第三十一話






原初の魔女。

天神と地神――後の神と魔王――とは別の次元で存在した者。

神が世界を創るのを導き力を貸した存在。
それ故に教団の創世神話から消された者。


次から次へと…付いていけないんだけど。


「綱吉の関係者?」

『オレがあいつに名を付けた。あいつの母親とは長いつき合いだからな。』


…そりゃそうだろう。創世からの付き合いなんだから。

僕が黙っていると鯉が笑ったように見えた。


『ああ、そうか。お前は知っているんだったな、スメラギの者。』

「うん。教団の神話も原版の創世神話も耳にタコが出来るぐらい聞いたよ。」


スメラギ。神の血族の姓。漢字で「皇」と書く。

僕の姓が違うのは「血にも縛らせてはならない」と考えた曾祖母が新しい性名を付けたからだ。

雲雀。神にも魔にもつかぬ神話から除外された小鳥の名。

なかなかセンスがいいよね。あの人は話が分かるから嫌いじゃない。

…と、今はそんな話をしている時じゃなかった。


「僕の託宣をあなたが…ってどういうこと?」

『そのままの意味だ。
お前は産まれた家の影響で神孫となっているが、本来は名の通り神にも魔にもつかぬ新たな属性。神に属するものには先が読めない。
しかし無力な小鳥と違い、お前は強い力を秘めていた。
長らく神孫を待ち望んでいたお前の血族は浮き足立ちあちらこちらで躍起になって神孫の証を求めた。』

「……馬鹿だね。」

『ああ、異論は無い。』


魔族や対立貴族なんかにバレたらどうする気だったんだろう…

それでもし僕が普通の子どもだったら異端裁判とかで殺される可能性もあったわけだ。

大体いくら神孫と言っても赤ん坊のうちならばどうにかできないわけでもない。

だから普通は隠して秘密を厳守するものなのに…

知っていたけれどやはり阿呆の集団だ。

川の上流で泳いでいる綱吉に目を向ける。

いつの間にあんなところまで…あんまり離れたところに行くなって言ってるのに、あの子は。


『お前は沢田と同じく故意に在る変異種だ。』

「故意…?」

『ああ。お前の行く先、寿命は神にも読めない。そういう風に創られた。
『自由』『無』がお前の役目だ。何者もお前を縛ってはならないんだ。
だが聖血、ましては神孫となれば神の意志などは無関係に教団がしゃしゃり出てくる。
保護と言う名目でお前を拘束するだろう。それでは意味が無い。
だから、スメラギで一番話が分かる者の夢で託宣を授けた。』

「ふうん。」


それであの人を選んだのか。人を見る目は優れているじゃない。

尊大な態度のこの鯉に興味が湧いてきた。川縁に座り込んで鯉に顔を近づける。


「綱吉は、自身を『魔王の遺産』と言っていた。自分は次期魔王が授かる力と証を入れておく器だと。
なら中身を抜いたらあの子はどうなるの?」

『…死んでしまう、筈だった。』

「?」

『沢田綱吉は俺が付けた名だ。あいつには元々個の名が存在していなかった。
『魔王の子』としては扱われなかったんだ。次期王に捧げられる『生き餌』でしかなかったからな。
だがあいつは産まれながらに自我を持ち、人の子のように成長していった。
直接に関わることは許されなかったが媒体を通し幼子に接していくうちに友の面影を持つ子どもを贄とすることに抵抗を覚えていた。…俺にも情が芽生えていたんだ。
俺は理を破りあいつの『餌』の道筋をねじ曲げた。
だが原初の魔女といっても出来ることは僅かだ。俺が出来たのは魔族の目から『遺産』の行方を眩ますことだけだった。」


その話なら魔物から逃げ回る間に綱吉から聞いていた。

前魔王に近しい者たちから自分を隠してくれている人物がいること。

その人物に『餌』の命運から逃れるには自身が次代の魔王になるしかないと言われていたこと。

けれど綱吉自身には『魔王の遺産』を使いこなすことは出来ず、魔力も皆無だったのでそんなことは不可能なのだと諦め、見つからぬように居住を定めず放浪していたこと。


『そうだ。沢田が連中に見つかるまで、もうあとは時間の問題だった。
だが、俺が前例に無い行動をとり、変異種のお前たちと旅をし、その時まで出逢う筈の無かった皇太子に偶然会ったことで『贄となって死ぬ』命運が変化し、沢田の未来に『餌』とは違う道も出来始めた。』

「そうだね。あの男はおかしいけど綱吉を絶対に殺しはしない。…飼い殺しにはしそうだけど。」


そりゃ必死になって逃げるよ…

配下総出でペット探しするわ獄寺の夢に潜り込むわって只でさえ凄い執着心なのに「運命」とか知ったらどうなる……………………………


あ、いいこと思いついた。


「…僕のしたいようにすればいいって言っていたよね。」

『ああ。お前の道筋は他の者とは全く違う。お前自身の思うとおりに進め。その結果がお前とお前に関わった者たちの正しい在り方になる。』

「それは、例えば僕が凶悪な大量殺人犯罪者になっても言えるの?」

『…ああ。』

「次期魔王を咬み殺してもかい?」

『現皇太子がいなくなってもまた新たな候補が出てくるだけだ。』

「なら次期魔王と呼ばれる者全てを。世界の均衡が崩れようと関係ない。それでもあなたは同じことが言えるの?」

『…俺に二言はない。お前が神を殺すと言い出しても同じだ。』


きっと今の僕の顔を鏡に写したら凶悪な笑い顔をしているだろう。

自由と無ね…悪くない。

綱吉は僕が先に見つけたんだから。他の奴らに渡しはしない。神だろうが魔族だろうが関係無い。



僕はあの子の剣で、あの子は僕の盾なんだから。



* * * *


「ふわ〜…」


ちょっと冷たいけど水浴び気持ちいい〜…

お湯のがいいけど風呂にはしばらく入れないだろうし。

水中に潜って目を開く。小さな魚の群れが目の前を泳いでいく。


いつまでも逃げ回ってる訳にはいかない。そんなことは分かってる。

でも…「俺が犠牲になればいい」とかそういうことなら話は簡単なんだけど…

相手は骸だ。多分、いや絶対俺が捕まればそれで終わり、とはいかないと思う…


「ん?」


視界の端を赤いひらひらしたものが横切った。

…なんだろ?


「っぷは!」


水から顔を上げて立ち上がる。

魚だ。

見たこともないくらい鮮やかな赤。

俺の拳くらいの大きさの魚が綺麗な円を描きながら悠々と泳いでいる。

背鰭と尾鰭がひらひらしてて、ぷくってしたお腹が可愛い。

初めて見る魚に惹かれてそ〜っと忍び寄る。でもあと半歩の所で気づかれてしまった。

魚はびっくりしたようにピタリと動きを止めたかと思うと次の瞬間、物凄いスピードで上流に向かって泳いでいってしまった。

あ〜あ。逃げられちゃった。

残念に思いながら魚を見送る。

でも魚は少し行ったところでもう安心と思ったのか速度を落としてふよふよと泳ぎ始める。


「…………」


むくむくと起こる悪戯心。

俺は河馬か鰐のように鼻から上だけ出してそろそろと魚に近付いていく。

後ろにぴったりとくっついて泳ぐ。…気付いてない。

そーっと手を伸ばして、囲い込んで………よし!捕まえた!


「ととと…」


びちびちと手の中で暴れる魚。

ちょっと観察するだけだよ、食べたりしないよ。そう心の中で呟く。

光の加減で金にも見える鱗がキラキラしてる。

珍しいな〜、でも色からしてここいらに生息してるようには見えないけど…もっと南の方の


「あ!」


スルリと手の隙間から魚が逃げ出す。

今度は止まらずにピューッと泳いでいってしまった。

あれじゃ追いつけないや…諦めるかぁ。

後ろを振り返れば雲雀さんから大分離れてしまっていた。怒られる前に戻ろ…

それにしても残念だ。綺麗な魚だったのに…雲雀さんにも見せたかったな。


「あれなんて名前の魚だったんだろ…」































「金魚、と言うのですよ。綱吉。」

「!」


水面に写った黒い影に体が固まる。この声…!


「おっと、逃がしませんよ。」

「むく、んぐ!」

「しー。静かに。見つかってしまうでしょう?」

「んん!」


俺が動くより先に体を捕らわれて口を手で覆われてしまった。

じたばたと暴れても骸は意にも介さない。

声を封じられてるならせめて音で…!!

そう思ってばしゃばしゃと水面を叩くも雲雀さんは全く気づく様子はない。

なんで!?この距離なら聞こえないはずないのに!


「クフフ…無駄ですよ。幻で彼には普通に泳いでいる君しか見せていませんから。」

「んぅっ!?」


骸は俺を抱え上げるとさっさと川から出てしまう。

や、やばい!このままじゃ…わかってるけどビクともしないんだよ、この人!!


「離せ!!離せ離せーっ!!!!」


口を塞いでいた手が無くなる。

有らん限りの力で抵抗するも骸は猫の子でも相手にしているかのように余裕顔でくすくす笑ってる。


「きゃんきゃんとよく鳴きますね、君は。家に着いたら放してあげますよ…鳥籠の中にね。」

「ひうっ…!」


べろりとチョーカーの上から首を舐めあげられる。

恐怖で動けないでいると歯でチョーカーを外されてしまう。

ゆっくりと舌先で薔薇の痣のあたりを辿られる。

また、咬まれる…!!!!

首を竦めて逃れようと身を捩るけど、木の幹に背中を打ちつけられた。


「や…!」

「いい子にしてないと…食い殺しちゃいますよ…?」

「っ…」


首筋に当たる骸の牙。それが徐々に肌へと食い込んでいく。

目が、本気だ。

ぷつりと皮膚が切れる。


やだ…やだ…!

まだ、死にたくない…!!

こんなの、いやだ…!!!


「やだ…っ…食べないで…やだぁっ…!」

「…そんなに泣かないで。苛めてるみたいじゃないですか…」


頭を撫でられて閉じていた目を開く。涙で歪んだ視界に優しく笑う骸が映る。

初めて会ったときみたいな優しい顔。

怖い張本人なのに、俺はその笑顔に安心して飛びついてしまった。

怖くて、もう訳が分からなくなってたんだと思う。

トンと首の後ろを強打されたと気付いたときにはもう意識が沈み始めていた。



「そう、それでいいんですよ。君は産まれたときから僕のものなんですから。」








続く…





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