第三十四話 「ふあっ!!」 「どわっ!!」 バサバサと重い本の落ちる音。 辺りを見渡せば自分の執務室だった。 あ〜、なんだ夢かよ…ったく… 「ぼっちゃん…」 「ぼっちゃんはやめろ。」 「団長…起きる時に叫ぶのはやめてくれ…」 「わり。」 ガキの頃から俺の世話役だった古参の部下。 そいつが取り落とした本を拾い集めながらこちらを睨んでいる。 夢見があんまり悪かったもんだからつい… 「ったくよ…少しは成長したかと思えば落ち着きはねぇし、どこでも寝こけるし…」 「俺だって好きで寝こけてるわけじゃ」 「それで。」 「ん?」 「なにを『視た』んですかい。」 「…………………」 部下は既に紙とペンを用意している。 能力の『夢』ならば上層部に事細かに伝えなくてはならないからだった。 わしわしと寝癖のついた髪をかき回し首を捻る。 夢は、確かに見ていた。 けれどあれは報告していいのかイマイチわかんねぇんだよなぁ… そういうと部下が今度は首を捻った。 「なんでです?夢見がよくないなんて凶兆かもしれないじゃねぇか。」 「だってなぁ…」 夢に見たのはいつかの白砂と同じ場所。そこを宛もなく歩いている。 しばらくすると後ろから羽音が聞こえてくる。久々に聞く自分の足音以外の音に立ち止まり振り返る。 しかし、空と砂以外視界にはなにも映らない。 かなり至近距離で音がしたと思ったんだがな… そう思いながらまた進行方向に向き直る。 『どこ見てやがる。』 頭上からかけられた声。見上げると、声の主は太陽と重なる位置にいた。 直視出来ずに目を閉じる。薄く目を開けばそのシルエットだけ確認できた。 …………………獄寺、か? なんで浮いてるんだ、こいつ。そんなことも出来て… ザスッ 足元に何かが落ちた。見下ろせば銀細工の十字架…教団のロザリオだ。 『返すぜ。』 返すってな!お前、いくら素行悪かろうと教団の象徴を投げ捨てるヤツがあるか! 夢に怒っても仕方ないのは分かっているが一言言ってやろうと口を開いたところで空が陰った。何かが太陽の前を… 『!』 鳥だ。巨大な鳥。 いつかの夢に見た、赤い球を抱えていたあの黒い巨鳥が悠々と空を飛んでいる。 そしてその体が太陽光を遮ったが為に獄寺の姿が目視出来るようになり―― 「そこで目が覚めた。」 「……確かに何を報告していいのか分かりませんがね。さっきの叫びはなんだったんだ。」 「獄寺に羽根が生えてて目が真っ赤だった…」 「はあ!?」 素っ頓狂な声が上がる。 いや、俺だって分かってるぜ?あいつが魔族なわけないってな。 教団に属す者はどんな末端であろうと事前にこれでもかと言うくらい検査を受ける。 なかでもあいつは幹部候補といっていい。 「だから悩んでんだ。例の鳥といい、相変わらず漠然とし過ぎて意味分かんねぇし。」 「詳細判明するまで上には黙っとくしかねぇな。 とにかく奴らの動向は今まで以上に気を付けねぇと……ん?」 壁に取り付けた神鏡が光を放つ。通信だ。 点滅の激しさから見て急ぎらしい。 部下と顔を見合わせ猫足のカウチから立ち上がる。 送信先は………獄寺らを捕まえた部隊から。 ……なんっか、嫌な予感がするんだよな… * * * * 襲い来る茨を切り裂き、群がる翼の生えた猿をトカゲの炎で追い払う。 妨害を受けながらも大剣に導かれるままに突き進んでいると、血の色をした薔薇が見えてきた。 あの屋敷にも同じものがあった。近い…ってことかな。 「でもそれらしい建物が見当たらないんだけど。」 『目眩ましだ。実際は前方に城があるんだが…お前には見えていないのか。』 「全然。」 でも圧力は全身に感じている。 体を動かす度にびりびりと伝わる不快感。これが障気ってやつなのだろうか。 ゆっくりとした低空飛行しかしなくなった大剣を戻し、点々と生えている薔薇を追っていくと、巨大な薔薇園、いや迷路に到達した。 中を覗くと血の色に濃い紫に黒に…あの男のセンスが伺える彩りの薔薇が咲き誇っている。 『…人間の感覚は分からないがどうなんだ、これは。』 「毒キノコもびっくりな鮮やかさだよ…好き好んで入ろうとはまず思わないね。」 靄もかかってるし。 でもこれ通らないとあの子のところには… 「!」 背筋に微弱な落雷を食らったような感覚。 けれど不快なわけではなく、訳の分からない予感に空を見上げる。 『どうした。』 「…来る。」 何が、なんて分からない。 太陽を厚く覆っていた雲が渦を巻き、パリパリと雷が走る。 トカゲが肩から降りていく。地に降り立って警戒も露わに雲を睨みつける。 渦巻く雲が途切れ、小さな穴が開く。そこから差し込む太陽光。 長時間薄暗い世界にいた僕らにそれが直撃し、反射で目を閉じる。 ドンッ… 「?」 本当に落雷した? すぐ側でした凄まじい音。直撃しなくて良かっ… 「いてて……」 「!?」 この声…… 目を開けば目の前で尻餅をついている神父。 「くそ、全然違うじゃねぇ…あ、雲雀。」 「あ、雲雀」じゃない。 まったく…忘れてたよ。彼は転移が使えるんだったね。 なんでここにとかなんで空からとか直撃するとこだったとか言いたいことはあるけど。 「着地の仕方聞いとくんだったな。」 「?…君、巫女とハンターはどうしたの?」 「置いてきた。クイーントいるしどうにかなんだろ。それより沢田さんだ。」 それはそうだけど君まで来てどうするの。 あの二人と高慢鳥だけで本当に大丈夫かい?聖都にはあの男がいるっていうのに。 神父がいるからこそなんとかするだろうと考えていたんだけど… 僕の思考を余所に神父は立ち上がるとニヤリと笑う。 「逆だ。俺がいない方がなんとかなる。」 「?なんでだい。」 「後で話す。長くなるからな。」 「……??」 服についた土埃を払う彼に違和感を覚える。 なにか変わった…? カサカサと足下で草を踏む音。 見下ろすと今まで静かだった大トカゲが神父を見上げ歩み寄っていく。 神父もそれに気付いたらしく、怪訝な顔でトカゲを見下ろす。 『………天使じゃなくてお前が原因だったのか、あの神気は。』 「なんだ、この大物そうなトカゲ。」 「原初の魔女。」 「お前…なんでそんな伝説の登場人物なんか連れてやがるんだ。」 「魔王の息子と天使長の娘が道連れなのになにを今更。」 興味深げに屈み込む神父の周りをぐるりと一周し、満足したのか大トカゲはまた僕の肩にするすると上ってくる。 『予想よりも進んでいるな…驚いた。』 「何が。」 『変化や兆しどころじゃない。準備万端じゃないか。まったくあいつは当てにならん!』 「…………」 人の肩に乗ってぶつぶつと誰に対してか分からない苦情を言い続ける大トカゲ。 「なんのことだ」と目線で問う神父に肩を竦めてみせる。 これは対魔物用の火炎放射器なんだから、役に立ちさえすれば気にならないしね。 目的は一つ。確認する必要もない。 迷いなく不気味な薔薇園に飛び込む白服に負けじと僕も靄へと突っ込んでいく。 むせかえるような毒々しい薔薇の香りに鼻を覆い、眼前を行く神父の背を追う。 靄はいつの間にか濃霧と言っていいような濃さになっていた。 「…ん?」 濃霧の中にあっても不思議とくっきり見えている神父の姿。 その服の背中側が無残に破れている。 どんなに柄が悪かろうともエリートだけあって身嗜みには気を使っていたこの男。 ……戦って破いた、という感じではない。 どこかに引っ掛けて…にしても裂け目が広すぎる気がする。 「後で説明してやるっての。」 前を見たまま神父がそう告げる。 「何も言ってないけど。」 「視線が痛ぇんだよ。」 そう言って神父はこちらを睨む。 まともに目が合い、さっきから感じていた違和感の正体がやっと分かった。 ―――柘榴石。 元の色なんて覚えていない。けれど彼の目の色はそれではなかったはず。 「だから言っただろ。話せば長くなるって。それに。」 混乱されても困るって? 何を今更。もう充分混乱してるさ。 続く… |