第十一話






――人の血を受け付けず、同族を食らい微かな聖の気を帯びる吸血鬼。

長く生きてきたがそんな珍種にはついぞお目にかかった事はない…

とても興味深いですね。あの男が連れていたのもますます気になります。


「分かったでしょう?俺がここを離れたがっていた理由。」


僕と視線を合わせないようにしながら寝台の隅に逃げるように後ずさる子供。


「骸は優しくて好きです。でも俺にはおいしそうにも見える。気持ち悪いでしょう?」

「そんなことはありませんよ。」


脇に手を差し入れ抱き上げ、安楽椅子に小柄な体を降ろす。

綱吉はビクビクとしながら僕を見上げる。


「クフフ…君は可愛いですね。気持ち悪い訳無いじゃないですか。」

「でも俺は!もっと飢えたら骸に襲いかかる!その時に同じ事が言える!?」

「おや、そんなことにはなりませんよ。」


寝台に転がる鋭利なガラスの破片を拾い上げる。それを自身の首に押し当て切り裂く。


「骸!!」


飛び散る血に綱吉が悲鳴のような声を上げる。

人間じゃあるまいし、これくらいで僕が死ぬわけが無いのに。

着ていたシャツをはだけて血を摂取しやすいように首を傾ける。


「…さあ、どうぞ。」

「だ、駄目です…飲めません…」

「お腹がすいたのでしょう?」


傷口に綱吉の頭を押し付けるようにして抱き上げる。


「飲みなさい。」

「………………」


暫く躊躇っていたが、綱吉は躊躇いがちに口を開けて僕の首筋を食んだ。

飛び散った血を舐めとり流れる血を啜る。


「………?」


――おかしい。

さっきから舐めるばかりで…まさか。


「ちょっと失礼。」

「んく!」


綱吉の小さな口内に指を差し込み、探る。

…やはり


「牙が無い…?」

「まだ生えてないだけです!」


おやまあ。人間の子供のようですね。

10代前半のこの外見ならあると思ったのですが。


………!


「骸?」

「来ましたね…」

「?」

「食事は中断です。君のお迎えが来たようだ。」


綱吉を床に降ろす。

伸ばした髪が血で張り付いて鬱陶しい。手を振り傷と血の跡を消す。


「迎え…?」


訝しげに僕を見上げる少年。

彼の髪に触れ、鍵の掛かったクローゼットを開けにゆく。


「その格好ではお客に会わせられませんね…しかし君が着ていた服はあちこち破れていますし…」

「骸、迎えって…?」

「すぐに会えますよ。さあ着替えてください。」


* * * *


頭が痛い。くそっ…

これからあいつを相手にしなくてはならないのに…

飛んだ距離が長過ぎたのか。


「…大体なんでこんな広いんだ…」

「君来たこと有るんじゃないの?」

「入ったのは初めてだ。」

「の割になんだか確信あり気に歩いてるじゃない。」


それは俺も不思議に思っていた。

骸の敷地に入った時から何かに導かれているような感覚がしているのだ。

迷うように術が掛けられている筈の森を抜け、薔薇庭園を突き進み、屋敷に辿り着いた。

扉に手をかけ、背後の聖血を振り向く。


「雲雀、さっきも言ったけどな。あいつは何かを目的として俺を探ってやがるが単に珍種を徹底的に研究するのが趣味なのもある。
お前、よく分からねえけど聖血としては唯一無二の存在なんだろ?
付きまとわれたくなかったらヤツの気を引きそうな行動はするな。」

「分かってるよ。」


不機嫌なやる気のない顔の雲雀に一抹の不安を覚えたが今はこいつより沢田さんだ。

豪奢で悪趣味な扉を押し開け中に入る。

薄暗い灯りの中、警戒しながら足を進める。


「ようこそ、神父サマに聖血くん?」


頭上からした声にそちらを睨み上げる。

正面に続く大階段の最上段に立つ、ラフな服装の長髪の男。面影はある。骸だ。

俺が知っているヤツは10代半ばの外見だったが今の骸は成人体だ。


「…それがてめぇの本性か。」

「同い年くらいの方が話しやすいと思ってたんですが君だんまりを貫いてばかりですし。」

「……あの人は何処だ。」

「立ち話も何でしょう。こちらへ。お茶の用意も出来ていますよ。」

「骸!」

「彼も、そこにいます。」

「!」


骸がクスリと笑う。


「さあ…どうぞ。」


* * * *


産まれながらの吸血鬼は長い年月をかけて成長する。

生を受けて100年は眠り続け「幼児期」を過ごす。

長い眠りから覚めるとようやく自我が芽生え10代半ばの外見をとるようになる。

そこから各々の好きな年齢で時を止めて永い時を過ごすのだ。


――何故あの子は眠らずに活動していられる?

不安定ながらもはっきりとした自我も宿っている。

幼子のような純真さ、少年のまだ成熟していない拙い仕草の裏で隠しきれない色濃い陰と疲労。

魔と聖、幼さと老い。同居する矛盾。

あの細く小さな体躯に多くの謎を内包する同族。


彼は何者なのだろうか。






客間の扉を開ける。綱吉は…と、居た。

部屋の隅の束ねられた分厚いカーテンの影に隠れて立っている。

僕と目が合うと少し恨みがましい顔で睨まれた。会いたくないとかなり抵抗されましたからねぇ…

でも没収した荷物に彼にとって重要なものがあるらしく渋々ながら逃げるのを諦めてここにいることにしたらしいですが。


「どうぞ中へ。」

「綱吉!」


部屋に入ってすぐに聖血があの子に気付いた。

彼がそちらに向かって足を踏み出すと弾かれたように綱吉が逃げ出す。

聖血も慌ててそれを追いかける。


「待って、綱吉!!」

「沢田さ…」

「待ちなさい。」


子犬を追おうとする神父の前に立ちはだかる。

確かにあの子も興味を引かれるし個人的にとても欲しい。

しかし今はそれより「あれ」の手掛かりであろうこの男だ。


「あの子は彼に任せればいい。無事も確認出来たでしょう?」

「…まあな。」

「あの二人が戻るまで少し話でもどうですか?」

「………………」

「それほど手間は取らせませんよ。」

「…どうだかな。」


* * * *


「綱吉、待って!」


逃げていく小柄な少年。

長い廊下は果てがなく、同じ壁と扉が延々と並ぶ。迷ったらきっと戻れない。

でも今はどうでもいい。あの子を捕まえられるならば。

体格の差で徐々に綱吉との距離は狭まっていく。

あと少しで捕まえられる、そう思った瞬間に綱吉が身を翻す。反応が鈍った。

綱吉はすかさず部屋に滑り込み扉を閉める。僅差で間に合わない。

僕が扉に手をかけると中からカチリと鍵のかかる音が伝わる。


「綱吉!!」

「…っ」


バン、と扉を叩く。気配で綱吉がそこから離れたのが分かる。


「綱吉、出てきて!」

「嫌だ…っ!」

「綱吉!」

「人間が俺に何の用ですか!」

「綱吉っ…話がしたいんだ!ねぇ、綱吉っ!」

「嫌っ!俺はしたくない!」

「綱吉!」

「出て行ってください!俺はもう人とは関わらない!!」

「綱吉、開けて!」

「もう誰も救わない!!誰も見ない!!」

「開けろ!」

「拒絶されるのはたくさんだ!!」

「綱吉!!」

「…………せに…」

「?」







「どんなに大事に思っても…愛してくれないくせに…っ…!!」








「!!」

「嫌いだっ…人間なんて…っ!!」


綱吉の言葉を聞いてパシンと、手の中で何かが弾けた。

粉々に砕けたドアノブと鍵穴。

………なんでこんな…いや、今はどうでもいい。

扉を押し開ける。

部屋の中心にぽつんと置かれた椅子。

その上で膝を抱えて顔を埋める子供。


「っく…ひっく…」

「綱吉…」


肩を震わせて泣く綱吉に触れる。

ビクリと体を揺らしまた逃げようとする綱吉の腕を掴む。


「はな…っ」

「嘘だよ。」


涙に濡れた顔を綱吉があげる。


「好きなくせに。自分でついた嘘に傷つくくらいに、泣いてしまうくらいに人が好きなくせに。」

「…っ!」

「知っているよ、君が獄寺にあの林檎の事を言いたくない理由。
君は好いた人間に人外の自分を知られたく無いんだ。」


人と話す綱吉は、本当に嬉しそうだった。

神父を、獄寺を見る目に、偶に父性のような優しさが宿るのを僕は知ってる。


そして僕にだけ人外の、魔として異端な自分を垣間見せる理由。



同族から浮いた存在。微かにだが仲間意識が僕らにはあったのだろう。

綱吉はそれを素直に認め僕を信じて自分を少しづつ晒そうとした。

それを…僕は。


「ねぇ…こんな時はなんて言えばいい?
言った事は取り消せない…謝れば君はまた僕を信じられるの?」

「………」

「無理だよね。」

「はい…」


強張った顔で綱吉が頷く。

彼には内包する闇がある。

一度溝が出来れば無かったことにできるほど無垢でも無知でもない。


「ここは聖都から遠い。」

「?」

「長い旅になりそうだよね。だから僕は、聖都に着くまで何も聞かない。君を疑わない。何があっても。」

「雲雀さん?」

「君は僕を信じなくていい。後ろから見てなよ、また信じる気が起きるかどうか。
目的地に着いて…君が僕を信用できたら。」


ぐい、と腕を引き寄せる。抵抗は無かった。

呆気にとられた顔して僕を見つめてる。


「話しなよ、隠してる事全部。そしたら謝ってあげる。君を泣かせた事。」

「ひ、雲雀さん…」

「何。」

「なんか…俺がついて行くこと前提に聞こえるんですが…」


当たり前だろ。


「君が言ったんだ。僕が剣で君が盾なんだから。
それとも何、君はここまで自分に会いに来た人間を放ってどこかに行く気?良心が痛まないの?」

「そ、その言い方ずる…っ」


ずるくて当然。人間だもん。

綱吉は困ったような顔をしていたが表情を引き締めキッと僕を睨みあげる。


「でも雲雀さん、忘れてませんか。貴方は聖血で俺は吸血鬼ですよ。
理性無くせば俺は貴方に襲いかか…」

「僕たち3日一緒に行動したね。」


突然話し出した僕に綱吉はぱちくりと瞬きを繰り返す。


「君は食べても意味がないと言いながらしょっちゅう果物にかぶりついてた。」

「はあ…」

「それで気付いた。君」


がしりと彼の顎を掴みニヤっと笑ってみせる。


「牙無いでしょ。吸血鬼のくせに。」

「!!」

「知ってるんだよ、君やたらと歯並びいいのも。」

「え、えっと…」

「それとね。魔物って人食らうヤツは特有の体臭がするんだ。食らわない魔物とは匂いが全然違うんだよ。」

「う…」

「君さ。吸血行為、出来ないんじゃないの?」

「うぐ…」


目が泳いでる。図星か。


「で、どうするの?行きたくないなら早く次の言い訳考えなよ。」

「ううっ…」

「無いの?なら」


俯く綱吉の顔を下から覗き込む。


「一緒に行こうよ、綱吉。君の側は居心地がいいんだ。」


じわりと綱吉の目がまた潤み出す。

激しく目を擦りながら、こくりと首が上下に動いたのを僕は見て笑った。








続く…





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