げればそこは日本家屋の小さな中庭だった。 生えているのは松の木だというのに何処かから風にのって淡い色の花びらが舞い飛ぶ。 きしきしという音に背後を向けば丁度庭に面した廊下を歩いていく佳人の姿。 …………僕、神社の階段登っていた筈なんですよねぇ…まさかあそこで意識が途切れたのか…? …起きた時に自分の体が無事であることを祈ろう… しかし今は彼女の記憶が優先だ。 土足のまま廊下に上がり、佳人が入っていった部屋を覗き込む。 「!」 部屋には一人、先客がいた。 いや、先客というよりその部屋の主だろうか。 屈み込む佳人の前に一組の布団があり、そこに横たわるのは…… 「つな…よし、くん…?」 口から出た少年の名前。 けれど本人でないことは分かっている。 姿は似ていたが、それだけだ。 目の前の少年からは死に近い気配。そして静かなせせらぎの如き穏やかな気の流れしか感じとれない。 綱吉くんも静かな気を湛えているが…どちらかと言えば… 『――。具合はどう?』 後ろ姿しか見えない佳人に視線を移す。 今は穏やかだがこの先、彼女は火山にも似た怒りと憎悪を撒き散らす。 ドロリとしたマグマにもにた情念で未来にまでその力を示す。 彼は、この佳人に似ている。 姿形よりもその内面が、だ。 幾度もその記憶に触れて確信した。 『ちょっと…だるい…』 『…そう。』 身を起こそうとする少年の額に掌を乗せて首を振る。 少年は大人しく枕に頭を乗せると苦しそうな呼吸を浅く繰り返す。 …初めて見るが…彼が佐保の子だろうか。 あの雲雀に似た男の雰囲気と同じ気を持っている。 獄寺から聞いた話が確かならこの少年もまもなく…―― 『はい。』 『……え?』 「!」 少年の、投げ出されていた手に置かれたもの。 それは漆の光沢を放つ柄に桜の花が描かれた、あの脇差だった。 『これ…!』 少年は体調の悪さも忘れて飛び起きると脇差を握りしめた手を佐保に差し出す。 『駄目!これは…!』 『いいの。あげる。』 『だってこれ!』 『君が大きくなったら…そういう約束だったでしょう?』 『でもこれは!母様の宝物じゃない!!』 『いいの。もう、必要ないから。』 そう言って、少年の髪を愛おしげに梳く。 あの死の間際に鏡を撫でていたのと全く同じ動きで。 その表情は後ろ姿からでは伺い知れないが柔らかい雰囲気が場に満ちているのが分かる。 『宝物はね、ここにある。』 『……』 『この手になくても、離れていても。君が幸せならそれでいい。 私のたった一つの宝物。君が笑っているのが私の幸せだから。』 俯いた少年の肩が小刻みに揺れる。ぱたりぱたりと落ちる雫。 静かに泣く我が子を両腕に抱き締めて佳人は心底幸福そうな溜め息をつく。 『泣かないで。笑って?ねぇ…―――』 「………………」 また、テレビのような砂嵐が視界と聴覚を支配していく。 砂嵐がかき消す向こうにいる、在りし日の親子。 ささやかな、本当にささやかな幸福の時。 砂嵐が視覚を埋め尽くす間際に見えたのは佳人の涙。 きっと彼女は知っていたのだろう……我が子の余命が幾ばくも無いことを。 「…………………うん?」 いや…ちょっと待て。 閉じかけた瞼を無理矢理開き、砂嵐に抗うように首を振る。 恋人は疾うに亡くなりその恋人との子がいる時点で彼女が「櫻鬼」の「佐保」とは全く違うことは分かる。 だとしたら何故、彼女は怨霊になったのだろう。 確かに予言如きに翻弄された不遇な人生だとは思う。 だが一人の男を愛し、子をなし…それなりに幸せを手に入れていたようにも思える。 子どもが死に絶望した…とも思えない。 あの穏やかな気…僕の予想では彼女は出家でもして恋人と子を生涯偲び続けるタイプに思える。 まだ僕が見ていない、穏やかな時間と鮮血が散る狂気の夜の間の空白。 その記憶に答えが有るのだろうか。 「…簡単にクリアさせてはくれないようですね…」 知れば知るほどに深まる謎。 果たして出口はあるのだろうか… * * * * …………? ざく、ざくと耳の近くで規則的に続く音。 後頭部と背中にあたる固いでこぼこした地面。 瞼を開けば思った通りの夜空だった。 ………階段でなくて良かった。 ところでさっきから繰り返してるこの音は… 「……………ん?」 「ん?じゃないよ。簡単に体明け渡してどうするんだい。」 「…………雲雀??」 何故彼が…いやそれ以前にここはどこだ? 体を起こして自分が置かれている状況に気づく。 「………………何してるんですか。」 「見て分からないかい。」 「分かるというか分かりたくないというか…」 でかいスコップを持つ雲雀。 僕の隣に開いた穴。 その向こうに山になってる土。 そして桜の下…… 「180センチ未満の人間が一人埋められるくらいの穴を掘ってた。」 「やっぱりか!」 「よく言うじゃないか、桜の下にはした…」 「生きてます!!」 良かった…!! 本当に良かった!! どういう流れでここにいるのか分かりませんが埋まる前に目が覚めて!! 「冗談だよ」と変わらず真顔で返す雲雀。 信用できませんよ…!! グラグラする頭を振って誤魔化し立ち上がる。 「…もしかして、今まで居ました?彼女…」 「居たね。ばっちり乗っ取られてたよ。」 「……………」 ――不覚。 憑依弾でイタリアを震撼させたこの僕がいいように翻弄される日がくるとは… こめかみに走る痛みに舌打ちしつつ雲雀の掘っていた穴を覗き込む。 ……あまり深くないところを見ると掘り始めたのは数10分前といったところか。 「分かってるよ。死体なんて今更見つかるわけがない。」 「なら何故…」 「分からない?ここだけ柔らかい。土の色が違う。」 雲雀が顎で指したあたりを手で探ると確かに一度掘り返したのだろう、土が他より柔らかい。 「……まさか跳ね馬が……!」 「願ったりだけど残念ながらあの人さっき生きてたよ。」 「そうですか……………………………… ですが折角の穴ですからもう少し縦長にしてキャバッローネサイズで有効活用してもいいと思うんですよね。」 「………君、乗っ取られてなくても乗っ取られてても物騒だよね。」 そうでしょうか?正直に生きてるだけなのですが。 ざくざくと雲雀が掘り進める穴を屈み込んで見下ろす。 ……佐保が死の間際に狂いながら掻いていた場所だ。 成人と子供…恐らくここに埋められた片割れはあの少年。 「ん?」 「…何かありますね。」 月の光を鈍く反射する何かが土から覗く。 …なんだろうか?雲雀が少し深い段差を降りて手で土を払いのける。 ぞわぞわとしたものを背筋に感じる。 嫌な予感と湧き上がる興奮。前者は僕で、後者は… 「!!」 「これ…!」 土に汚れていても光沢を失わない黒。 柄に描かれた八重桜。 雲雀が持ち上げたそれは昼間に図面で見たままの… 「磐、長…!?」 「なんでこんな所に…刀はどこかに安置されてるんじゃ無かった?」 「…………これが目的だったのか…!」 「なに?」 昨夜の綱吉くんの奇行…あの時、目的を聞いてもはぐらかされた。 いつもは幼い子供のように直接的な言葉しか言わないのに、標的を綱吉くんは言わなかった。 僕はてっきり出て行った跳ね馬を追い掛けたか雲雀が目的なのかと思っていたけれど…… 「でも、ならなんでここにこれがあるわけ?」 「越えられなかったから、じゃないですかね。」 雲雀が持つ刀。 彼は霊感が全くないのだろう。だから平然と触れる。 刀からはその鞘に負けぬ黒く濃い気が流れ出している。 もしここに獄寺がいればこの障気にあてられている。 「恐らく、封印のようなものがあって、それは櫻居の血の者にしか破れなかったのでしょう。 それさえ破れば刀を自在に扱えると彼女は思っていたのかもしれない。 けれどこの結界そのものの神社から、それは持ち出せなかった。」 雲雀程ではないが綱吉くんも霊力は低い。 抜き出て優れた直感の代償のように彼にはそれがない。 おそらく霊感などなくても超直感はそれを補って余りある力ではあるけれど。彼の霊力では磐長を携えての結界越えはできなかった。 ……僕ならば余裕だがそれも僕自身の意志があってこそだ。 「…………さっきさ。」 「はい?」 罰当たりにも雲雀は刀を地面に突き刺し、それを杖の様にして両手をかけ顎を乗せている。 …………君、仮にもそれ、御神体に近い代物ですよ? 「ここに悪霊が居たって言ったじゃないか。」 「……聞きましたね。」 「跳ね馬が来たのかと思って飛んできたって。でも居たのが僕だったから残念がってあっさり君に代わった。」 「ふむ…?」 「直球に聞くけど。」 前髪の間から覗く目。 何時になく真剣でいて、愉しげな視線を真正面から見据える。 「君、跳ね馬殺せる?能力無しで。」 「…………」 本っっ当に直球だ…しかも痛いところを突いてくる。 術師とはいえこの六道骸が体術に自信が無いわけはない。目の前の彼にも負けるとは思わない。 だが。 「素手の君が跳ね馬に挑むのと変わりませんよね、それ。 …………不可能です。負けないことは出来ても今の僕では能力無しでドン・キャバッローネを殺すまでは至らない。成人の体力であれば分かりませんが。」 「君が無理なら綱吉は…聞くまでもないよね。」 「………片腕で押さえ込まれて終わりですね。現に傷一つ負わせられてない。」 僕がそう答えれば雲雀はニタリと嫌な笑いを浮かべる。 ……楽しそうだ。そんなに嬉しいか、僕の負け発言が。 雲雀は磐長を竹刀にするかの様に肩に担ぎ掘っていた穴から出る。 「じゃあ、これがあれば?」 「……対悪霊の結界にもひっかかる相当強い怨念ですからね… ヤバいんじゃないですか?跳ね馬も君も。」 「へぇ。」 雲雀の手から磐長を奪い取り穴の底に置く。 瞬きの間に土山を崩し周りと変わらぬ硬さの地面をそこに再現する。 穴などどこにも無かったかのように。これで刀の位置は分かるまい。 キャバッローネが消えるのは願ったりですが僕の体を好きにされるのは困る。 「また綱吉が掘り返すんじゃないの?」 「掘り返したとしても彼では持ち出せませんよ。」 なにか起こるとしたら、それは佐保の狙い通りにこの境内の中に獲物が入るか…もしくは――― 「あ。」 「…なんですか。」 「一緒に脇差も埋めとけばよかったね。」 「………」 ……………盲点でした。 続く… |