第二十三話






「……」


シャクっ。


梨にかぶりつく。お腹が空いてる訳じゃない。でも食べずにはいられない。

癖みたいなものなんだ。不安になるとこうやって腹に溜まらないと分かっている果実にかぶりついてしまう。

昼間はみんなの目があるから普通にしてたけど…みんなが寝静まった後も眠れなくて。

こうして宿を抜け出して民家の屋根に登ってたりする。


「……真っ暗…。」


今日は月も出てない。良かった…どんな顔をしていても誰にも見られることはない。

冷えた手を抱えた足と腹の間に挟み込む。
獄寺くん…何かあったのかな。様子がずっと変だった。雲雀さんもなんかおかしいって言ってたし…

きっとどこか調子が悪かったんじゃないかな。

取り留めもなくそんなことを考える。


差し出した手を避けられた事を思い出したくなくて。


俺には絶えず不安に思っていることがある。

雲雀さんに疑われた時も悲しかった。でもそれとは別に俺には恐れている事がある。


――なんで…!――


過去に言われた言葉を思い出して耳を塞ぐ。

あれは辛くて悲しかった。

俺はまだ外見も小さくて精神もまだ赤子に毛が生えた程度で。

…やめよう。思い返したくもない。


「泣いているのですか?」

「!!」


背中を暖かいものに包まれる。

暗闇で姿は見えないけれど…この声と薔薇の香り。間違えるはずがない。


「むく、ろ…?」

「やっと見つけました…僕のpuppy…」

「や…!」


首筋に牙が当たる。逃げようとしても大人の吸血鬼に俺が敵うはずもなく。

皮膚に牙がめり込むのを感じながらただ震えるしかない。

顔も見えない暗闇が更に恐怖を煽る。


「やだ…っ、やです、骸…!!」


ずるずると血を吸い出される。背が凍りつくような絶望感。

…すごく長い…このまま殺される…!!

そう思っていると牙が引き抜かれた。

かなりの量の血を奪われた俺はぐったりとしたまま腕一本を持ち上げることも出来ない。


「不思議ですね…君の血は水のように何の香りもしなければ味もしない。だが口にせずにはいられない…」


骸が立ち上がったのが音でわかる。俺は支えを失ってその場に倒れ込んだ。

その時。雲が晴れ、月が顔を出す。月明かりに照らされる長身の影。


「骸…」

「しばらくそこで大人しくしていなさい。後で迎えに来ます。」

「待ってください!どこに…」

「獄寺隼人に用があります。聞きたいことがありますから。
ああ、それと聖血の彼にも。君の部屋に彼の首を飾ってあげないとね。」

「だめ…っ」


くっ…体が重くて動かない…!!

宿に行く気だ!!止めなきゃ!!

俺に何が出来るわけでもないけれど、あの二人には手を出させない!!

俺はそれ自体が砂袋になってしまったかのような腕と足を無理矢理動かして体を起こす。

ふらつきながら立ち上がった俺を骸が面白いものを見るような目をして見下ろす。


「頑張りますね…お仲間がそんなに大事ですか?」

「……大事、です。」

「そうですか。」


ぶん、と骸が槍を振るう。

その切っ先を俺に突き付け艶やかに笑う。


「ならば尚更彼等の首を持って帰らなくては。
さあ…そこを退きなさい、綱吉。あまり悪い子だとその手足をもいでしまいますよ。」

「…退きません。」

「綱吉。」

「行かせません!」

「…………そうですか。」


骸が槍を引いた。そうして俺に歩み寄り優しい顔で俺の頬に触れる。


「手に入れるなら、無傷なままが良かったのですが…」


骸が、槍から穂先を取り外す。俺は足に根が生えたようにその場に立ち尽くす。


「大丈夫。腕も足も…全て大事にしますよ。」


骸の目に狂気が宿った。いや、始めからあったのかも知れない――

穂先を振り上げる。

目を閉じると同時に振り下ろされる刃。











ガキィッ!!










「!!」


金属同士がぶつかり合う。

目を開けると大きな背中。


「やめとけよ、皇太子。あんたは狩りたくないんだ。」

「…ハンターですか。夜の散歩とはまた趣味のいい…」


冴え冴えとした月光をはね返す白刃。東から伝わる群青の衣が夜風に翻る。

俺が衣を掴むと彼が振り返った。


「助っ人とーじょーっ」

「山本!!」

「よっ、ツナ!元気そうで安心したぜ。」


がしがしと頭を撫でられた。

相変わらず場の空気壊すのうまい…流石山本。


「…山本…武…」


骸が笑みをかき消し一歩下がった。


「国公認、初の混血ハンター…まさか会えるとは思っていませんでした。」

「俺もあんたに会えるとは思わなかったぜ、六道骸。」

「…君と揉めるのは得策ではない。今日の所は引きますよ。」

「そうしてくれ。俺も半分とはいえ従うべき存在の候補とは戦いたくない。」


二人は黙って見合っていたが骸が先に顔を背けた。


「では、また後日。お仲間によろしく…綱吉。」

「……」


骸はふ、と笑うと腕を横に振る。その姿が一瞬で黒い砂になり弾けた。


* * * *


「ごめん山本…」

「はは、気にすんなって。」


開け放たれた窓から部屋に入り床にツナを降ろす。

ふらふらしているツナを歩かせる訳にもいかず小柄な体を抱えて空を駆けてきたのだ。

懐かしいな。つい最近までこうやって飛べないツナ抱えて飛ぶのが日常だったのに。


「粋がっても何もできないんだから…情けないよ、自分が。」

「そんなことねぇよ。…格好良かったぜ、ツナ。」


少し会わない間にいろいろあったんだな。

少し大きくなったように思えた。体の大きさの事じゃないけど。

でも皇位と対峙してるの見たときには肝が冷えたけどな。


「山本。その…大丈夫なの?」

「ん?」

「体…無理してない?」

「何ともないぜ。心配性だなツナは!」

「わわっ!」


ツナの首を抱え込みぐしゃぐしゃと髪をかき回す。

お、ヤマアラシみたいになった。


「なにすんのさ、山本!!」

「あはは、ワリィワリィ。そのぴょこぴょこしてる頭見てるとな、つい。」

「自分だってぴょこぴょこしてる…」

「俺のはビョンビョンだろ。」


ぽふぽふと頭を叩くとツナは「子供扱いすんな…」と不満げに呟いた。

そうは言われてもなぁ…見た目おんなじくらいでも俺ら人間ならじいちゃんと孫くらい年離れてんだぜ?

俺にとってツナはよちよちあるきのチビのようなもんだ。


「ほら、ツナ。むくれてないでベッド入れ、ふらふらじゃねーか。もう寝とけ。」

「うん…そうする…」


ごそごそと素直にベッドに潜るツナを見やる。


「山本。しばらくまた一緒に居られる?」

「ああ。たくさん寝てきたしな。また眠くなるまで一緒にいるぜ。」

「…良かった。」




「ごめんな、ツナ…」


お互いに別れていた間にあったことを話しているうちにツナの瞼が閉じる。

俺は枕元に椅子を引き寄せツナの顔を見つめる。


「何ともないなんて嘘だ…」


感のいいお前のことだ。ある程度気づいているのだろう。

俺の体は内部からじわじわと老いてきている。

「人」としての血が強い俺は人の寿命に引きずられているのだ。

だが長命な吸血鬼の血のおかげで死ぬ事はない。ただ永い…いつ目が覚めるかも分からない眠りにつくだけだ。

といっても起きた奴は誰一人としていない。

俺も…あと一年、いや半年保つかどうか。


「……………」


40年前に両親は逝った。親父が死んだその時にお袋も一緒に…最期まで仲のいい夫婦だった。

ちょっと前に最後の「人」の親友が逝った。

「お前を一人に出来るか」と笑っていたのを覚えている。人としてはかなり長く生きた方だと思う。


人間としての俺を知る奴らはみんないなくなった。

死ぬ気はないがいつ死んでも構わないと思い出したのはそれからだ。

今思い返せば一番荒れてた時期だったのだろう。親父から継いだ刀を相棒にハンターになったのもその頃だった。


――どうぞくごろしはたいざいだよ――


今も鮮明に耳に蘇る舌っ足らずな子供の声。

まだ幼いその魔物が、まさか生きる理由そのものになるとは。当時魔族を、自身の血さえ憎んでいた俺は夢にも思っていなかった。


眠るツナの頬に触れる。

本当に…大きくなったよな、ツナ。

ツナの体が成長を止めたとき、正直ほっとした。

俺はこの大人とも子供ともつかない体のままだ。お前にまで置いていかれるのかと不安だったんだ。


「ホント成長しねーよな、俺…」


ツナ。

わがままを言うならお前の隣にずっと立っていたかった。








続く…





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