第二十九話










「わ〜!!待て待て!」

「!」


刺すような殺気。

目を開くより先に左側に体を捻る。


ズドッ


「………ちっ。」


頭のすぐ脇でした鈍い重音。

急いで身を起こせば枕の中心を貫きベッドに深々と突き刺さるトンファー。


「起きたね。」

「起きるわ。」


西瓜じゃねぇんだぞ、俺の頭は!!

お蔭で眠気は跡形もなく消え去ったけどな……

部屋の電灯は既についていて、窓から外は辛うじて見えるくらいに日は沈みかけている。

時間をみようと時計を探し、珍しく真っ青になったシャマルとロマーリオのおっさんと目があった。

ベッドがある時点で保健室だろうとは思っていたが……俺なんでここいんだ?


「『なんでここにいんだ?』って顔してんな隼人。お前は校庭で倒れたんだよ。」


人の心読むんじゃねぇよ……

けどまあ、現状はともかく経緯は分かった。

10代目とご自宅に向かおうとして記憶暗転してるしな……10代目にご迷惑を……ってそういえば。


「10代目は?」

「先に帰した。どーせその顔は寝不足だろうし簡単には起きねぇだろうと思ったしな。」

「…お一人でか。」

「言うと思ったぜ。安心しろ、うちのボスがついてる。」


親指を立ててニッと笑うロマーリオのおっさん。

俺はそうかとだけ返し、髪をぐしゃりと掻くフリをして顔を隠す。

……額に滲んだ汗以外、平常心を保った俺を誰か誉めて欲しい。

シャマルもロマーリオのおっさんも悪気はないのは分かっちゃいるが……寄りによって最悪な組み合わせを……!!

何も起きてないといいんだが……


「ねぇ。」

「あ?」


顔を上げると雲雀が苛ただしげな顔で腕を組んでいる。

……そういやなんでここにいんだ、こいつ。


「話。ここ群れすぎ。出て。」


くいと顎で扉を指す。

お前な……文節おかしいし前後と繋がってねぇぞ……日本語で話せ。

だが言ったとこで聞かねえのは分かってる。

あと10代目と跳ね馬追っかけねぇと。

俺は大人しく雲雀の後に続いて扉に向かう。


「おい、隼人?」

「なんだよ。」

「……大丈夫なのか?」


なにが、とは言わなかった。

いつになく真顔のシャマルになんと答えようかと足を止める。

けど結局、何も思いつかなかった。

ただ、「ああ」とだけ返し、保健室を後にした。

廊下に出ると、雲雀がまたくい、と廊下を指す。

歩きながら話すってんだろ。分かってる。先に立って歩き出した雲雀の後に続く。


「……話ってなんだ?」

「君もあるんじゃないの?」

「ある。だが説明が難しい。だから先に話せ。その間にまとめる。」


さっき見た断片の夢。あれは佐保の記憶だった。

全てを完璧に覚えているわけじゃねぇが、今残っている内容だけでも充分意味がある。

何故急に見えたのかは分からない。

分からないがこのヒントを逃すわけにはいかない筈だ。


「さっき綱吉の家に行ってきた。」

「……なにしにだ。」

「母親に話を聞こうと思ってね。なかなか面白い話が聞けたよ。」


雲雀は10代目のお母様から聞いたという『桜の神様の子孫』の話、櫻居に伝わる二つの御伽噺を簡単に話した。

異伝が佐保の事だとすればぴたりとピースが嵌る。

櫻居が佐保の双子の姉妹の子孫だと考えれば……夢の最後に出たあの女がその初代にあたるのだろう。

今見た夢、骸の見た佐保の記憶、爺さんちで見た資料の内容を合わせて頭の中で整理してみる。

佐保が忌み子とされた理由、巫女の予言、家族と引き離された謎。それは大体分かった。

佐保が怨霊となった理由、10代目や櫻居の子の身を案じて咲く桜。

夭逝した佐保の子ども、行方不明の病弱な地主の弟。


「………地主………」

「?」


充分にピースは揃っているように思える。

けれど、よく似たパズルのピースを無理矢理嵌め込んでしまったような……どこがおかしいのか…

共に埋められた佐保の子と行方不明の地主の弟。

真実と食い違うようでどこか重なる『櫻鬼』の伝説。

『櫻鬼』……………………


「同じ呆けるなら歩きながら呆けてくれるかい?」


立ち止まってしまっていた俺をギロリと睨みつける雲雀。

歩きながら集中出来ねぇんだ、俺は。

仕方ない、あとにするか………


「そういや骸はどうした?あいつ10代目のお宅で寝こけてた筈。」

「途中まで来てたけど気になることがあるとか言って神社に行ったよ。
で?君の話を聞きたいとこなんだけど。整理ついたわけ。」

「多分。断片的なんだが…――」


* * * *





ザアアアアアアアアアアアアア!!!!





またか!!

境内に向かう長い階段に足をかけた瞬間、視界を埋め尽くす薄紅の花びら。

抗う間もなく、また彼女の記憶の世界に投げ込まれる。


「っ!」


花吹雪がテレビのような砂嵐に代わり、突如開けた視界と浮遊感に僕自身が空中に放り出されたことを知る。

幸い、大した高さでもないので体勢を変え地面に着地しあたりを見回す。

……気のせいだろうか。なんだかいつになく乱暴な……何か慌てているような感じを受けた。

いつもなら僕が気付いた時は記憶の中で、現との境目を感じさせないのに。


「ここは……」


敷き詰められた玉砂利に、他より細い桜の木……以前、少女時代の佐保が雲雀に似た男と逢っていた場所、か?

立ち上がり、音のしない玉砂利を踏みながら歩くと目の前を小さな影が横切る。

甘い色の茶髪。あの子と同じ色。

パタパタと小走りで向かう先にいるのは佐保その人と洋装の男。その髪は日の光に透ける金色。

子どもに飛びつかれた男はその小さな体を腕に抱き上げる。


『こら―――。ご迷惑だよ。』

『構わねえぜ?これくらい、可愛いもんだ。』



青年が一頻り撫で回した少年を降ろしてやるとたかたかと一番太い桜の木に向かい走っていく。


「………」


初めて見た人間だ。逆光と前髪で顔は見えないが……何者だろう。

相手に見えないのをいいことにジロジロと無遠慮に眺めてみる。

………なんだが跳ね馬に似てる気がしていけ好かない。


『そう……では若様のお帰りは?』

『大体五年後くらいだな。』



佐保の穏やかな表情。唇は緩やかな曲線を描き、和やかな眼差しを青年に向けている。


『長くなるけど帰るときにはあいつに異国の土産をたくさん買って帰るんだ〜って張り切ってたぜ。』

『……若様らしい。』

『だな。』



くすくす笑う佳人につられて金髪も笑う。

少年に手を振る彼は気付かなかったようだが佳人は悲しげな笑みを浮かべていた。


『……今の話。』

『?なんだ?』

『今の話、あの子にはしないでくれる?待ち人が帰らないなんて、知らない方が幸せだから。』

『帰らないって縁起でも無い……』

『いいえ。あの子は会えない。』

『……?まさか……!?』



静かに頷く佳人。

おそらくあの子はあと五年保たないのだろう。

驚いた様子の青年に佐保は背を向ける。


『あの人も10を越えることは難しいと言われていた。
でも倍の時を生きた。あの子を私にくれた。
あの子は産まれた時に息をしていなかったのに、呼吸を取り戻した。
奇跡は起きているのにこれ以上なにを望めと?』



佐保が顔を上げる。

頬を伝う涙の筋を指で拭い、青年に背を向けたまま歩き出す。

青年はただ黙ってその背中を見送っていた。


「!」


ガガ、と視界がテレビ画面が壊れたように左右にぶれた。灰色の線が斜めに走る。

――やはり、なにか変だ!

いつもなら砂嵐になるだけなのに……!

視界と意識が灰色に染まる瞬間に見えたのは、金髪の青年に茶髪の少年が走り寄る姿だった。












































視界を舞い飛ぶ薄紅の嵐。

現か夢か。判断がつかない。

赤い蝶がひらりと通り過ぎた。その向こうに今見たのと同じ風景。

風が髪をなぶり、視界を塞ぐのを鬱陶しく掻き上げる。


「――………?」


風?

夢の中ならば僕には風は感じられない……
これは現実……?

そう気付いた時、ぼんやりとしていた世界に焦点が合う。


「っ………」


赤い蝶に誘われるように足を踏み出す。

翁の桜に背を預ける跳ね馬と、そのがっしりとした長身にしがみつく綱吉くん。

眼前にいるのは夢の中の少年と青年ではなく、現実の二人。

また、数歩足を進める。


「……っ…はっ……ぁ……」


ぽたりと水滴の垂れる音。

パタ、パタとその音が続く。

雨かとも思うが空に雲は無い。


「ぐ……っ……!」


歩をまた進める。

音の正体はすぐ分かった。

綱吉くんの肘から滴る、赤い滴。

そしてその手にあるのは黒塗りの柄に花を模した鍔。


「つ……な………っ!」


ズルリと傾ぐ青年の体。

その腹に沈む鈍色の刃。それを引き抜くと同時に青年の体が地に崩れる。

綱吉くんはだらりと両手を垂れ、背を向けたまま動かない。

その手に握られた刀にひらひらと蝶が集まっていく。

――また、一歩足を踏み出す。


「………綱、吉くん……?」


違う、あれは彼ではない。彼であるはずがない。

そう思うのに口から出たのは彼の名だった。


「………佐保、か……?」


日が沈んだ神の住処は濃過ぎる闇と桜の気配に満ちて、それが体にのしかかるようだ。

目の前の彼が誰なのかも判断できない程に。

名を呼ばれた彼がゆっくりとこちらを振り返る。

きっと彼ではない。

彼であって欲しくない。

血塗れた腕と刃を見つめそう胸の内で繰り返す。
























ザアアアアアアアアアアアア……

























振り返った彼がふんわりと笑う。


「なあに?骸。」


こんな時でなければ心地良かった柔らかい声。

世界の色を気づかせてくれた、あの声だ。だが今の世界は赤しかない。



――佐保ではない、綱吉くんだ。紛れもなく。

そして目の前の光景を作り出した張本人。

眼前が白くなる僕の内側で、桜の姫がけたたましい哄笑をあげるのが聞こえた。
















続く…





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