第三十五話 ふるふると腕の中で震える子ども。 尋常ではない怯え方がおかしくて堪らない。 「ふ……やはり、君はなにか思い違いをしていますね。」 「……?」 「『遺産を渡すと死んでしまう』、そう思っているのでしょう?」 「……違う、の…?」 「ええ。」 潤んだ瞳から溢れそうな涙を拭ってやる。 触れただけでびくりと揺れる体。 本当に、非力でか細くて…簡単にポキリと折れそうで可愛い。 「君を無くすくらいなら『魔王の遺産』など。なんの価値もありません。」 「っ…じゃあ、なんで骸は『遺産』が欲しいんですか…」 「決まってます。君が欲しいからですよ…」 首に付いた薔薇の痣。そこに唇を押し当てる。 直接呪詛を注入しているからその箇所は特に敏感になっている筈だ。 案の定、ジタバタと暴れ始めた綱吉。 無駄な抵抗…本当に可愛い子だ。痣を丹念に嘗め上げびくりびくりと揺れる体を楽しむ。 「君が『遺産』である限り、他の者も君に価値を見いだす。 君に他者が触れるのも許せないし、『遺産』目的の者の手に君が落ちればくだらない『遺産』のせいで君が消えてしまう。 だから君から価値を消し去りたい。それだけです。」 「んぅ…っ!」 皮膚を弄り過ぎたせいで綱吉の血の匂いに変化が起きる。 牙を立ててかぶりつきたくなるのを堪える。少し悪戯が過ぎた。 流石に、『遺産』を剥ぎ取る前に弱らせてしまうと死んでしまう。 すっかり縮こまって怯える幼子を片手でしっかりと抱き上げ扉へ向かう。 「!」 背筋に、微量の雷撃を食らったような痺れが走る。 一瞬の事だったが……今のは…!! 「骸様……!」 「……なにかとてつもない上客のようですね……」 僕の領地に、僅かにだが魔と対極の気が… たかが人の群れなす教団など目ではない、本物の天界の気。 …あの少女か天使だろうか? それにしてはよく知った気だったような……? 「侵入者か?まったく命知らずな…」 「殿下、少々お庭が騒がしくなるやもしれませぬが、よろしいでしょうか?」 「…構いません。」 屋敷に仕える魔物たちに頷けば次々に跪いては闇に姿を代えて断ち消えるように去っていく。 少し、侵入者に興味が沸いたが、今は目の前の子犬だ。 「さ…邪魔が入る前に済ませてしまいましょう。」 「っ…」 「綱吉。君としてもその厄介な荷物、背負わずに生きられるならその方が良いのでは?」 怯えながらも綱吉が顔を上げ、僕の目をまっすぐに見つめる。 『魔王の遺産』はこの子には首輪から伸びる長い長い鎖だ。 どんなに逃げても離れても、それがある限りは必ず引き戻される。 「……本当に、死なずにいられますか……?」 「ええ。僕は嘘をつきますが自分には正直ですよ。」 そう言ってやれば、綱吉は口では応えなかったものの首に腕を回してしがみついてきた。 それを是と受け取り扉を押し開ける。 円形の部屋の床に描かれた六角形の陣。 そしてその部屋の中心に置かれた椅子に綱吉を下ろす。 不安を隠せない綱吉の頬を撫でて、その指で体をなぞり、腰を絞っていた帯を解く。 着せていた服を全て脱がすと綱吉が纏うのは一見、服にしか見えない『結界』のみになる。 以前、ここに滞在させた時。 数日とはいえこんなすぐ近くに『遺産』があったに関わらずまったくその存在を気付かせなかったのはこれのせいだ。 「………駄目、ですね。」 脱がせようとしてみたのだが僕の手は『結界』をすり抜けてしまう。 外敵から身を守る保護膜に、先代魔王の膨大な力をも覆う無属性の『結界』。 膜は先代の力によるものだろうが結界は違う。 100年の眠りにつかずに活動しているのも、聖に耐性があるのも何かの力が原因だろう。 この小さな体にどれだけの加護を受けているのだろう、この子は。 そう考えた時にふと浮かんだ疑問。 「……骸?」 「指を出して。少し痛いでしょうが……」 「っ……!」 ナイフで綱吉の指先に浅く傷をつけ一滴、血を『結界』に垂らす。 同じ箇所に僕の指先も切り血を落とす。 「あ……」 僕の血を受けた『結界』は淡く輝いたかと思うと、肩口から空気に溶けるように消えていった。 完全に『結界』が消えれば綱吉の体からは濃密な闇の気が溢れ出す。とても覚えのある気だ。 「……やはりか。」 「な、なに!?」 目視できるほどの濃い気に綱吉は目を見開く。 自分が内包しているものを見るのは初めてのようだ。 目を細めて探れば……丁度、心臓の真下のあたり。そこに強い波動を感じる。 「見つけた。」 「?」 口の中で短く呪を唱える。 陣の外側にある六角を描く蛇の模様が鈍い光を放つ。 そこから水紋のようにゆるゆると陣全体に光が伝っていく。 部屋の床一面が青白く輝きだしたのを確認し、綱吉の椅子の前に屈み込む。 「綱吉……」 「……っ……」 産まれたままの姿なのが心許ないのだろう。 体を縮こまらせて固く目を閉じている子供の頬を撫でる。 恐る恐る開いた瞼の下から現れたのは深い柘榴石の瞳だ。 不安げに揺れる瞼の上にキスを落とす。 綱吉の素肌に指を這わせ、心臓を通り過ぎ先程見つけた場所に触れる。 「骸……?」 「怖がらなくていい。 ……なるべく短く済ませます。なので、耐えてくださいね。」 指先に力を込める。 水面に手を入れるように、綱吉の体内に指先が入り込んでいく。 暖かい幼子の体温を指先に感じながら、静寂を切り裂く悲鳴を聞く。 喉も張り裂けんばかりのそれを心地良く聞きながら、『遺産』目掛けて手を沈めていった。 * * * * 「あああああーっっ!!!!」 「!?」 突然、目の前を歩いていた巫女が崩れ落ちる。 半壊した宿から教会へと移動(というか護送)している真っ最中にだ。 うずくまり苦しみだした巫女に教団のメンツもざわめきだす。 まさか、巫女さんも獄寺みたいになんのか!? そう思ったが、さっきは冷静だった梟の慌てぶりを見て「違う」と判断して駆け寄る。 「おい!?」 『小姫!?どうしたのだ!』 「山本殿、凪殿は一体……」 「わからねぇ!!」 天使のクイーントが分からないのに俺が分かるわけあるか!! 心臓のあたりを抑えている巫女を抱え上げるとさっき声をかけてきた若い団員が走り出した。 察しがよくて助かる!! 驚いたままの奴らを置いて、部屋の手配に走った筈の少年を追い掛ける。 「なあ、これ獄寺のとは違うのか!?」 『違う!!小姫は産まれた時からそういう体なのだ!獄寺のように作り替える必要がない!!』 「よくわかんねぇ!!」 『ええい、分かれ!!とにかく小姫の身は大抵のことでは害せないのだ!! これはlordである魔の子の命に関わる何かが起こっているとしか思えん!!』 「……!!」 ツナに……!? 雲雀は何をやってやがるんだ……!! * * * * 『!!』 「なに?」 びくりと肩で大トカゲが跳ねた。 途端、目に見えて落ち着かなくなった魔女に顔をしかめる。 『……まずい。』 「だからなにが。」 『『遺産』にかけた封じが解けた……!!』 「綱吉に封印?」 わさわさと生えてくる茨をトンファーで切り裂く。 先を行く神父はどういう訳かわからないけど茨の邪魔がないのでスタスタと行ってしまう。 「それ、解けるとどうなる……」 「うぐっ……!!」 「!」 先を歩いていた神父が突然、呻きながら膝をついた。 大トカゲはぴょんと飛び降りると物凄い速度で獄寺目掛けて這っていく。 腹の上あたりを抑えて苦しみだした神父の肩に這い登り、襟巻きのようにぐるりと首に巻き付く。 しばらくすると呼吸を取り戻した神父が肩で息をしながら身を起こした。 「っ……なんなんだ……っ!?」 『今、沢田とお前の繋がりを一時的に遮断している。皇太子がとうとう動き始めたようだ。』 「骸が!?なに始めやがった……!!」 『おそらく『遺産』を引き剥がすつもりだ。』 「遺産って…綱吉の託宣の?」 『ああ。『遺産』が欲しければ封じも関係無く沢田の心臓を食らえばいいだけだ。 だが骸は封じを外し、獄寺の抑えたあたり……『遺産』の核を正確に狙っている。 沢田を殺さずに力だけを引き剥がすつもりだろう。』 …………それ、別にいいんじゃないの? 綱吉が死なずに、追い回される理由も消えるなら。 けど大トカゲは首を振る。 『駄目だ……『遺産』は強大な力なんだ。まだ未熟な沢田の体から不用意に引き剥がせば……!!』 「どうなるの?」 「……わかんねぇけど、俺にこれだけ影響すんならナギも無事でいられないんだろうな……当然、沢田さんも……」 大トカゲを巻き付けたまま、ゆっくりと神父が立ち上がる。 大分よろめいていたが、赤い瞳だけはギラギラと不穏な光を宿す。 「行くぞ、雲雀。」 「君に言われなくても。」 「はっ!!なら。」 獄寺が地を蹴るとふわりと浮かぶ体。 その背から広がる灰色の翼。 丁度、あの引き裂かれた神父服の切れ目にそって生えている。 獄寺はニヤリと笑うと翼を羽ばたかせる。 「全力で飛ばすぞ。ついて来れねぇとか抜かすなよ。」 ………もう君に関しては驚くのを止める。けどそのつまんない冗談誰に向かって言ってるわけ? 君こそ、遅れないでよね。 続く… |