第十話






「やだやだ、離して!」


肩に担いだ子犬にぽかぽかと背中を叩かれるが構わず歩き続ける。

また窓から逃げ出したのをたった今捕まえたところだ。

屋敷の中の事は全て分かると言っているのに…全く懲りない子だ…


「外に出たいのならちゃんと「食事」をしなさい。何故飲まないのですか。」

「いらないです!もう大丈夫ですってば!」


確かに顔色は良くなった。

もう2日は血を摂取していないのに、この子はどうなっているのだろうか。

しかし「人質」を逃がすわけにはいきません。


「綱吉。どうしてそんなに逃げたがるのですか。僕が嫌い?」

「!違います!骸は嫌いじゃないです!でも…だから、俺ここに居られない…!」

「?」


まただ。

怯えたような声。何を怖がっているのだろうか。

綱吉を椅子に降ろす。

まだ逃げようとするので上から大きなクマのぬいぐるみを押し付け、荷物を取り上げる。


「あ!」

「僕がいいと言うまでこれは預かります。」

「ダメ、返して!」


必死に取り返そうとするのを頭上に上げて阻止する。


「返さないとは言っていないでしょう。お迎えが来るまでいい子にしていなさい。」

「迎え…?」


きょとんとする子供の頭を撫でてやる。

あまり、接する機会などありはしないが…幼子とはこんなに愛らしいものなのだろうか。

柔らかい髪を掻き上げて額に指を当てる。意志を込めれば閉じていく瞼。

小さな寝息を確認し、髪に口付ける。


「おやすみ…」


* * * *


「だから言ってんだろ、野暮用があんだって!」

『内容をはっきりさせないことには許可は出来ないな。』


…さっきからこれの繰り返しだ。

骸という吸血鬼の屋敷に向かったのはいいが、聖都と逆方向だったが為に監視の目に僕らは足止めを喰らってしまった。

教団ぐるみなのでそう簡単に逃げることも出来ない。

神父が各教会にある神鏡――お互いに連絡し合える道具――で直談判しているのだが埒が開かない。


「もういいよ、あいつらみんな咬み殺せば。」

『おい、恭弥!お偉方を抑えるこっちの身にもなれ!』


鏡の向こうで慌てている金髪の男。白の騎士団の頭で僕の後見人らしいそいつを睨む。


「知ったことじゃない。血がどうのとか騒ぐのは勝手だけど僕を飼おうだなんて幻想は捨てることだね。
そんなに大事なら血だけあげるよ。
束縛されるぐらいなら死んでる方がマシだね。やらせないけど。」

『恭弥…』


金髪が溜め息をついた。

何、その『やれやれ』って態度。殺すよ?


『恭弥、お前は特別なんだ。確かに聖血は滅多に現れない。希少な存在だ。
その中でもお前は別格なんだ。現存する神の血を継ぐとされる家系の中で、唯一現れた聖血。
お前の可能性に教皇も期待を寄せている。』

「………お前そんなドエライとこの出身だったのかよ。」

「うるさいよ。」


それ言われるのが一番ムカつくんだ。

監視はウザいし本当にイライラする。

魔物と戦う楽しみが無かったら本当に全身の血を入れ替えてたね、僕は。


『とにかく。今までは好きにさせていられたがもう限界なんだ。
早く聖都に来い。お前は産まれた時から騎士団に名前が載っているんだ。
いい加減、ハンターの真似事は止めるんだな。』

「ちっ…」


決めた。

騎士団本部に生け捕りにしたドラゴンぶち込んでやる。

僕はやると決めたら絶対にやるよ…

そんなことを考えていたら金髪が神父の方を見やった。


『獄寺、お前もだぜ。』


ぎくりと神父の肩が揺れた。


『お前がどういうつもりで神父に甘んじてるのかは知らないがそんじょそこらの司教クラスなんかとっくに飛び越えてるのは分かってるんだぜ。
いい加減逃げ回るの止めて昇格しろ。
神の僕と言われ無数の奇跡を起こしたお前を野放しにするほど俺達の目は節穴じゃない。』

「………君エリート候補だったんだ。」

「うるせぇ!」


「そう言われんのが一番ムカつくんだよ!」と吠える神父。

あれ、どっかで聞いた台詞…


「もういい。あの人の為になるべく穏便に行きたかったが…」


神父が立ち上がった。

ぐいと羽織っていた上着を引かれる。

文句を言おうとすると、ザワザワと大気が震えだしたのが分かった。


「君、」

「てめぇらのやり方に付き合ってられるかよ。」


建物の中だと言うのに風が起こる。

それが僕らを中心に回り始めた。

…彼がやっているのか?

神父は鏡に向かってニヤリと笑う。


「じゃあな、跳ね馬。お偉方によろしくってよ!」


グニャリと視界が揺れる。

鏡の中で金髪の男が何か叫んだのを最後に、視界が暗転した。








次に気付いた時、周りは広い草原に変わっていた。

……頭が痛い。

倒れ込んでいた体を起こす。

ここは…街の外、なのかな。

辺りを見回すと頭を抱えてうずくまる神父。


「…何をしたの。」

「空間移動だよ。って〜…やっぱきつい…」

「なんでそんなこと出来るのさ。」


空間移動出来る人間なんて聞いたことがない。それは魔族の特権だ。

神父はこめかみを揉みほぐしながら体を起こす。


「俺の体には沢田さんの血が巡ってる。あの人の特異体質は他者にも影響するらしい。だから俺には人にない能力がある。」

「能力…」

「空間移動・治癒・破壊。他にもあるけどな。自在に出来るのはこんなとこだ。ただ、反動がきつくてよ…」


神父はそう言って額を抑える。


「ここどこ。」

「ヤツの屋敷近くの筈だ。狙ったとこまで飛べれば楽なんだけどよ…どうも中途半端で…」


神父はパンと自身の両頬を叩くと立ち上がった。


「今は振り切ったけどな、あいつらの追跡力は並みじゃねぇ。急ぐぞ。」

「言われなくても。」


思い出すのはへにゃりと笑って背中を押すあの子。

そして仮面の笑顔。

もう二度とあんな表情はさせない。

そう心の中で呟いて僕は走り出した。


* * * *


「くっそ、やられた!!」


ガンと円卓を殴りつける。

あんの破天荒コンビ…!!

イラつく俺を余所に「お偉方」は興味深げに神鏡を眺める。


「…あの少年、空間転移まで扱うとは…素晴らしい。」

「奇跡を繰る神の僕…そう呼ばれる理由が分かりますね。」


彼らは満足気に豪奢な椅子に身を沈めた。


「彼の噂は聞いているわ。早く呼び寄せられては?ディーノ殿。あの能力、遊ばせておくのは勿体無い。」

「ああ。」

「あの聖血の少年、まだ能力が開花していないようだが…報告によるとかなり高い戦闘能力を持っているそうだな。」

「だが少し我が儘が過ぎますね。団長、あなたが甘やかし過ぎなのでは?」

「…申し訳ない。」


あれが我が儘?んな可愛いもんじゃねえっつの。

上辺だけ殊勝な態度で円卓を囲む椅子に座る。

あのじゃじゃ馬に手綱をつけろってのが無理なんだ。


「…やはり例の人物…可能性が高いのはあの二人ですね…」


俺の右隣の男が呟く。すると全員が頷いた。俺も同意見だ。

しかしもう一つの可能性も捨てきれない。


「その例の存在、我々の先入観で人だと判断していたが…違う生き物として生を受けている可能性はないのか?」

「今更何を…」

「いえ、一理あります。」


真向かいの巫女長が組んだ手を口元に当て言った。


「神はどうやら例の存在を隠したがっているような…そんな意思を感じます。ならば我々の意表をついて…」


ドン、と円卓が揺れた。

大司教の一人が険しい顔で唸る。


「ならば、探索網を広げなくては!こうしている間にも…」

「雲雀恭弥と獄寺隼人も早く探し出させよう。」

「既に手配しています。」

「なるべく早く見つけてくれ。」


俺の感を信じるなら…どちらかがその「存在」…もしくは…


* * * *


…静かだ。おかしい。

逃げるのを諦めたのかと思ったが…気配を探ってもベッドから動いた様子も無い。

何度か様子を見に行ったが眠ったまま…いや眠ったフリをしている。

足音を忍ばせて彼の部屋に近づく。

………この匂い…?

そっと扉を細く押し開ける。


「!」


床に落ちた、割れているグラス。

零れて数時間が経った、乾いた血液。

白い寝間着についた赤い模様と鮮血のついたガラスの破片。

細い腕を伝う赤い筋。


「綱吉…」


自身の腕を子猫がミルクを飲むようにチロチロと舐めている。

やがて、耐えられなくなったのかかぷりとその手首に歯を立てる。

肘から血が滴る。白かったシーツは血だらけになっていた。


「止めなさい!」


大股で歩み寄り腕を掴む。頭上にあげさせて噛めないようにすると身を捩って抵抗する。


「離してください!」

「何をしているんだ君は!」


自身の血を食らうなんて…自殺行為だ。

大体、そんな習性を僕ら吸血鬼は持たない筈…

暴れる綱吉を抑えつけ、指を鳴らす。

サイドテーブルに現れた血の注がれたグラスを手に取る。


「飲みなさい!」

「嫌だっ…!」

「何故そんなになるまで血を口にしなかったのですか!言うことを聞きなさい!」


綱吉は全力で血を拒む。しかし自傷してまで血を啜っていたのだ。

僕はグラスの中身を口に含んだ。彼の頤を掴み無理矢理唇を合わせ、血を流し込む。


「ん…ぐっ…げほっ、かふっ」

「綱吉!?」


綱吉が目を見開き僕を突き飛ばす。

喉を抑えてたった今注いだ血を吐き出すと真っ青な顔で寝台に倒れ込む。

痙攣…拒絶反応?何故!?

共食いを避けるためか、吸血鬼は同族の血を口にするとその反応を起こす。

だが今のは糧となる人間の血だった。現に僕も口に含んだ際に少し嚥下したがなんともない。


「はっ…はっ、はぁっ…!」

「これは一体…?」

「骸…っ」


呆然としていると右手を引かれた。

彼は僕の指を両手で包むとそこに口づけをするかのように唇を寄せた。


プツ…ッ


「!」


指先をくわえ込まれ軽い痛みが走る。

人より黒みの濃い血が指先にぷくりと盛り上がった。

小さく「ごめんなさい」と呟いて綱吉がそれに舌を這わせる。


「綱吉…」

「本当にごめんなさい…でも限界なんです。ちょっとだけだから…」


ちろりと小さな舌が指先を行き来する。

僕の血を口にした途端、綱吉はみるみる顔色が良くなっていった。

彼は少し名残惜しそうな顔で僕の手を離すと口を拭い、体を起こした。


「君は…一体…?」


綱吉はまだ止まらない自身の血を舐め呟く。


「魔にも人にも拒絶された、異形ですよ。あなたには知られたく無かった…」








続く…





←back■next→