第三十話 なぜ、なく。 あこのしあわせをねがい、 かれらがしあわせになるとしんじ、 だからかなえたのに。 ここからみえるのはなげきのかおばかり。 ここにとどくのはなげきのこえばかり。 わたしがしたことは…… * * * * 「っ………」 刃が肉に刺さる、生々しい感覚。 今現実に起こっていることなのに、紗の向こうの事のように感じる。 飛び込めば受け止めてくれる長い腕。 けれどいつもの力強さはない。 食い込むような痛みにああ、肩を掴まれているとぼんやりと感じる。 「……っ…はっ……ぁ……」 ディーノさんのお腹から、俺の腕を伝い流れ出る赤い色。蝶々と同じ色。 どんな顔をしているか、見たくないからそこだけを見つめる。 見てしまったらきっと手を離してしまう。 刀を握る手が震える。 離したら、離れていってしまう。 「ぐ……っ……!」 「!」 ディーノさんの手が刀を掴む。 掌から新しい血が流れるのも構わず刃を握り、刀を抜こうと力を込める。 押し返そうとしたけれど、それがどういうことなのかに気付いて動きを止める。 だって逆に力を入れるということは…………―― ずる、と刃が押し戻される。握ってるだけの手では止められない。 「だめ……」 顔を上げると苦しげな金の瞳が目の前にあった。 苦しいけど、反らせないディーノさんの目。 びちゃりと濡れた手が頬を撫でる。 その音と感触が生々しく残る。 「……――――――……」 「!」 薄い唇から出た囁き。 頬に触れていた手が離れていく。 「つ……な………」 大きな体が傾いでいく。 力を緩めれば刃は簡単に抜けた。 一歩下がり重力に逆らうことなく地に倒れ伏した兄弟子を見つめる。 ――やっと……ようやく……―― 桜のざわめきに混じる声。 ずっと聞こえていた声だ。それが囁きあってる。 ざわざわと歓喜に震えるそれをどこか余所に聞きながら俺は『翁』を見上げる。 『翁』の木だけは静かにそこにあって、俺をただただ黙って見下ろしている。 ザリ… 石畳を踏む音。 誰が来たかなんて、振り向かなくても分かった。 桜がざわめくならあの人にもその声が聞こえる。 だから呼ばれない筈がない。 「綱、吉くん……?」 思わず笑ってしまう。 だってこんなに動揺した声、聞いたことない。 いつから、いたんだろう。 どこから見ていたんだろう。 「………佐保、か……?」 願うような、絞り出すような声音。 けどそんなわけない。 だってあの人は骸の中にいるんだから。 「俺」は初めから「俺」だった。 一度だけ主導権取られちゃったけど、それだけ。 ゆっくりと振り返るといつになく真剣な顔の骸。 また怖い顔。笑ってない骸ってやっぱ珍しいよ。 暗くてよく見えないだろうに俺の目をじっと見ている。まだ疑ってるのかな? 「なあに?骸。」 おかしいから、笑って名前を呼ぶ。 そうしたら愕然とした顔で首を振る骸。ちゃんと返事したのに。変なの。 「綱よ、…ぐ…っ!!」 「骸?」 ふらりと一歩を踏み出した骸が突然頭を抑えて膝をつく。 どうしたんだろう? 頭を抱えたまま動かない骸の脇に膝をつく。下から顔を覗き込もうとして、気配が変わった事に気付いた。 くすくす笑いながら顔を上げた骸の目は桜に夜を溶かし込んだ不思議な色をしている。 「……よくやったね、綱吉。」 視界を遮るように蝶が飛ぶ。 それが通り過ぎると骸の姿はなく、目の前に居たのは赤い着物を羽織った女の人。 「比売神、さま……?」 比売神はにっこり笑って俺の頭を撫でる。 すごく綺麗……母さんの言ってた通りだ。 今までは声しか聞こえなかったから姿は初めて見た。 でもなんだか、よく知ってるような……懐かしい匂いもする。 「綱吉。」 差し出された手に、何を求められているか気付いて持っていた刀を渡す。 血が滴る刀は俺の手に貼り付いたように感じていたのに比売神の手に触れるとあっさりと離れた。 比売神はもう一度俺の頭に触れると立ち上がる。 それは骸がする動作とよく似ていて―――。 「待って…」 くい、と着物を掴んで引く。 神様にこんなことしたら怒られるかもと思ったけど、比売神は小さい子にするみたいに屈み込んで「なあに?」と笑う。 「骸は……?」 比売神はずっと骸の体の中にいた。ずっと骸の姿のままだった。 でも今は姿も比売神になってる。 骸の体は?骸はどうなっちゃったの? そんなわけないけど、消えちゃったらどうしようと不安になる。 「大丈夫だよ。綱吉を大事にするから彼も返してあげる。」 「ほんと?」 「本当だよ。あの子も返してあげたでしょう?」 「……うん。」 比売神は嘘つかない。 俺の『お願い』も叶えてくれた。 ほっとしているとふわりと頭に被せられた赤い着物。 やっぱり、懐かしい匂い…――― 「でもこれは駄目。」 「?」 今までの優しい声と違って、低くて唸るような怖い声。 着物を取ると、比売神は『翁』のすぐ側に立っていた。 表情の抜け落ちた、ゾッとするほど怖い顔でディーノさんを見下ろしている。 「金色。また金色。金色は嫌い。金色は駄目。金色は許さない。金色。金色は殺す。 殺さなければ。また連れて行く。金色が連れて行った。 金色のせいで。金色がいなければ。知っていた癖に。どれほど大事か。 知っていた癖に!金色……金色は来なかった。殺したかったのに。一番。 なにより殺したかったのに!金色。金の髪。憎い。金色。恨めしい。現れなければ。あの男さえ。 忘れない。忘れはしない。金色。金の髪。この色。これも同じ。これも連れてく。 連れて……連れて行かせない。今度は逃がさない。金色。 金色!また同じ!同じ色!!呪わしい!! 殺す。殺す!金色は殺す!!」 ぐわんぐわんと頭の中に声が反響するみたいだった。 ビリビリした空気は桜にも伝染したようで風はピタリと止んだのに桜はざわざわと震えている。 比売神がゆっくりと、両手で握った刀を頭上で構える。 俺はそれを――――――― * * * * 「帰ってきてないんですか?」 「ええ。まったく、どこで寄り道してるのかしら。」 「やんちゃで困るわ」と笑う綱吉の母親。 ……これは、まずい予感的中、か? 「もしかして獄寺くん、なにか約束してたの?ごめんなさいね。」 「いえ!俺は跳ね……で、でぃ、でぃーの、さんっ……に用事があっただけなんで……」 「あら。」 そんな口曲がりそうな顔するなら無理しなきゃいいのに。 しかし困ったね……帰ってないっていうなら一体何処に行ったのかな。 あの子が行きそうな場所なんて…… 「あ。」 獄寺が「ちょっとすみません」と母親に頭を下げポケットから携帯を取り出す。 表示を見てすぐに耳に押し当てる。着信のようだった。 こんな時に彼が無視せずに出る相手……綱吉からか……? 「あ、そうそう。雲雀くん。」 「なに?」 「さっき思い出してね。歴史のお勉強の参考になるんじゃないかと思って。」 そう言って彼女はエプロンのポケットから薄い文庫本を取り出した。 「これは……?」 「『櫻鬼』の話は知ってる?」 「一応。」 花柄のブックカバーがかかっていてタイトルは分からない。 けれど変色しているページの側面から古い本であることは分かった。 差し出されるままに彼女の手からそれを受け取る。 「今は絶版になっちゃってるんだけど、昔私の叔父にあたる人が書いた本なの。 『櫻鬼』ってお話を元にした小説で……」 「は!?」 突然、大きな声を出す獄寺。何事? 「わ、分かった!すぐ行く!雲雀!!」 「……聞こえてたよ。」 「なら行くぞ!」 母親に「お邪魔しました!」ときっちり頭を下げて走り出す獄寺。 慌ただしいね……まったく。行き先くらい言いなよ。 「獄寺くんはいつも元気ねぇ。」 「本当にね。これ、ありがとう。借りてく。」 「ええ。どうぞ。雲雀くんは勉強熱心ね。ツナにも見習って欲しいものだわ。」 「気をつけてね」と手を振る彼女に軽く頭を下げて獄寺の後を追いかける。 こんなことならバイク置いてくるんじゃなかったよ…… 「どこ行く気なわけ。学校?」 「ちげぇ。中山医院だ!」 中山……?あそこは廃院だったはず。 何故そんなところに…… 「……そこに、跳ね馬と骸がそこにいる。」 続く… |