第二十八話






まただ。またあの夢だ。


首に食い込む牙、倒れ伏した仲間たち。

吸血鬼に殺された時の悪夢。


くそ、最近この夢のせいで目覚め最悪だし体調も悪ぃ。こんな胸糞悪い悪夢は途中で抜け出すに限る。

俺は瞼をこじ開けようと力を入れる。夢と分かっている時は案外簡単に現実に戻れるものだ。

だが今回はうまくいかない…疲れが溜まってるせいで眠りが深いのかもしれない。

仕方なく、俺は過去にあった出来事を再びなぞる。

流れ出る血に迫る死の恐怖。でも大丈夫だ、この後はあの人が来てくれるのだから―――。


「…貴様…!」


耳に心地良い声。霞んだ視界では誰かは分からない。だがこの声を俺が聞き間違える筈がない。

吸血鬼の牙が抜ける。

だがもう血を失った俺は助からない。

支えを失い床に崩れる。死にいく俺の視界には月と白い小柄な人、そして静かな怒りを湛えた柘榴の瞳…―





















「ほう、これは…成る程、そういう訳ですか。」

「!?」


ザワリ、と空間が揺れた。

仲間も吸血鬼もあの人も、周りのものが全て掻き消え俺の体も記憶の幼い姿から現実と同一のものになる。


何が、起きた…?


俺は背筋に冷たい汗が伝うのを感じながらゆっくりと背後を振り返る。

暗闇に立つ長髪の男。色違いの双眸を細めて奴は静かに笑う。


「僕としたことが…この可能性は考えていませんでした。」

「…てめぇ…!」

「以前にも言いましたよね。だんまりを決め込む君が悪いのだと。

しかしお蔭で面白いものを見させていただきました。」


最近、ずっと同じ夢を見ていたのは…こいつの仕業だったのか…!!

くそ、こんな能力持ってやがったとは…!!

歯噛みする俺に骸は冷えた目を向ける。


「さあ…もうここに用はない。生かしておく価値もない。

しかし君はとても役に立ちました。礼と言ってはなんですが楽に死なせて差し上げましょう。」


奴の手に三尖槍が現れる。

やべぇ…ここは夢、ようは精神世界だ。俺に武器は、無い。

じっとりと額に汗が浮かぶ。

奴は本気だ。どうすれば…

靴の音を響かせながら骸が俺に歩み寄る。

俺は、圧倒されて動けない。


「大丈夫です。綱吉は君を好いていますし首はあの子の部屋に飾ってあげましょう。

優しい子ですから大事にしてくれますよ。」


次期魔王の気迫。ここまでのものとは…!!

足に根が生えたようだ。体は石になってしまったのか。全く動くかない。

なんでもいい、とにかく動け!指一本でもいい!このままなにもせずに死んでたまるか!

せめて、沢田さんにこのことを…!!


「二度目の冥界への旅路、存分に楽しむがいい。」

「――っ!!!!」


刃が首筋に当たる。骸の腕に力が籠もる
















バサッ…


『やめよ!』

「「!」」


大きな翼を広げた鳥が俺たちの間に割って入る。

純白の…まさか、クイーントか!?

梟は激しく羽ばたきながら風を起こし骸と俺を別々の方向へ吹き飛ばす。


「くっ…その光、天使か!」

「クイーント!!」

『構うな!目を覚ませ、獄寺!!』


飛来する骸の槍を避けながらクイーントが叫ぶ。

起きろったって…!!もうこれは俺の夢じゃねぇ。出る方法なんて…

その時ぐいと腕を引かれた。よろけなから首を巡らすと紫の瞳とかち合う。


「早く、神父様!」

「ナギ!?」


ナギが槍を打ち下ろせばそこを中心に床が丸く光を放つ。

あまりに強烈な光に目を閉じ顔を覆う。

ぐいと見えないものに引っ張られ無理矢理魂だけを抜き取られたかのような浮遊感の後、一気に現実の重さが体に帰ってくる。

汗でぐっしょりと濡れた前髪をかきあげて恐る恐る目を開く。


―――生きてる。


まずそのことに安堵の息を吐いた。


「獄寺くん…」


耳に心地良い声が響く。目をそちらに向ける。

あの日と同じように、月を背に柘榴石の瞳で俺を見下ろす『天使』がそこにいた。


* * * *


双眸を持ち上げる。


「…逃げられたか。」


邪魔者を一匹消し去れる好機だったのだが…残念だ。

椅子に凭れ天井を仰ぐ。

だがそれよりも有益な真実を知ることができた。僕の目に狂いは無かった。やはりあの神父が鍵だったのだ。

ただ、厄介な味方も得ていた。仮初めの体とはいえまさか天使が現れるとは。

最後に現れた少女も気になる。彼女は天界の関係者だろうか?


「………いずれにせよ、邪魔ならば排除するまで。」


視線を天井から真向かいのテーブルに移す。

瑪瑙色のテディベアが寂しげに座っている。それに手を伸ばし柔らかな毛を撫でる。

獄寺を生き返らせたのは神孫だとばかり思っていたが…まさか綱吉だったとは。

だがこれでいくつか不明確だった点が繋がる。

ペンを取り紙に預言を書きなぐる。


『灰の翼持つ雛鳥、赤き実の恩恵にて再び空に。

実は王の意志を種に秘める。ただ一人を認め次代の糸を紡ぐ。

相応しき者、柘榴を持て。濁れども証に変わらず。』


灰の翼、これは神職につく者と考えられる。限りなく白、つまり天界に近い者を表す色が灰色だ。

雛鳥はそのままだろう。彼がいた孤児院は神職につく者がほとんどだったと聞く。

赤き実。これは綱吉のことだろう。

赤はあの子の守護膜の色であり、獄寺の記憶で見たあの子の瞳の色でもある。茶色の瞳は擬態だったのでしょう。

そして後半に出てくる「柘榴」。これも綱吉を指すのでしょう。

柘榴色は限られた者にしか許されない色であり、現在それを有するのは彼だけのはずですから。


つまり、『神職見習いの子供、魔の子により再びこの世に戻る』となる。


何故気付かなかったのか。この預言、後半の意味はまだ理解出来ないが冒頭の一説は知りたかった答えそのものであったのに。


「クッ…」


笑みの形に口角が歪む。

獄寺の夢を渡り確信した。綱吉は間違いなく僕のものだ。

柘榴石の瞳…先王が残した遺産。

彼は間違いなく僕の為に用意された「餌」なのだ。


* * * *


「沢田さん…」

「…大丈夫だよ、骸は弾いたから。」


と言っても俺に出来たのは手助けだけだけど。

寝台の反対側でぐったりとしている凪の頭を撫でる。

――骸と同じ夢を渡る力。魔王の遺産の能力。

けれどその力があっても魔力の低い俺は彼に対抗は出来ない。だから凪が獄寺くんの夢に入れるように入り口を作るのが精一杯だった。

獄寺くんが体を起こす。

顔色が悪い。無意識とは言えずっと次期魔王に抗ってたんだもんね…


「ごめんね。もっと早く気づけば良かった。」

「…っ!」


獄寺くんが辛そうに眉間にしわを寄せて俯く。

そして突然布団の上に両膝をつけて這いつくばると、額を打ち付ける勢いで土下座を始める。何度も、何度も。


「すみません…っ!!骸の奴に、沢田さんのことバレちまいました…っ!!」

「うん。」

「俺が、」

「獄寺くん。」


その頬を覆って顔を上げさせると泣きそうな顔をしていた。

そんな顔しないでほしい。君のせいじゃない。

いつか見つかるとどこかで分かっていた。
ラルの先読みは外れない。ただ、まだ先のことだと自分に言い聞かせていただけだ。

不安げに俺を見上げる獄寺くんにおどけた風に肩を竦めて見せる。


「大丈夫だよ。ただ、俺の変な力を骸に知られただけだ。珍しいかもしれないけど、ただそれだけ。だって俺は神孫でもないし…」

「ですが…」

「大丈夫ったら!それより君は眠った方がいい。ずっと骸のせいで悪夢見せられてたんだから。」


とん、と彼の肩を押して寝台に体を横たえさせる。

そうして渋る獄寺くんの額に人差し指を押し付け強制的に眠らせる。


「…………おやすみ。今度はいい夢を。」


手触りのいい銀髪に触れて立ち上がる。

部屋を出る前に、意識を失ったままの凪にも毛布をかけてやり、その頭を撫でる。


ごめんね、獄寺くん、凪…騙すような形になってしまって。

ここは居心地が良かった。

でももう、行かなくては。骸に知られてしまった。

みんなを危険な目には合わせられない。


静かに扉を閉めて、自分の部屋へ向かう。
月はまだ高い位置にある。今なら…

俺の装備は簡単だ。鞄ひとつだけなんだもん。それをひっつかみ窓から外へ飛び出す。


――さあ、どこに行こうか。






「綱吉?」

「!」


みんな、寝てると思ってたのに…なんで…

頭上を仰げば木の上に立つ漆黒の人。


「雲雀さん…」

「どこに行くんだい?こんな時間に。」


猫のような身軽さで地に降り立つ。

…一番厄介な人に見つかった。

俺が逃げるより先に腕を掴まれる。


「なんで逃げ、…!?」


雲雀さんが目を見開き俺の顔に触れる。


「綱吉、その目…」


雲雀さんの黒い瞳に写り込む深紅より濃い赤の双眼。柘榴石、ガーネットと呼ばれる石と同色の瞳。

今まで他人に見せてきた茶色の瞳は髪に合わての擬態だ。遺産の力を使うと解けてしまうので極力使わないように気をつけてきた。

でも、獄寺くんの命とは引き換えに出来ないから。

雲雀さんは驚愕の表情のまま俺の顔を覗き込んでいる。

神に連なる血筋のこの人ならこの色の意味もわかるはずだ。


「君…だったの…?先代の魔王は…」

「違います。」

「じゃあ、その瞳は…?」


神を表す金色、魔王を表す柘榴石。


神は配下にその色を与え、魔王は揺るがぬ王の証に自身の瞳にその色を宿した。


そしてどんな近しい者にもその色を与えることは無かった。







――ただ一人の例外を除いて。







「これは、継いだんです。……母から。」

「……母…?」

「創世から、魔族を統べてきた女王。俺は彼女の、母の死と引き換えに産まれました。


















『魔王の遺産』、それが俺の受けた託宣です。」







続く…





←back■next→