第二十五話






終わる。

霞む視界、首に食い込む二本の凶器。血を抜かれる絶望感。

終わる、俺の命が…

共に神に仕える筈だった仲間達は全員床に倒れ伏している。

最後まで俺達を守ろうとしていた修道女達の体が廊下に転がされている。

もう俺も…――


「…貴様…!」


不意に聞こえた若い声。男か女かは分からない。

牙が抜ける。

だがもう血を失った俺は助からない。

支えを失い床に崩れる。死にいく俺の視界には月と白い小柄な人、そして静かな怒りを湛えた柘榴の瞳…―








ふ、と途切れた筈の意識が浮上する。

動かない体。視線だけ動かすと見慣れた夜の施設。

いつもと違うのは見慣れた者達の遺体が横たわっていることだ。

ポタリ、と頬に雨の滴が落ちる。

いや、屋内なんだから雨が降るわけがない。

そういえば俺、誰かに抱えられて…

さっきの吸血鬼かと思ったが違う。奴より大分頼りなく細い、優しい腕だ。

首を動かして腕の持ち主を見上げる。


「!」


雨じゃねぇ。泣いている。

俺を抱える、少年の形をした人外の――天使。彼が泣いているのだ。


「…ごめんね…ごめん…」


さらりと髪を撫でられる。ポタリともう一滴涙が落ちた。


「これは俺のエゴだから…恨んでもいい。君は悪くない。」


そろりと固い木の長椅子に横たえられた。

体が重くて動かせない。声も枯れてしまったかのように空気が出入りするだけだ。

今にも去ろうとするその人を止めたいのに俺はどうする事も出来ない。


「『眠って。』次に起きたらもう…――」







次に目が覚めた時には俺は病院の一室にいた。

全てが夢の出来事のようだったが首筋に刻まれた二つの傷が俺に現実を突きつけていた。

共に泣き笑った友であり兄弟達はもういない…

体と心に深い傷を負った俺の支えは魔への憎しみと「天使」の存在だった。

それまでどうでもいいと思っていた神父になろうと決めたのもその頃だったと思う。


何故幼かった当時の俺があの人を天使と思ったのかは分からない。

だが俺は月を背に泣くあの人に堪らなく惹かれた事だけは覚えている。


――あの人は天使ではなかったけれど。

真実は俺の想像を超えていたけれど。

だがそれでも構わない。


あなたについていく。

その為なら神を裏切ることも厭わない。

そう決めたのだから。


* * * *


「…………くそ…懐かしい夢だぜ…」


起き上がり首をさする。傷なんて残ってる訳がねぇ。あれから8年が過ぎている。

今だに夢に見るあの悪夢のような夜。

仲間や母とも姉とも慕った修道女たちの死に顔が脳裏に焼き付いている。

俺が一番最後に殺されたのは、一番年下だったからだ。あいつらが体を張って俺を庇ったから。

…連中は俺なんかよりよっぽど神の道に行くのに相応しかった。


「…………」


俺はベッドから抜け出すと水差しをグラスに傾けた。水を一気に呷る。

…もう一度眠る気にはなれない。

沢田さんの様子でも見に行くか…


「やあ。」

「…おう。」


部屋を出たところで雲雀に出くわす。

黒い上衣に白の下衣といったラフな格好で脇にトンファーを抱えている。


「…何処行く気だ、お前。」

「寝れないから狩りに。」

「んな!?お前何考えてんだ!」


お前が暴れたら宿変えた意味が無いだろうが!!


「冗談だよ。ちょっと綱吉の顔見に行ってただけだよ。」

「…トンファーはいらねぇだろ。」

「何言ってるのさ。これは常備だよ。離したことはないからね。」

「そーかよ…」


物騒なヤツ…今更だがな。

ズカズカと廊下を進む雲雀の背中を見送る。


人より頑丈とは言え血を大量に奪われた沢田さんはダメージが深かったようで丸2日眠り続けている。

あのままあの町にいるのは危険と判断した俺たちは俺の転移能力で違う町に移っていた。

今のところ骸の気配も上級魔族の気配も感じられない。

ナギが宿の周りに薄い結界を張っているお陰で雲雀の血に引き寄せられる魔もいない。

沢田さんが目覚めるまで何も無いといいんだけどな…

転移はしばらく使えない。この状況で俺まで倒れるわけにはいかないからな。

そんなことを考えていたら雲雀が足を止め振り返る。なんだ?


「神父。聞きたいことがあるんだけど。」

「なんだよ。」

「こないだ話してた『終焉を腕に抱く者』、あれって僕の事かい?」

「…なんでそう思うんだ?」

「聞いた事がある。産まれて間もない頃に。
僕は母親の腹の中にいるときから全て記憶しているからね。僕に関する預言の中にその言葉があった。」


…こいつならありそうなのがまた怖ぇ。

まあ、本人になら隠す必要も無い。むしろ自覚しといて貰った方が俺も楽だ。


「そうだ。骸含め生存派魔族が探す神孫なんだそうだぜ、お前はな。まだ覚醒してないからあっちは気付いてねぇ。

だからてめぇも下手なことすんなよ。沢田さんもいるからな。魔族全員に狙われたら生きた心地がしねぇよ。」

「分かってるよ。うるさいな。」


うるさく言ってもてめぇが聞かねーんだろ。

用は済んだとばかりにさっさと部屋に入る雲雀を睨みつけ、俺は沢田さんの部屋のドアを叩く。


「どうぞ。」

「!お前また…」

「起きないから、心配で。」


ドアを開けると数時間前と同じように沢田さんの枕元にナギがいた。

俺たちのように眠れないからじゃない。こいつ絶対寝てねぇ…顔色は蒼白で目の下にうっすらと隈ができていた。


「今日こそ寝ろっつったろーが!!」

「嫌。lordの側にいる!」

「んな死にそうな顔沢田さんに見せる気か!?」

「………」


親に置いてかれたガキみたいな顔すんな。

心配なのはお前だけじゃねぇっつの。

俺は折り畳んであった毛布をナギに投げつけソファーを指差した。


「心配ならここで寝ろ!
……とにかくその隈なんとかしろ。沢田さんが起きたら逆に心配されんだろうが。」

「…うん。」


ナギは大人しく毛布にくるまるとソファーに丸くなる。

ったくよ…なんで駄々っ子だらけなんだこいつら…俺は


「保父さんみたいだな。」

「ちげーよ!!!!」


こいつも居やがったか!!

ろうそくの明かりが届かない暗闇の中に山本が脳天気な顔して座り込んでやがった。


「ツナなら大丈夫だってその娘にも言ったんだけど聞いてくれなくてな。」

「…本当に大丈夫なのかよ。」

「ああ。最近人並みに起きてたから寝不足なんだろう。子供と同じでツナは普段1日の半分以上寝てるからな。」


ベッドに近寄り眠る沢田さんを覗き込む。

あどけない寝顔だ。山本の言うとおり血色も大分良くなっている。

沢田さんの体が影る。顔を上げると明かりを遮るように山本が立っていた。


「…お前、ツナの力で生き返ったんだったな。」

「…だったらなんだ。」

「いや…」


沢田さんがころんと寝返りを打つ。

山本はずれた布団を直して沢田さんの頭を撫でた。


「…ツナを恨んだことは無いか?」

「………」

「今は違うって分かってるぜ?ただ、過去に一度でも生き返ったことを悔いて恨んだ事は無いか?」

「……………」


――ある。

10を越えた頃、助祭を目指していた頃。堪らなく孤独感に苛まれた時期。

俺は何故仲間達全員を救ってくれなかったのかと天使を憎く思った。

何故俺だけ助けたのか。どうせなら奴らと一緒にあの世に生きたかった、と。

今思えばなんて身勝手な考えだったのか。
だがそう当時の俺は思っていたのだ。


「無い、とは言えない。今なら当時の俺を殴ってやりたいと思うけどな。」

「そうか。」

「………」

「…俺は一度だけ『奇跡』の場にいたことがあったんだ。」


ナギの座っていた椅子を引き寄せ山本が座る。目線で促され俺も手近な椅子を手繰り寄せた。


「会って間もない頃だった。ツナは…多分5歳くらいだったか。
助けたのは今のお前と同じくらいのヤツでな。母親と小さい弟といた所を襲われたんだ。
ツナは小さな体で頑張った。でも…ツナの力は子供、しかも一人にしか使えない。当然母親と弟は助からなかった。」

「……」

「そいつは感謝するどころかツナを責め立てた。

まあガキだから、と言ってしまえば仕方ないのかも知れないが家族を殺した吸血鬼に対する怒りも全部ツナにぶつけた。八つ当たりだな。

役立たずとか余計なことをしやがって、とかいろいろ言ってたな…とにかく酷かった。

最後にはそいつの仲間までツナに石を投げて非難した。」

「っ!」


怒りが沸く。見も知らずのその人間に対して。

怒りのあまり立ち上がると山本が俺を見上げた。


「落ち着けよ。過去のことだ。」

「だからって…!」

「殴っておいたから。強烈にな。俺力つえーんだぜ?」

「…………それはよくやった。」


ストンと椅子に座る。ニカリと山本が笑った。

よく笑うヤツ…


「でもツナはな、傷ついた。

それまでも人を助けた事があったが悪意を向けられたのは初めてだった。

でもそれでもツナは助けられるものは助けたいってな。

吸血鬼の餌食になった奴らを救い続けた。

…でも一人しか救えない能力は逆に恨みを買う事が多かった。

ツナはいつからか助けたヤツに会う事を嫌がる…いや怯えるようになった。」


あの森で会った時俺から逃げようとしたのはそれが原因か…


「獄寺…俺はな、ワケあってツナと一緒には行けない。昔は守ってやれた。でも今は…

あの雲雀ってのも強いのは分かってる。敵からツナを守ってやれる。その娘もだ。

でも「人」からツナを守ってやれるのはお前しかいないと思うんだ。

ツナはまだ幼い。体は確かに人間よりは頑丈だ。でも内面は赤子と同じなんだ。」


雲雀の言葉に傷ついたこの人を思い出す。
月を背に泣く姿を思い出す。


「……頼む。ツナが壊れないように守ってやってくれ…」


山本が頭を下げる。

――違う。頼むのは俺の方だ。

どうか今度こそ貴方を守らせて欲しい、と。

俺はバシリと山本の頭を叩いた。


「てめぇに頼まれることじゃねぇよ。……保父が幼児の面倒見るのはあたり前だろ。」

「…違いねぇな。」


肩を震わせて笑う山本にもう一発入れてやった。







続く…





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